限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落の旅-東京都西多摩郡檜原村で宮大工さんに仕事論を聞く(2)-

東京都西多摩区にある『檜原村』で宮大工の爺ちゃんに突撃インタビュー。仕事論を聞いた。話が進むにつれて、この爺ちゃん、真面目で職人気質な格言の間にオヤジギャグを挟んできてはツッコミを待つ、ひょうきんな爺ちゃんだということがわかった。

▼宮大工さんインタビュー前編▼

genkaishuraku.hatenablog.com

 

-日々の努力の仕方-

大工は5年10年できるもんじゃない。探求することが必要だと爺ちゃんは語る。
城の床下に潜って構造を研究してみたり、鳥居の一部だけを写真に撮って徹底的に分析したり、外出時に気になる構造の家があればその家を訪問して見学させてもらっていたという。

「クエスチョンがつけばとことん追求する。50歳くらいまでやっていたかな」

 

屋根には『男』と『女』の区別があることや、神社を参拝して手を合わせるときには右手を左手よりもやや下げて合掌すること(左手:神様 右手:自分 という区別があります)、木は木目の偏りによって将来的に曲がる方向が決まっているから柱にする木材は数年後の曲がり方を予想しつつ建具に使うこと、屁をこいた相手には敬礼をすることなどを教えてもらった。『屁』のくだりでまた爺ちゃんが僕をキラキラした目で見ている。何かに気づくことを期待している。

 

-今のも駄洒落ですか?-

というと爺ちゃんは、あぁ気づかんかったか、と少し悲しそうに微笑みながら、

「陛下!(屁ぇか)」と良く通る声で敬礼した。

 

そうか、屁ぇか!『陛下』で『屁ぇ』か!

ボケを説明させられるくらい照れることはそうはないよなぁ、申し訳ないなぁ。そう思いつつも、この緊張感はツラい…、と思い始めていた。

 

話は建築に戻る。爺ちゃんの建築ちょっと昔ばなし。

かつて爺ちゃんの元で修行していた大工志望の中学生がいた。この中学生がなかなかの力を秘めていて、爺ちゃんが特に何を言ったわけでもないのに現場の技術をいつの間にか自分のものにしていった。「(金づちや鋸を使う)音を聞けば実力の程はわかる」と爺ちゃんは語る。やがて中学生は卒業を迎える。学業優秀だった中学生は進路相談の時に学校の校長先生から「頭が良いからもう勉強はいい。大工に修行に行け」と後押しされた。なんかもカッコいい校長先生である。ヒトは無知だから、バカだから学校に行くといったところだろう。

 

爺「まぁ、人生、島倉千代子だな」

僕「い、色々ですね!」

初対面の人間に良い話をしつつオヤジギャグを差し込むスキの無さと強心臓。そして気づいてもらったとばかりに、ちょっと嬉しそうな爺ちゃん。ボケる人には『突っ込み』をしなくても『気づき』でも喜ばれるらしい。

 

 

続いて人生の楽しみについて話題は移る。爺ちゃんは『日本凧の会』に入っているという。
この会のことは子供の凧あげ教室で知ったらしく、今も凧を造っている。自分で凧を造り、絵を描く、それが商品になるような程、上手い。でも、爺ちゃんは決して自分が作った凧だと名前を出さない。「上には上がいるからな」とストイック。
爺ちゃんは凧の他に能面も造っている。酒を飲んだあとの顔の油を能面に塗って風合いを出すとのこと。能面に妙な迫力というか、念がこもっているような趣を感じる理由は製作の手法にあるのかもしれない(この能面は写真に撮らせてもらいましたが、作者の意思を尊重して未掲載。でも本当によくできている)

「ストレスで悩んでいる暇ないよ。自分が好きなことして生きてられるもんな」

仕事に趣味に夢中で生きているからストレスなんかすっ飛んでるか、感じている暇もないんだろう。オヤジギャグを挟んでくるのも、悩まずに生きるための知恵なのかもしれない。

 

