限界集落の旅-群馬県甘楽郡南牧村-『農業の達人の言葉』
この旅の目的:限界集落を旅して人生の先輩たちから、生きるために必要な名言・格言を集める。
日本一「幸齢者」が多い南牧村
村長さんに「農業の達人」がいると教えてもらい、役所でコピーしてもらった紙の地図を片手にお宅訪問をした。
斜面に作られた畑が目印になっていると聞いて、斜面かー、と思っていたら想像よりも規模の大きい傾斜だった。これは、土踏まずと体幹を鍛えられたシニアだろうと玄関に向かった。こういう斜面で農業を行ってる方は、逆に平地ではバランスがとりにくくなる、とどこかの集落で聞いた。
出迎えてくださったのは、柔和で朗らかな表情の達人(当時92歳)だった。笑顔が素顔のように朗らかで、しなやかな、少し小柄な方だった。
旅の事情を話て、達人の家に上げてもらった。
ご挨拶に、私は達人に持参した手土産を達人に渡した。
おかあちゃーん貰ったよー!
と、良く通る声で、達人は遺影の前にお土産をお供えした。
達人は猫と一緒に暮らしていた。きなこ色と白色の毛色でふっくら、モフモフとした余裕のある落ち着いた猫ちゃんで、初対面の私にも特に警戒なく、達人の膝の上でウトウトしはじめた。過疎集落で出会う猫はあんまり警戒心がないのだろうか?
達人は話を始める前にお茶とお茶請けに「大根の酢漬け」を出してくださった。三日月に切られた大根は達人の自家製で、これが絶妙に甘く、顎に心地よい噛み応えもあって美味しかった。濃厚な緑色のお茶と併せられて幸せだった。
作り方と聞くと「酢に塩を混ぜて大根を漬けただけ」らしい。
(後に家で再現しようと思って自作したら、ただ酸っぱいだけの大根ができた。不味くはないのだけれども)
大根を頂きながら達人が村で過ごした日々を教えていただいた。
「カタクリ爺さん」
達人は集落の子供たちからは「カタクリ爺さん」と呼ばれている。ちなみにカタクリとは花のことで、土に埋まってる茎の部分を精製すると、料理にとろみをつける片栗粉になる。
集落巡りをしていて、花を育てているシニアが多いことに気づく。
徳島県のつるぎ町でお話を聞かせてもらった女性(81)も花を育てていて「鹿が根こそぎ花を食べる」といって困っていたし、私の実家でも最近、母が庭に花を育て始めて「猫が、ええ土にうんこする」と困っている。
猫のうんこについて母がコメントしていた。
母「口コミで増えるんかね。
ちょっと〇〇さんとこ、ええ土あるで。
ええお便所あるで。
気持ちええで。
すっと出るで」
日に日に増えていくのが…面白いゆうか、なんというか、と、猫の情報網を想像する母曰く、土が原因ではないかと分析している。
母「ホカホカ(ふかふかした柔らかい)の土やってん。せやから、しゅしゅっと掘れるやろ。そしたらまたうんちするねん。粗い土にしたらよかったんかもしれへんな」
話を猫のうんこから花に戻す。
なぜ、達人は花を育てるのか?
その背景には太平洋戦争があった。
カタ爺「俺は戦争を経験したから平和への意識が強いんだ。
お酒飲んでグデーッとできてるのも一つの平和かもしれないが…俺は花を育てよう
と思った」※カタ爺=カタクリ爺さん
この時は、さすが良いこと言うなぁ。としか思っていなかったが、
後に、愛知県の豊根村で戦争体験者の方から、戦後70年以上経過しても、戦争による精神的な傷は、何も消えていない事を教えてもらい、ひょっとして、つるぎ町の女性も南牧村の達人も、花を育てることで自分を治療をしていたんじゃないんだろうか?と思い始めた。
戦争で、見たくないものを見て、したくないことを強要されて、おかしな道徳を詰め込まれて、疲弊した心を花で癒したかったのではないか。
【戦争中の話】
戦争中の出来事についても教えてもらった。
教科書の内容は「ハトポッポ」から「ススメ ヘイタイサン」に
教科書の内容が変わり、人を殺すための教育が始まった。
カタ爺「大東亜戦争が始まって戦争のことしか教育されなかった。
『1人でも多く殺せ』って言われて、学校で竹槍持って人を殺す練習してた。
体力はもちろん精神がつらいな…。
今は本当に自由に生活できて、丈夫な体をもらってこうしてやってこれたんだ。
幸せだな」
カタクリの花を栽培するきっかけ
達人のカタクリ栽培は村の人たちの願いがきっかけとなった。
元々は南牧村に自生しているカタクリの花を観光客に解説するガイド役を任せられるうちに、なんとかカタクリの花を繁殖させられないか、という村の意見に応えるために、独自に研究しカタクリの花の生態を解析し繁殖に成功した。
やったことないことに取り組んでやりぬくド根性。
戦争を生き残った人はタフさが違う。
やったことのない「カタクリ栽培」に対して達人がどういう心境だったのか?