爺ちゃんには終始、柔和な雰囲気の中で下記のように職人の熱量を感じることも聞かせて貰った。
「負けて悔しくて泣く気持ちが必要。今度は負けないように」

「物はよく見るようにしている。次第にバランスがわかってきて、どうしたらいいかわかる。手造りと機械製では、ちょっとした歪みとか味が全然違うね」

「相手がモノになるかどうかわかるっていうのは、自分が相手と同等かそれ以上ってこと」

「慣れりゃどんな仕事でも楽しい。ただ、慣れてくると怖いこと(失敗)もする」

酒も飲まず職人の道を追求しつつ、それでいて、きちんと仕事の合間に食事をしたり趣味を楽しみ気持ちの緩めどころをつくっている。気持ちのコントロールの仕方を知っているかどうかが職人で生きていくために必要な技術の1つの様に思えた。オヤジギャグもその1つの仕掛けなのだろう。

 

-毎日めちゃめちゃ充実してはりますね-

「お母さんくらいかな」

 

-は?-

「まぁまぁかな(まぁまぁ=ママ=お母さん)」

 

センスに狩野英孝氏を感じる爺ちゃんだった。

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檜原村の草ヒロ

 

次回:檜原村の居酒屋さんで絡まれる。

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限界集落の旅-東京都西多摩郡檜原村で宮大工さんの仕事論を聴く(1)-

2018年の春から初夏にかけて、東京都の『檜原村』でいろんな人の人生論を聴いて回っていた。この時は檜原村の南部にある『人里(へんぼり)』という集落で情報収集をしていた。人里の五社神社で「この村にやってまいりました者です。よろしくお願い申し上げます」とお参りをした後『へんぼり堂』というゲストハウスを拠点に、聞き込みを続け、人生論を語ってくれそうな人を探した。すると『人里には腕の立つ宮大工さんがいる』との情報を聞き、早速、大工さんの仕事場に向かった。『五社神社』のお導きか?ありがたや。

 

 

▼へんぼり堂▼

henborido.net

 

▼人里集落▼

明治9年に和田組と事實(ことずら)組、上平組が合併した集落とのこと。「へんぼり」という名称はモンゴル語の「フン(人間)」と新羅語の「ボル(集落)」が変化したという説などがあるが真偽は不明。養蚕が盛んな地域だったことから蚕塚に適した「かぶと造り」と呼ばれる屋根をした民家が見られる。

村人のノリが関西に近く(個人的な感想)檜原村自体が古墳時代に近畿圏から移動してきた人によって作られたという説は正しいんじゃないかと思ったりした。

▼人里の養蚕について書かれたサイト▼

http://machinokatachi.main.jp/13/13_hembori.html

 

五社神社

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五社神社

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五社神社

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五社神社からの風景

奈良時代につくられた本尊五大明王が祀られている。もともとは『大日如来
不動明王』『牛頭(ごず)明王』『金剛夜如明王』『 軍多利明王』の5体が祀られていたが軍多利明王は行方不明とのこと。何か都市伝説のにおいがしなくもない。また、この風景を見てもらうとわかるように結構高い位置にあるため石段の段数は多い。でも気持ちのいい景色。

 

【宮大工兄弟 兄(71)弟(69)】にインタビュー

宮大工のお爺さん(71)は弟さん(69)と一緒に仕事場で作業中だった。

仕事が終わるのを待って、仕事場近くの自宅に移動した後、話を聴かせてもらった。

勝手に来た僕にお茶とお菓子まで出してくれた宮大工ご兄弟。優しいなぁと思う。ご兄弟の家にはお孫さんの写真が沢山貼ってあった。

 

-お孫さんにどう接していますか?-

「小さくても小遣いやるかわりにバイト代わりに畑仕事を手伝わせてた。子供のころから仕事の仕組みを教えていれば嫌がんないよ」

労働とお金(小遣い)が等価交換だという仕組みを教えていたから仕事に対して後ろ向きな気持ちにならないとのこと。

 