カタ爺「なんとかしようって気持ちでやる。
誰かに言われたわけではなく自由に、やってみようという気持ちでいるんです。
基本なんてものは無くて、自分で考えて見つけるんですね。
必要なことは、物事に熱中すれば目に入ってきますから」
92年生きた人が「基本なんてものは無い」というのが興味深かった。
確かに「基本」とはいうものの、世の中の「基本」は、成功事例の一部で、自分に当てはまるとは限らない。自分が周りと同じ方法で上手くいかなくても、まだ誰も発見してないやり方を見つけられる可能性があると思えば、ちょっと希望が持てる気がする(失敗しすぎて、上手くいく前に面倒くさくなって辞めてしまうかもしれないけど)。
後は、熱中できれば必要な物事が目に入ってくる。
ということは、熱中していると成功に近づける。
「熱中できる仕事か否か」は転職するときの判断基準になりそうである。
カタクリの栽培が上手くいった背景
カタクリの花の栽培に成功し、子どもからカタクリ爺さんと呼ばれることに達人は、
「色んなところに引き合いに出されてお金には替えられない満足がある。健康な体があるからだな」と嬉しそうに語った。「健康な体があるから」という一言が尊い。
そして、「今までいろんな所にかり出されて色んな経験をしたけど、全てなんとかやってこれたのは家族の応援があったから」と語り「良い行いずくしで生きてたら、シャバが広がる」と付け加えた。
村長から「南牧村は人が良い。詐欺師がやってきても、お茶を出して、お土産を持って帰らせるくらい人が良い」とは聞いていたが、達人はそれを地でいきそうなくらい「善人のオーラ」が漂っていて、ちょっと怖かった。
昔の職場で悪口を言いすぎて辞めさせられた人がいたし、悪口を言ってもロクなことがないのは知ってるから、私も、せめて人の悪口を言わない、見下さない、馬鹿にしない、で生きたい。
カタクリ爺さんのアドバイス
「やだなーと思ってやると上手くいかない」
「なんとかしようって気持ちは子供にも伝わる」
「張り合いをもって物事をする。農業ならこれが大きくなったらどうなる。
美味しいってよろこんでくれるかなと考える。
目的をもって『おおきくなれ』って作物とお話できるように育てるんです」
「食べると働ける。働くと食べられる。おいしいなーと思って食べると米の味も変わってくるよ」
これらのアドバイス通りに普段、自分はできていない。
達人から話を伺って数年経った今でも、嫌なものは嫌だな、と思って取り組んでいる。
多分、まだ、本当に美味しい米の味を、自分は知らない。勿体ない。
ただ、わからんなりに「食べると働ける。働くと食べられる」この言葉のバランスは好きである。働くために食べるわけでも、食べるために働くわけでもなく、生きる事を喜ぶようなこの境地をものにしたい。
カタ爺「俺は今、余計なことを長々と話してしまったけど...余計なことでも話した方が良い。何かの糸口になるかもしれない。何も話さなかったら何もならない」
いつか私か誰かの糸口になると思います。
ありがとうございました。
達人にお礼を言って帰った。
この南牧村は今でこそ「幸齢者が日本一多い」というキャッチコピーを謳い文句にしているが、昔はとても貧しい村だと知った(昔はどこもそうだったのかもしれないが)。
カタクリ爺さんが子供だった時代に、あまりの貧しさのため、村内でとても悲惨な事件が起こったことも後々知った。当時の苦労からすると、死の危険がなく、心行くまで花を育てられて、感謝もされる。今の時代は楽しい事しかないのかもしれない。
話を聞き終える頃には顔が腫れて、体が痒くなっていた。
私は猫アレルギーらしいことが分かった。
過疎集落で古民家カフェをオープンする際の注意点
また記事を投稿し始めます。
コロナ以前の旅の内容なので、今は状況が違うかもしれません。
集落巡りをしているときに、古民家カフェで一服するのが楽しみだった。
工夫をこらした手作りの内装や、移住者と地元民との繋がりを感じたり、ワンポイントでアクセントになっている猫や、オーナーの趣味全開の昭和感等など、お店ごとにデザインを超えた趣があって美しかった。
中には自力で8年かかってカフェを「建築」した強者もいらしゃって(建築素人)、人間の執念はえげつないなとビビらされたりもした。人の生き様そのものが形になったカフェと、その店に惹かれてやってきた人との出会いも「旅をしている非日常」の感覚に味付けしてくれて、小気味よかったから、店を見つけるたびに立ち寄っていた。
そして、何件か古民家カフェに入ったところ、妙な癖を感じることがあった。
全てのカフェに当てはまるわけではないのだが、立地が変なのである。
妙に集落から離れたところやわかりくいところに建設されているような気がする。
この疑問への答えは、ある集落で教えてもらう事ができた。
※都市伝説だと思って聞いてください。
集落では「みんなが貧しければ幸せ」という考えがある
集落の微妙にはずれた所にカフェがあるのは、店主が儲けていないように見せるための工夫だとのこと。というのも、村社会では村人全員が同じ状況であれば、不平不満は出ないから、みんな助け合って、みんなが幸せ。逆に、一人だけ豊かになると妬み嫉みが生じて不幸になる、という考え方があるらしい。そのため、集落の目立つところにお店を構えると、「あの人だけを儲けさせてはいけない」という心理が働いて、村人はほぼ出入りしないカフェが完成するんだとか(ちなみに客層は「外来:現地=9:1」くらい)。
村の人たちもカフェに行きたくても、見晴らしのいいところにカフェがあると周りの目が気になって入店しづらいから、あえて、ちょっと、分かりづらい場所に店を建てるのがお客様への気遣いポイント。
そして、この話は、あくまでも店内に入店するまでの話であって、店内で村人同士が出会う分には何にも問題はない。むしろ、村の人たちも憩いの場ができる事に関しては、ありがたいらしい。素直ぢゃない、ツンデレである。
なんか謎マナーに似た趣があるけれども、格差を生まないで協力し合うための生活の知恵の名残なのではないかと思う。
そして、自分の生活に当てはめて考えてみると、なんかわかる気がする。上司に食事に連れて行ってもらった時に「遠慮するな」とは言われても、上司より高いものは少し頼みにくい(この気遣いが間違いなのだけれども)。上司が「マグロ丼(980円)」を注文しているのに「海鮮御膳(1,580円)」はアウトな気がする(上司の器を見くびってて失礼なのだけれども)。近い値段帯のものにしつつ、上司より20円くらい高いものを注文して、平等感と上司の太っ腹感をだそうとしてしまう。
そのため、現地の人が集落で古民家カフェをオープンする際には、わかりづらい場所にお店を建設し、決してチラシなど撒かず、噂で徐々に広がっていくのを待つのが良いのかもしれない。
逆に街中から移住してきた人たちに関しては、集落に人たちも割り切っているらしく、なんとも思わないから、目立つところに店を出しても問題ないとのこと。
「らしい」とか「とのこと」が多い記事になった。
へー、と思いながら拝聴した。
全ての集落にあてはまるわけではないとは思うのだろうけれども、集落で生きるにあたり地域のルールに従ったしきたりが色々あるんだろう。都会の企業で暮らしても、謎マナーはあるし。瓶のラベル上向けたり、ハンコを傾けたりetc...
そんなことを考えながら古民家カフェに入るとまた違った趣があるかもしれない。
とはいいつつ、あんまり斜に構えたことしてたら、純粋に楽しめなくなるから、モラルに反したことはせず、その場だけの出会いや会話を楽しんだ方が良いと思った。
▼この記事のYouTube動画▼
限界集落の旅-群馬県甘楽郡南牧村-『日本一幸齢者が多い村』
群馬県に移住し牛乳配達に明け暮れながら『南牧村』に通っていた。
※前にも一度書いた内容かもしれないが改めて書く。
▼南牧村公式サイト▼
南牧村は日本一『幸齢者』が多い村だという。
『幸齢者』とは書いて字の如く『幸せな高齢者』のことで、限界集落だけれども高齢者が幸せに暮らせるよう、そして人が移住したくなるように、村長さんが先頭に立ちWifi環境を整えたり、経済的に充実するように助成金を得るために奔走している。
『高齢者』を『幸齢者』と置き換えるあたりに弱小コピーライターの私は「コマーシャルな村だぜ」と思った。
南牧村を立ち寄ったときには知らなかったが、かつてはかなり貧しい村だった。戦後間もない頃には貧しさゆえの凄惨な事件があった。過去の重大事件が掲載されたサイトなどで取り上げられているため記載しないが、後に南牧村で起こった事件を知ってから村の年長者の笑顔を思い出したときに、貧しさを乗り越えて、キラキラと目を輝かせて力強くで暮らしている姿に人間の強さと、何か怖さも感じた。
コロナ禍でもう、気軽に行くことはできないけれどももう一度この村の人に会ったときにはその当時のことを聞きたくなるに違いないが、空気を読んで聞かないだろう。
※ムービーばかり撮ってて写真が少ない。
RPGよろしく村を歩いて情報を聞いて回る。
『営業は足で稼ぐ』というのは時代遅れだけれども、ネットに繋がってない場所や人を探すには結局、足かぁ、と思いながら歩いて回った。
聞き込みをしているときに、村人は村人のことをしっかり把握していると思い知らされることがしばしばある。
お婆さんに村の知恵者の情報を聞き込みしている私の後ろを一瞬で横切った車を全く見ずに、「今、後ろ通ったのが村長の車で・・・」とお婆さんが話し始めたときには関心するやら怖いやら。ノールックのまま結構な速度で横切る車を見切るお婆さんの周辺視野に驚かされた。
村長にお話を伺う為に役場を訪れた。
住民生活部の方や村長にお話(人生訓など)を伺った。
※2019年当時
■役所の男性(56歳)
・人間関係の作り方
「お互い様って気持ちは大事です。その上でしっかりとお年寄りの意見を聴くこ
と」
時代に合わなくなったしきたりを変えるか否かで高齢者と意見が対立しそうなときに、そのしきたりの背景には何があるのか、どういう歴史のもと現在のやり方に落ち着いたのか本質を知った上で議論する必要がある。
「意見する相手に年齢差がある場合は、直接相手に言わず間に人を立てる必要があります」
若い人間がシニア世代に正論を言った場合、「なんだ若造が!」と反感を買ってしまいかねない。なぜならシニア世代の方はこれまでの人生のルールが、心臓の鼓動や血液の流れのように生活の一部になっているため、急なルール変更は心臓麻痺に繋がるのである。冷静に話し合いを行うためには、シニア世代と年齢の近い方に味方になってもらい『シニア世代』←『中間の世代』→『ヤング世代』の構図で徐々に変えていくのが良いらしい。