-親は子供に対してどう接するべきですか?-

「子供が小さい時から親の背中を見せる。できないことでも、できるってとこを子供に見せてやらないとな」

例えば、幼稚園の課題で親が何かしらの工作をして持っていかないといけなくなった場合、親の手先が不器用だとしても周りの人に手伝ってもらったりして、8割くらいは形にして残り2割は親が頑張って作り、子供に、親はできる人なんだよ、という姿を見せる必要があるという。そして、そういうことを親に教えないといけないんだよな、と親方は語る。

 

-仕事をする上で大事にされていることは何ですか?-

「33歳から毎年人間ドックに通っている」

体は資本。いつでも最高の状態を維持できるように管理をしている。

ちなみに日帰りドックの費用:37,300円(税別)

▼人間ドック▼

www.ningen-dock.jp

 

 

「お酒を飲むのはダメ」

お酒を飲むと今夜やろうとしたことをやらなくなる。気分が良くなってシャアナイ!気持ちになるからどんどん遅れるね。と親方は語る。基本的に普段はお酒を飲まないらしい。

 

話は進んでいく。

出されたお茶菓子(チョコ類)を食べるのを遠慮している僕に向かって親方は「こういう茶菓子はチョコチョコ食べるもんだ」と言い出した。この韻の踏み方、もしやと思ったら駄洒落だった。ニヤリとする親方。親方は駄洒落が好きらしく、会話の間に駄洒落を忍ばせてくるようになった。果たしてうまくツッコめるのだろうか。

 

「努力は隠すようにする。相手が休んでいるときはこっちも一緒に休む」

仕事仲間への気遣い。休むときは休めるようにする。

 

「相手に気は遣うようにしているよ。…俺、大工だしな」

数秒の沈黙、気づいた?気づいた?みたいな顔をしている親方。

【解説】

「気を遣う」→「木を使う(大工だから…)

この親方、隙あらばボケてくる。やはり古墳時代に近畿圏に住んでいた人達が檜原村に移住した説は濃厚か。

 

「現場でご飯を食べるとミスに気づける。仕事場をぼんやり眺めながら、飯時はリラックスしているから、仕事中には気づかない驚くようなことに気づく。寝転んでても気づくよ」

緊張状態が続くと見落としに気づかないため、仕事場でリラックスできる時間をつくり、落ち着いて見直すこと。

 

「クヨクヨしない。何やってきてもどうにかなってきたんだから」

70年以上生きてきた人が言うと、何でもどうにななりそうな気がする。しかし、親方は宮大工の道を追求するためにした努力をこの後知ることになった。<続く>

 

次回:東京都西多摩郡檜原村で宮大工さんの仕事論を聴く(2)

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限界集落の旅-東京都西多摩郡檜原村のご住職に人生観を聴いたらホッとすることを言われた-

東京にも村がある。上京したら行ってみたいと思っていた東京都の村『檜原村』に向かった(2018年春)。ここに住む人生の先輩方に『人生とは何ぞや』と質問しに行った。※『檜原村』は都心から西に向かって進みんだ西多摩に位置する人口2000人程度の村である。人口の大まかな推移は『江戸時代:3000人』→『戦前:6000人』→『現在:2000人』。

 

村には『払沢の滝』や『九頭竜の滝』『小天狗滝』『竜神の滝』etc...をはじめとした滝廻りができる。

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払沢の滝


 

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払沢の滝(遠いアングルから)


帰る頃にはマイナスイオンでふやけてしまうんじゃないかというくらい瑞々しい。

払沢の滝では冬の期間に完全凍結する日にちを当てるイベントが開催されている。

▼払沢の滝祭り詳細▼

hinohara-kankou.jp

その他にも、寺カフェや古民家の『小林家住宅』、ゲストハウス『へんぼり堂』、豆腐が美味しい食堂、温泉『数馬の湯』、食べ物では『新じゃが』が美味しく、『檜原紅茶』や『檜原烏骨鶏』といった独自の名物開発にも余念がない。ポテンシャルの塊である。

 