今三十代の私は既に中間の世代に入っていて、やがてシニア世代に入り『自分は淘汰される』という被害妄想に囚われつつ、新たな中間の世代に解される日が来るらしい。嫌である。まだ誰の意見も解せてない『中間の世代』でも若輩な自分がシニアになった姿を想像するのが嫌である。実際ここ数年、誕生日を迎えることに気が進まない。不死は嫌だけれども不老にはなりたいと思う今日この頃。
「輪投げはスポーツです」
南牧村では、グランドゴルフと輪投げが空前のブームである。
誰でも参加できて皆が楽しい輪投げは月に1回村で開催されるサロンでも頻繁に練習が行われ、シニアの輪投げ技術の向上が目覚ましい。また社会福祉協議会による輪投げ大会(65歳以上の方限定参加)が年に2回開催される上、会場である南牧村活性化センターへの送迎用バスが出される。
オリンピックで輪投げが正式種目になればシニアも参加できる上に『ご長寿早押しクイズ』みたいなミラクルが起こるのではないかと思ったが、一笑い求めてオリンピック競技に推すのは下世話だし選手村が荒れそうだから、その案は無いと思い直した。
「田舎暮らしでは自ら進んで馴染もうとする気持ちが必要です」
田舎で家に鍵をかけるなんてナンセンス。農作業を手伝ったり、食べ物をお裾分けしたり消防団へ参加したり世間話をしたり、積極的に村の人と交流していく必要がある。
■村長(65歳男性)
「南牧村の良いところは人です。たとえば詐欺の訪問販売集団がこの村のお宅を訪ねたとしましょう。村の住人は詐欺集団を家に上げてお茶とお菓子を出してお土産まで持たせて帰らせます。それくらい人が良いです」
話を聞きながら、人の良さも度を越すと狂気じゃないですか?と思っていた。
・元気な生き方
「自分を甘やかさない。厳しい生活環境に身を置くことが大事なのだと思います。客観的に見て独居老人は強いです」
村に住むシニア世代の6割が独居良人である。独居老人は掃除、洗濯、食事の準備など身の回りの世話を自分一人でしなければいけないためボケている暇がないそうだ。
とはいえボケたらどうなるのだろうか。
ボケた人がいたらどうするんですか?救済措置は?補助は?対応する人はいるんですか?何となく怖くて聞けなかった。
・幸せな生き方
「この村で生まれ育ち、一生村を出ないまま死んでいく農家の方もいる。だが都会の人間と比べて、できることが少ない訳ではない。百姓とは自然から学び得た知識で百の職業を身につけた者のことである」
自分の食料を確保して収入も得るのだから農家の人は凄いに決まっている。ただ、これをポジティブにとらえすぎて、自分が働いている環境を注意深く伺えば多くのことに気づけるかもしれない「やっていることがしょぼい」「学ぶことがない」なんて考えるのはナンセンスだと意識高く持つのは違うと思った。というのも自分が20代の頃にやったアダルトサイトの更新業務は自己紹介(男性に)するとき以外、役に立たなかった。好きな人以外やらない方がいい。
・文化について
「感動とは今とっさにつくった言葉の中には無く、文化やバックボーンといった、うん百年積み重ねた信頼の中にこそある」
先人たちの格言を集めている私に対しての指摘。
ずっと前に自分が関わった飲食店の企画で、店のバックボーンに日本の歴史を組み合わせて深みを設えようとして失敗したことを思い出した。自分達が創った深みは、結局、何も世の中に浸透しなかった。あまつさえ、深みが必要だと皆で言いながら、深みにこだわり過ぎた、深みにはまった、と、何か深みに親でも殺されたかの様に反省したが、本当はこだわりが過ぎたのではなく、自分達に歴史の深みを語るだけの教養がなかっただけだったと思う。
役場でお話を拝聴したためか、若干、村のPRを含んだ人生訓だった。
村長さんは色んな人に会い、様々な会議に出席し南牧村をPRしている。コロナ禍でも元気でおられるだろうか。私にわざわざ時間を割いていただき、村一番の農作業の達人を教えてくださるなどサービス精神豊富だった。
写真が少ないため動画を載せておきます。
▼2年前に作ったYOUTUBE動画(今見ると…)▼
次回:村一番の農業の達人に会う
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▼限界集落旅のYOUTUBEも公開しています(あまり更新できてませんが…)▼
限界集落の旅-民泊がインターネットに勝った?話と地域おこし-
最近、滋賀県長浜市湖北の民泊『キシダハウス』のオーナーと話したときに良いなーと思った部分をメモ。コロナ禍でも色々取り組んでおられた。
▼キシダハウスに宿泊したときの記事▼
※限界集落旅で訪れたが、滋賀県長浜市湖北は限界集落ではない。
観光でこの地に来たシンガポール人曰く『ここには禅がある。最高にクールさ』。
コロナウイルスの影響で客足が遠のき、滋賀県長浜市湖北の民泊『キシダハウス』も苦しい状況ではないかと思ったが、オーナーはそんなことは意に介さず、長浜市の動きに合わせて前向きな取り組みを進めていた。
湖北長浜市の取り組み
【市民みんなが長浜観光大使】
■市内対象施設を利用する人にクーポンを支給。
・宿泊料金:5000円割引
・飲食料金:3000円割引
・観光施設:1000円分のクーポン
■期間:2020年7月1日~8月31日(食事、観光施設のクーポンは9月30日まで利用可能)
・長浜市民が市外に住んでいる友人を連れてきた場合にも、柔軟に対応してもらえるとのこと。
キシダハウスオーナーの取り組み
【じもともん結成】
飲食店、民泊、地域おこし協力隊で湖北を盛り上げる『じもともん』を結成。
長浜市内の横の繋がりを強化して地元の良いものを長浜市民、市民以外問わず広める。
※じもともん:地元の人(者)、物を表す滋賀県の言葉。
■じもともんメンバー紹介
・「ライダースハウス日本何周」(西浅井町)
琵琶湖の風情が突き抜けている民泊。キシダハウスオーナーも嫉妬してるとか。
・「十割蕎麦坊主bar一休」(高月町)
昼は蕎麦屋、夜はバー。お坊さんのポップな説法で心を浄化してもらえるかも。
・「地域おこし協力隊」(西浅井町在住)
・「kishidaHouse」(湖北町)
コミュ力お化けのオーナーとガールズトークも楽しめるスーパーホスト認定民泊。
【目標、活動内容】
『横の繋がり広げていきたい』
『湖北をもっと知りたい』
『湖北の生産者と繋がりたい』
湖北の生産者との繋がりを強化し地元の魅力を多くの人に広める。
湖北産の食べ物を「故郷納税」から流通させる。
【食べ物リスト(2020年6月現在)】
長浜市のどんな『じもともん』をフォーカスするかはメンバーの審査で決められる。
・湖北産コシヒカリ(現在2つの農家さんのお米が決まっている)
・湖北の山、湖、土の恵みをふんだんに含んだ佃煮2品
・赤カブの漬物他
・酵素シロップや蜂蜜
実店舗での販売も行う(現在、販売店1店舗決定)。
勿体ないことに長浜市には地元の人達すらも知らない『歴史』や『良いもの』がある。
一方で、長浜市の持つ『価値』に既に気づいて、発掘し、紡ぎ続けている人達もいる。
この人達が上手く繋がれば、長浜市のポテンシャルを最大限発揮できるのではないか?
という地元の魅力を信じ切ったチームである。
たまに過疎集落の居酒屋で遅めの夕飯を食べていると酔った村人が集落の行く末をぼやいていたり、「ポテンシャルはあっても魅力はない」と分析的に語る人もいるため、地元の魅力を信じ切って、周りを巻き込み、横の繋がりを大きくしながら活動範囲を広める「思いの強さ」は貴重で大事である。
『思いの強さ』というとフワっとしているけれど、かつて僕が某過疎集落の、めちゃくちゃ思いが強くて活動的なお爺ちゃんから聞いた「若ぇ頃、村のためにやった活動」が「え、それは犯罪ではないですか?」と言いたくなる様な内容だったときに(こちらはもう話を流すことしかできなかった)、善悪はどうあれ何をするにしても、結局のところ原動力になるのは活動に取り組む人達の『異様な思いの強さ』なんだろうなと思えたから大事だと思っている。周りを気にせず自分を信じて突き進む。500万回は聞いた少年漫画のような思想を地で行える人。キシダハウスのオーナーはそういう人で、企画が難航しそうなときも仲間たちと都度修正を加えて仲間を増やして進んでいくと思われる。
長浜市で『じもともん』日々新連中である。
民泊オーナーがインターネットに勝った?
余談で横の繋がりや思いが形になった身近な例として、
キシダハウスに宿泊したカップルが『焚火をしたい』と言ったことがあった。あいにく焚火の燃料になる木材はその場に無かったのだが、オーナーが角材を余している知り合いに連絡し、あっさり角材を調達。カップルはオシャレな焚火を楽しむことができましたとさ。めでたし。めでたし。
焚火の環境を即座に整えるなんて、かなり男前な対応やなと思って、
「Amazonとか楽天でも燃料を注文したら翌日まで待たなアカンのに近所に相談して秒で調達するとか、ネットに勝ってますやん」と言ってしまった。
別にインターネットと勝負する必要は、全く無いのに。
そして配達速度だってアスクルで発注して今日来るくらい早いから、明日まで待たなくていい場合もあるのに。
そもそも人生勝ち負けじゃないのに。
ただ、多分これから配送技術がドンドン発達して、どんな場所に住んでいても短時間でドローン等が届けてくれるようになったときに『超、便利だなー』と感動するのとは別に『この質素な環境でこんなことができるのかー』という侘び寂びのから生まれる喜びに値打ちがあるのではないかということを表現したかった。
『じもともん』の活動で長浜市の横の繋がりを強くなり『琵琶湖しか見どころが無い。でも、雰囲気は最高』という場所にも今後、新しい魅力が発見されるかもしれない。
かつて長浜市を訪れたシンガポール人が言った『ここには禅がある』という言葉は多分本当で、そのうち長浜市に千利休みたいな侘び寂びの趣ある人が増えるかもしれない。
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限界集落の旅-群馬県で牛乳配達をする-
2019年の3月頃「ちょっと手伝ってくれ」といわれて、牛乳配達員になった。
というのも、僕に限界集落巡りを命じた牛乳配達会社社長の群馬支店で配達員が足りなくなったため、ちょうどいいから、当時20歳の社長の息子と一緒に群馬県に行ってくれと命じられたのだった。
え?と思ったけれども「僕みたいなものでよければ」と二つ返事で了承し、一週間後には群馬県に移り住んだ。どれくらいの期間、牛乳配達をすればいいかは未定で1か月とも2か月とも無期限ともいわれていた。
やってみたらこの仕事が僕にぴったりと合っていて、のめり込んだ!