この時は春だったから桜の景色も写真に収めた。

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人里(へんぼり)バス停の枝垂れ桜

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夜の枝垂れ桜

見どころをしばらく歩いたあと、とりあえずお寺で話を聴いてみよう、と思い『人里(へんぼり)』という集落の『玉傳寺』に向かった。

▼玉傳次が運営する寺カフェ▼

www.syu-un.jp

各地の名言を聴きに旅をしていると説明すると、お寺ご住職(61)の人生論を聴かせてもらえることになった(日にちは改めることになった)。※寺カフェは村に休憩できる場所をつくろうと思い始められたとのこと。

 

勝手に押し掛けたのにも関わらずお茶屋お菓子などを出してもらい、いやそんなお構いなく、といったところ「我々も人から色んなものを貰い。出された物には遠慮しなくていい」とご住職に言われたのが印象的だった。

 

いろんな人生の先輩方の生き方や考え方を聴いて旅しています。そんなことを言いながら話を始め、しばらく雑談した後、ご住職は最近の人生の考え方についてこう語る。

住職「今は年齢に0.7かけたのが実年齢」

かつて人生50年と言われた時代よりも寿命が延び人生80年になった(0.7かけたら大体50代に収まる)。人生は7掛けで人生を見た方がいいという。人生100年になったら0.5かけるようにする学生運動の頃の大学生が大人びているのも、美魔女が出現したのも7掛け以前と以後の違いなのかもしれない) 。

 

-檜原村は村おこしに熱心なように思います-

住職「今やってる村おこしは150年はかかる。この活動は結果を求めると今生きている人達は誰も見れないだろうから皆がっかりする。だから過程を楽しむ」

檜原村では村おこしの一つとして山に樹木を植えてライトアップし村を彩る取り組みをしている。今も既に一部はライトアップされていて夜の景色を鑑賞できる。

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桜の季節のライトアップ

(この写真はほんの一部だけなのでライトアップの様子を矮小化してないか心配です)樹木を植えて、育てて、樹木の持つ美しさのポテンシャルを引き出すようにライトアップするにはものすごく時間がかかるし、結果がどうなるかわからない。だから結果を求めると自分たちの気力が失せる。「自分たちが田舎生活を楽しまないと若いものは帰ってこない」とご住職は語る。

 

良い結果(未来)を求めるからしんどいことでも頑張れるのだけれども、過程を楽しめないと病んできて結果も何もどうでもよくなってくるから、日々どうやって楽しむかというのは自分にとってめちゃくちゃ大事だな…と思う今日この頃。会社へは結果を出すために頑張らることが大事で、個人には過程を楽しむ努力が必要で、後者をどうするかで悩んでいる。なかなか楽しく暮らせない。

 

-この仕事をしてきて感じてきたことはありますか?- 

住職 「どんなに優秀でも一人では生きられない。これは理論ではなく住職という職業柄、実感してきたこと」

職業柄いろんな人に助けてもらい生きてきたご住職。だからこそ『人はいるだけで価値がある』と語る。なので何か人との関係で自分にとっての不都合があれば人が悪かったのではなく「縁が悪かった」と思うことが大事だとのことサイコパスな人とかたまにいるけどね…)。

 

-人の幸せとは何でしょうか?-

住職「普通の人が普通に生きていけること」

2500年前から伝わるお釈迦様の教えで『中道を行け』という言葉がある。これは極端に偏った考えをすることは簡単だけれども、極端に偏った考えは人を自分や他人を不幸にする傾向があるといこと(思想や宗教や教育でもそうですね)。だからこそ『偏るな!(ここでは一休さんも)端っこ渡るべからず』なのである。普通に生きるために大事なことは情報に振り回されないことだとご住職は語る。偏らず程々に、情報を鵜呑みにしない。人を見るときも細部だけを見ずに全体で見る。

 

人間誰しも何かしらの思想や曲がらない部分があるし、どうやっても『この人はこうだ』と思いこんでしまうときがあるから『普通に生きている人』『普通の人』ってほとんどいないのではないかと思う。そしてもし普通の人がいたらその人はかなり『優しく』て『いい人』なんじゃないか。普通を極めることは難しいらしい。