…ということはなく地獄が待っていた。
僕は毎日のようにミスをした。
もちろん会社に嫌がらせをするためにミスをしているのではないが、どれだけ注意をしても何かしらミスをしてしまうのだった。一つのミスが別のミスを引き寄て、シナジーを生み、新たなミスの発生させる。良かれと思ってやったことも全て裏目に出て、何をやっても駄目だった。
僕は綱渡りをするかのように慎重に、一歩も足を踏み外さず、正確にミスをし続けた結果『針の筵』が完成した。
お客さんにも仕事先にも迷惑をかけて申し訳なかった。
毎日、罪悪感にさいなまれながら働いて、ミスをしなくなるまで数か月程かかった。
配達の際には色々と気を付けることがあった。
牛乳配達のポイント一部抜粋
■お客さんに商品を受け取ってもらう
牛乳配達屋はお客さんの家毎に置かれた受け箱に商品を入れる。
ここで大事なのは『商品を入れて終わり』ではなく『お客さんが受け箱から商品を取るまでが配達員の仕事』だということである。
例えばその次の週に受け箱の中に手つかずの商品が残っていたら、その旨をお客さんに伝えないといけない。そして取り忘れの商品は品質管理上持ち帰ることや、代金は一週間分負担してもらうことを了承してもらい、今後は取り忘れの無いように受け箱の位置を調整するなどのアフターフォローもしなければいけない。その際に『今後も取り忘れるかもしれないからもう止めるね』と言われかねない。
商品の取り忘れは解約に繋がるのである。
だから必ず商品は受け取ってもらわないといけない。
商品を間違いなく回収してもらえるのも牛乳配達屋の腕なのである。
■お客さんとのコミュニケーション
牛乳配達屋には夜中に配達をしているところもあれば、朝から昼にかけて配達しているところもある。朝から昼に配達していると、お客さんと顔を合わせる機会がある。その際になるべく『商品は美味しく飲めているか、最近の体調はどうか、何か変わったことはないか』などを聞いて、現状の商品に満足しているか把握しておく必要がある。
例えば『飲むヨーグルト』を注文しているお客さんの場合、夏場は問題なく飲めていたが冬場は寒くて飲めないから止めたいと言われることがある。そのときには『食べるタイプのヨーグルト』等を提案して、お客さんの体に無理なく、飽きないように。続けてもらえるように工夫をする。
何しろ薬ではなく健康的な商品を扱っているのだから、やめるとせっかく改善された体質が元に戻ってしまう。それでは勿体ない。
■文字は大きく、声はゆっくりと大きく
宅配牛乳を申し込んでいるお客さんはシニアの方が多い。お客さんに何かを伝える場合には大きな声でゆっくりと話す。また、メモの書置きで何か伝える場合には大きな文字で書く必要がある。
他にも多々あると思うが、大事なのは『配達とは商品を届けて終わりではない』ということであるようだ。
『場所に届けるんじゃない。人に届けるんだ。』
というクロネコヤマトのCMコピーは正しかった。
奥が深く難しいところもあるが、配達業希望でお客さんとコミュニケーションをとりたい人には最高の仕事である。
牛乳配達をしながらも、群馬県で限界集落旅も続けていた。
これがまた旅をした次の日に牛乳配達でミスをすることが多かった…。
この頃、心がへし折れかけていたが、それはまた別の話。
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限界集落の旅-東京都西多摩区檜原村-一度、死のうとした人と知り合う
東京都西多摩檜原村の重要文化財『小林家住宅』のナビゲーターしている作家さんに『言葉』の楽しみ方を聞かせてもらった。その途中、作家さんの携帯電話が鳴った。
▼前回の記事▼
小林家住宅から150m程山を下ったモノレール乗り場にお客さんが来たらしい。作家さんはモノレールで山を下りバイク乗りを連れてきた。
バイク乗りはがっちりした体格に茶色いロン毛と少し下がり気味の目尻が特徴の37歳くらいの男性だった。昔、ちょっとだけ働いていた風俗ポータルサイト運営会社(今は無い)で僕より後に入ってきた人に雰囲気と声が似ていた。そしてその人に6万円貸したことも思い出した(お金はちゃんと返ってきた)。
バイク乗りの男性が普段は檜原村から1時間くらいのところに住んでいて、たまに檜原村にツーリングしにくるらしい。作家さんとは知り合いらしく何か話しながら小林家住宅にやってきた。みんなと合流し雑談した。
バイク乗りの男性は30代に差し掛かった時に自殺未遂を経験していた。
仕事を辞めて実家に引きこもった男性は、親の世話になっている自分が嫌になり、死ぬプランを考えた。
実家で死ぬのは迷惑がかかるから、死ぬならどこかの橋の下で。
シラフで死ぬのは怖いから、死ぬならお酒で意識を飛ばしてから。
そして、準備万端死ぬために橋の下で盛大にお酒をあおった。
恐怖を忘れて心臓を一突きするために可能な限り意識を飛ばした。
気づけば家の布団の中にいた。
目覚めたときには『あれ?』と思ったという。
「人間死のうと思ってもなかなか死ねないもんだね」
体は生きようと努力する。しかも、風邪をひかないように暖かくしようとする。
自分のしぶとさに気づいて以来、頑張って生きることにした男性は現在、食品工場で勤務している。
風俗ポータル会社で出会ったあの男性も今、元気に生きているだろうか…。
30代で死のうとしたってことは、つい最近のことですか?