▼普通の意味▼

[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。

デジタル大辞泉より引用

 

従来の『普通』の意味とは違うものとしてもらえた方がいい。『普通』は奥が深い。

 

-人は何のために生まれたのですか-

住職「人間(生き物)は遊ぶために生まれた」

猫の様にじゃれあって、できれば人の役に立って。それができれば最高だとご住職は語る。というのも、人間は自分が得るよりも人に喜んでもらうことの方が幸せだからである。人はサルの何倍も表情筋が豊で、相手を慮ることができる。だからこそ猿から人間になれた(都市伝説で諸説あるダーウィンの進化論とはまた別の話で)。集団で大きくなれた。

住職「人間は得るよりも人に喜んでもらった方が幸せ。人間の本性です」

そしてそれがわかっていれば『人間捨てたもんじゃない』という本質に気づけるサイコパスな人とかたまにいるけどね…)。

 

■他にも印象的だった言葉

『老いていく者と育っていく者がいるからバランスが取れている』

『母性は学習するもの』

『家庭の歪は弱いものに行く』

 

ご住職だけあって不安を取り除くような言葉が多かった。話を聴いている最中、救われるような気持になった。ご住職にお礼を言ってお寺を後にした。

 

次回:東京都西多摩郡『檜原村』の宮大工さんの仕事論を聴く(1)

 

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限界集落の旅-街中の限界集落『多摩ニュータウン』の人たちに人生とは何ぞやインタビューした(2)-

前回の続き:東京の街中にある限界集落多摩ニュータウン』の愛宕地区を徘徊し、道行く人生の先輩方にインタビューを行ってみた。競馬好きのお爺ちゃん85歳やハキハキした92歳のお祖母ちゃん、ガテン系な82歳(推定)のお爺ちゃんに話を聴いた。戦争体験者は苦労が多くやはり堂々としていた。

 

▼前回の記事▼

genkaishuraku.hatenablog.com

 

愛宕地区をうろうろしながら、今回は戦後生まれの人たちに聴いた人生訓をまとめた。

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愛宕地区周辺(撮り方が悪くてすこぶる暗い)

 

 

▼家庭菜園を耕していた夫婦▼

ご主人63歳

-辛いことがあった時はどうやって気持ちを切り替えたらいいですか?-

「会社に行ったら悩み忘れる。仕事しなきゃいけないからな。そんで忘れるくらい大し た悩みじゃなかったんだなと思う」

会社はお金がもらえて悩みを忘れられる逃げ場だという合理的な考え方。ただ、仕事での悩みはどうしようもないかもなと思っていたら、悩んでるなら友達とか女つくるといい、というアドバイスを頂く。さらにご主人はこう続けた。
「悩まないことを心掛けてみな?悩みなくなるよ」

心掛けてからこの境地に到達するまでに、心が折れる可能性がある…。

よくある怖い話で、鏡に映った自分に向かって『お前誰だ』と話しかけてるうち自我が崩壊するという実験を応用して、鏡に映った自分に『俺は悩んでない』と話しかければ暗示をかけられるかもしれない。

 

-座右の銘はなんですか?-
川の流れのように時の流れに身をまかせ。時には娼婦のように。これが私のポリ シー」

日本歌謡曲から引用。人によっては「別にそんなことないですよ」と言われるらしい。当てはまってるかどうかはさておき、自分の生き方をJ-POPのタイトルや歌詞から見繕うと面白い。


-夫婦の関係を円満にするにはどうすればいいですか?-

旦那さん「(妻には)思いやりも何も無い」

奥さん「えぇっ?」

旦那さん「相手のことは考えるけど、思いやりってなると堅苦しいから」

奥さん「(そういうことか)まぁ、あきらめ。なれあいね。」 

旦那さんの意見を受けて奥さんにも意見を伺った。

奥さん60歳

-夫婦の関係を円満にするにはどうすればいいですか?-
「二世帯住宅じゃなくていいから、親に頼れる距離で住む」

見張りというか、抑止力というか、身近に相談できる人がいてくれるといいといった考え方。そしてこう締めくくった。

 

奥さん「60過ぎたら笑ってニコニコして楽しく生きないとね」

旦那さん「今まで楽しくなかったってことか」

奥さん「そういう訳じゃないけど」

人前でこんな軽いやり取りができる関係が良い夫婦なんだろうと勝手に思った。

話を聴いてる途中で一度、アンタの目的は何だ、と問われて変な感じになったが“先人の知識を集めてます”と答えたら、色々と話してくださったからありがたい。

お礼を言ってまた出発した。

 

再び団地周辺に戻り辺りをうろついた。

70歳の主婦2人に話しかけて『(相手が嫌なら)辛抱する必要ない。離婚してすぐ良いのが見つかるかもしれないし』『嫌だと思って変なのとストレスためてまで一緒に暮らす必要ない』

といった今まで集落巡りとしていて聞いた『夫婦生活には辛抱が必要』という理屈を覆す意見を頂き、さすが都会はクールだわ、と田舎の集落との違いを感じた。

結局、何が正しいかわからんくなったところで、もうそろそろ帰ろうと思い駅に向かった。すると駅に向かう道中、気持ちよく缶ビールを飲んでいる男性を見かけた。この日の最後に話しかけてみることにした。

 

▼孤独の飲兵衛▼

最近の日本の若い人についてどう思っているか聞いた。

「漫画ばっか読んで、馬鹿が増える。漫画大国なんて馬鹿にされてる」

今の日本人は学ばなさすぎる、鈍感すぎる、と飲兵衛さんは語る。

「なんで勉強した方がいいって?そりゃ自分がそういう思いをしたからだよ」

※ちなみに日本アニメ産業の市場規模:2兆1527億円(アニメ産業レポート2018年より)

 

-勉強とは?-

「金を稼いで生活するための技術を学ぶことが勉強するってこと。物事を考える勉強が必要」飲兵衛さんは海外の事例を引き合いに出してこう語る。

「ヨーロッパでは家業や技術を身につけ。仕事を継ぐことで、まずは稼ぐ環境を整えている家が多い。日本は意味も無く大学にとりあえず行って無駄にバイトして時間を費やす傾向があるため良くない」

やる気の無い日本人がバイトしても稼ぐ技術は身に付かないし、日本人より安くなおか つやる気満々で働く外国人スタッフに負ける。だから「バイトしたって社会で使える人間は育たない」と飲兵衛さんは語る。「(稼ぐ)能力が無い人間はこれから必要とされない」

 

-働き方改革について-

働き方改革なんてとんでもない。女性が子供を育てる時間もなくなって、男性と同じ くストレスや疲労を紫外線のように浴びることになる」

母になり子育てをする女性に教えなければいけないことがあると飲兵衛さん。

例えば、勉強しなさい、出世しなさい、お父さんのようにヒラで稼ぎも少なくて良いの?勉強しないとお父さんみたいになっちゃうわよ!?そういう母親の言葉が父親を愛する子供の心を引き裂くこともあると。勉強はしなければいけないが、そういう接し方は良くないと。愛憎、矛盾、交じり合った言葉に、大人ひいては親とは気が狂いそうになるほどしんどい道だと、どれだけ勉強しても上手くいかないことが人生だと、話だけで辛くなってきた。

 

酔っているにも関わらず下ネタもなく理論だった受け答えで、逆にこちらへ質問を返してくる。的確に答えられない僕に、人に聞く前にあなたがもっと勉強せねば、と次第に説教オヤジモードになっていくあたりはやはり酔っているからなのか。圧倒される僕。しかし、会話の節目節目に『今の世の中、女性の教育が悪い。家で父親の居場所がないからここにいる』とか『あなたの時間がよかったらマクドナルドでコーヒーでも飲みながら話をしようか』などと、この男性の境遇を匂わせる言葉から哀愁が伝わってきて、説教されても嫌とは思えない妙な感覚になった。

 