「いや、十年以上前だよ」
え?10年?
「俺、50歳なんだ」
えっ?
「親も若く見られるから遺伝だな」
バイク乗りの男性は53歳の彼女がいて、たまにお孫さんと遊んであげるらしい。
「俺、結婚歴はないけど、結婚せずとも孫ができたからすげぇ得した気分なんだ」
あの日のバイク乗りの男性は今頃何してるだろうか。久しぶりに会ってみたい。
バイク乗りの男性は今まで大阪人に会ったことがないらしく、僕の話す関西の方言を珍しがっていた。
「なんでやねんって、使わないんですか?使いたくならないですか?舞い散る桜の花びら一枚一枚に、なんでやねん!なんでやねん!ってつっこみを入れてみたくなんないですか?」
そんな、なんでやねんの無駄遣いしないですよ。なんでやねん一発の重みが減っちゃいますもん。桜もボケで散ってるわけではないですし。
などといいながら小林家住宅の営業時間も過ぎたのでモノレールに乗って下山することになった。
作家さんがモノレールに帰り分のガソリンを補充した。ペットボトルに入った薄い麦茶かエナジードリンクみたいな色のサラサラした液体をモノレールに注ぐところは男心をくすぐった。
行きのモノレールは乗客が2人だったけれども、帰りは4人だったので行きのときよりも少し楽しかった。
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限界集落の旅-東京都西多摩郡檜原村-作家さんに言葉の楽しみ方を聞く
2018年のある日、東京都西多摩郡檜原村の『小林家住宅』という重要文化財に訪れた。
この施設のナビゲーターをしてくれる人が作家さんで言葉にまつわる話を聞かせてくれた。
小林家住宅について
重要文化財『小林家住宅』とは
東京西部の山岳地域に位置し、陣馬尾根と呼ばれる尾根筋上、標高750mの位置に建っている。檜原村では古くかラ炭焼きを行っており、当時小林家樹唄うは木炭の作業や運搬に尾根道利用などの周辺環境には適していた場所と考えられ、自然と共生しながら暮らしていた人々の生活をしのぶことができる。
重要文化建造物としての建築的特徴をご覧いただくことはもとより、健徳を活用した地域活性化の拠点として、山間部の暮らしの追体験、山歩きと連動した立寄り場所やイベントなど、観光協会のの企画事業、地元の団体との共同事業等公開と活用を行っている。『重要文化財小林家住宅見学のご案内』より引用
【見学期間及び時間】
4月1日~10月31日 午前10時~午後4時まで
11月1日~3月31日 午前10時~午後3時まで
【休館日】
毎週火曜日(冬季期間は積雪等により臨時休館になる可能性あり)
檜原村HPより引用【予約連絡先】
小林家住宅管理棟
090-5543-0750
受付時間 開館日の9:30~16:00(冬季:15:00)
※写真は下記のリンク先よりご覧ください。
▼小林家住宅▼
旅をしながら日本の各地には『〇〇家住宅』という歴史的施設が沢山ある事を知った。各所の『〇〇家住宅』はどれも古く、建物の形を維持するのはやはり難しいようだった。建物の内部の土壁が猫に叩き落されたり、外装が損傷したりしていて、修理されていた。そのため思っていたよりピカピカで昔の建築デザインを現代の技術で再現したような雰囲気がした。ヒトの体を少しずつ人工物に替えていって、どこからが基のヒトじゃなくなるのかを考えるような不安な気持ちになった。
小林家住宅にはモノレールに乗って移動する。
金属を素組したような線路が山の傾斜に沿って150mくらい続いていて目的地まで10分くらいで到着する。木々と山の風景に囲まれた道中で小林家住宅のナビゲーターさんがこの景観の観光ポイントを教えてくれた。
モノレールが一時停車すると右側の山を見るように促される。
「あの山の形がね、山という漢字の原型になったんですよ」
へぇ。
「その位置で見えますか?」
あぁ、ちょっと見づらいです。
「では少し動かしますね」
ガガガガ。
「どうですか?」
まだ、はっきりと見える位置ではなかったが微調整してもらうのが悪いような気がして、そうかー山ですか、とか言いながら写真を撮って後で確認することにした。
ただ冷静に考えると『漢字って中国から伝わったものではないのか?』と疑問が湧いてきた。しかし日本には文字が伝わったとされる奈良時代以前に使われていた『をして』などの神代文字があり、それが海外に伝わって加工されて漢字になり、日本に逆輸入されたという説もあるそうだから、そういう類の話なのか?と思ったが何かあまり足を踏み入れてはいけないことのような気がして質問はしなかった。ちなみ小林家住宅のナビゲータをしている人は作家さんである。色んな歴史的な情報に詳しいのだろう。
小林家住宅に到着した。ナビゲーターの作家さん(69)の他に70代の男性がいた。
自己紹介も兼ねて旅の事情を説明した。
僕ね日本各地の過疎や限界集落を巡って人生の先輩たちに人生訓を聞いて回ってるんですよ。すると作家さんは、かつて永谷園の社員も全国の名産物を調査するために日本を旅させられたという話をしてくれた。
そして作家さん自身も全国の名物を調査して一冊の本にまとめて世に発表したことがあった。思わぬ共通点に親近感があった。
僕の地元大阪府だと何が名物ですか?と聞くと『水ナス』他だという。
この当時、僕は東京に住んでいたシティボーイだったため後日、国会図書館に行き本を手に取って読んでみた。本には諸事情で数カ所行けなかった県があったが、車で移動すること実に3万キロ、各地の色んな食べ物の情報が掲載されていた。大阪府の『水ナス』の情報もばっちり載っていた。
▼本の情報▼
言葉の話
話題は作家さんのコピーライティングの仕事に移った。
というのも僕は肩書上コピーライターである(実力弱小で、ここ数年まともなコピーやネーミングを作ってないが)。
『言葉』について何か教えてほしかった。
仮面ライダーの名乗り口上について
作家さんはかつて仮面ライダーの脚本作りにかかわっていたらしい。
「昔、仮面ライダーV3の名乗り口上『天が呼ぶ 地が呼ぶ 人が呼ぶ 悪を倒せと俺を呼ぶ』ってつくったんだ」
『天知る 地知る 我が知る 人が知る』をもじったらしい。
意味:誰も知らないと思ってても、天地の神々、私、君も知ってる。悪事や隠し事は必ず露見するという意味。
※楊震が王密の賄賂を断った際の言葉。
既存の言葉を背景にしつつ、新たな意味を重ねるスマートな手法だと思った。
ただし後日、wikipediaで調べたところ、『天が呼ぶ 地が呼ぶ…』は仮面ライダーストロンガーの名乗り口上であることがわかった。ちょっと何かモヤっとした。
『言語空間』について
『言語空間』とは、言葉の間に人が想像できる空間を設けること。この部分にメッセージを込める。そしてこのメッセージで読む人とキャッチボールができるものこそが未来に残る物である。残る物は人が上から押し付けるような物ではないという。
『言語空間』を松尾芭蕉の句を喩えに説明してもらった
『荒海や佐渡に横たふ天の川』
この松尾芭蕉の句を聞いたときにどう思うか。大体以下のようになる。
- オレには関係ないね。
- 芭蕉が言っているんだからすごいんだろう(ブランド志向)。
- 言葉の空間を意識しようとする人。
佐渡島は金の採掘等が行われる地であり、流人の島でもある。あら波立つ日本海。沖の方から聞こえてくる波の音を聞くと悲しみがこみあげてくる。
流人:政治犯、人殺し、時代の都合が悪い人達。
言葉の空間を意識すると、随分と言葉の感じ方、楽しみ方が変わってくる。
受け止めた言葉をどう味わうかがその人の位。
「霊長類の人間。犬猫じゃない。物を創り出せるんだ」と語る。
1996~1997年にフジテレビ系列で放送されていた松本人志によるお笑い番組『一人ごっつ』で開催された『全国お笑い共通一次』で、用意された言葉を組み合わせて面白い言葉を作る問題の模範解答が『エレキの』と『ギター』を結びつけた『エレキのギター』だったのを思い出した。
『エレキのギター』という言葉はありそうでない。『の』なんかいらんやろうという面白さを感じてほしいとのこと。これも言語空間なのか。
「言葉は最高の忖度」
人に思いを投げかけ、人からの思いを受け止める。言葉とはそういうもの。
言葉は人間の生き方を教える
文学部は意味ないって話を聞いたりするんですが本当ですか?
「文学は『哲学』してますか?って言われる」
文学や言葉は人間がどう生きるべきが教えてくれる哲学だという。だから大事だと。
物事をリセットしたくなる→人間は汚れていると思うから。
物事を突き詰める(良いこと含めて)→結局、自分の醜いところに気づく。
「良いことも悪いことも、突き詰めれば結局、同じ内容になる。人はとらわれ過ぎ」
哲学本は難しくない
ニーチェとかサルトルとか哲学本が難しく感じるのには理由があるという。
「難しい海外の哲学本は翻訳家が下手だから。そして小難しく書くからダメ。そうなるのは書き手の技量不足。例えば、赤信号でに気づかずに進もうとしている人を制止しようとしているときの表現なら「Wait.」「Look.」これでいい」
※お勧めの翻訳本は平凡社の『西遊記』。西遊記は仏教、哲学、業を乗り越える良い話。
なかなかのプレミア価格。
ちなみに、この作家さんの握力は90キロ。
琉球唐手の師範的な仕事もしていたらしく、トンファーの扱いにたけているため握力が強いのだ。たしかにアボカドくらい叩き潰せそうな拳をしている。
また癌を患っていたが自然療法で治したとかオカルトなことを。
「酵素を摂取していたら臍の近くから黒いひも状の物がチュルチュル出てきて治った。今思えばあれががん細胞だったんじゃないか?」癌細胞とはそういうものなのか?
その特別な酵素を溶け込ませたジュースを飲ませてもらった。癌の治療の他、アトピー等のアレルギー症状も緩和させられるらしい。梅の砂糖漬のような味がした。美味。
良いことを教えてもらった充実感と、漢字の件や仮面ライダーの件で微妙に胡散臭さが残るのが良い。臭ぇジンギスカンの様に癖になる。
追加調査として次に小林家住宅に行ったときに『仮面ライダーストロンガー』の件や『桧原村の山が漢字の山のモデル説』を改めて聞きたい。そのときにしっかりとした説明が聞けたら幸いだけれども「そんなこと知らん」といわれたら、すごく怖い。
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