-これからの人生をどう生きますか-

「残りの人生は好きなことして遊ぶ。遊ぶってのは好きな学問をすること」

自分が心から好きなことを好きなだけを誰からも結果を求められずに追求できる環境は楽しいだろうなと思うと、頭から幸福物質がジワーっと出た。そういう人生が送れるようになるまでどれくらい時間がかかるのだろうかと思って吐き気がした。

 

-そのほか飲兵衛さんの格言-

「日本は会社にいることが仕事」

「日本は“就職”ではなく“就社”」

※他にもありましたがカット。

 

別れ際になぜか私に「ありがとう」と言った男性。ひょっとしたら愚痴る相手が欲しかったのかも。少しでも何かの発散になったとしたら幸いです。

 

次回:東京都西多摩郡檜原村のご住職に人生論を聴いたらホッとすることを言われた

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限界集落の旅-街中の限界集落『多摩ニュータウン』の人たちに人生とは何ぞやをインタビューした(1)-

東京の街中にも限界集落がある。

ジブリ映画『耳をすませば』の主人公『雫』が住む街のモデルになった多摩ニュータウン愛宕地区(あたご)は限界団地と呼ばれる集合住宅もその一つで、高齢化に拍車がかかっている。限界集落化の理由は高度経済成長期に同世代が多く集まったものの、高度経済成長期の後、所得が上がらず住民の入れ替えも上手くいかず、一気に高齢化が進んだためである。

 

村ではなく限界集落化の進む街で暮らす人生の先輩方が人生をどう考えているのか聞きに行った。

 

 

2018年の5月頃の多摩ニュータウン

多摩ニュータウンのある京王駅の改札を出ると、駅前ではイベントが開催されていて、売店や汗だくの大道芸人の周りに集まる人だかりの中には子供や学生も多く、思っていた限界集落化のイメージとは違った。駅の中にはマクドナルドや牛丼屋などのファストフード店が並び、駅周辺には飲み屋も沢山軒を連ね賑やかだった。

 

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多摩ニュータウンの様子

駅からどのくらい離れたところで雰囲気が変わるのだろうと思い川沿いや158号線沿いを歩くと、飲食店やガソリンスタンドなどの便利な店があり、住宅も一軒家も集合住宅も多く、駅前のイベントとの対比で静かになる程度で、まだ、そこまで何かしらの『限界』は感じない。ただ徐々にすれ違う人の年齢が上がってきて、愛宕地区に到着する頃にはほとんど人とすれ違わなくなった。

 

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愛宕地区周辺

愛宕地区の団地で突撃インタビュー

 

団地の近くに小さな公園がいくつかあり、そのうちの一つでお爺さんがベンチに腰掛けて新聞を読んでいた。話しかけてみると、気さくに対応していただけた。この時85歳になるお爺さんは競馬を予想していた。

 

競馬好きな85歳男性

-競馬好きなんですか?-

「競馬は勝ち負けじゃない。馬を観るために行く。 馬は正直。ビリでも最期まで一生懸命走る。人間もこうじゃなきゃなって思う。」

お爺さんは、勝つためではなく馬という生き物のショーを見に行く心持ちで2000円もって競馬場に行くという。入場料2000円でアタリ付きのショーだと考えると競馬の印象も変わってくる。でも、のめり込むのは絶対。

 

-(85歳ということで)戦争を経験して思うところはありますか?-

「食料の大切さも、人間経験しないと本当のことはわからない。成長しない」

仕事も食糧事情も戦後に生き延びるにはかなり苦労したらしい。それをふまえてこう聞いた。

 

-最近の若者には、なかなか仕事が続かなかったりしますが、どう思われていますか?-

「ひらに避難できないんだよね自分も3回仕事は変わったから」

お爺さんは運送業やバスの運転手等、時代に応じて必要な資格を取り、自分の周りの環境に合わせて仕事を変えてきたという。

会社が傾きそうになったら、資格取得、そして転職の準備をするしたたかさは見習いたい。高度経済成長期の前後で姿を変える街そのもの様に生き方を変えてきたご主人は「いつの時代でも、生きてるうちは生きにくい世の中だよ」と語り、

「仕事は辛抱足んなくて辞めてもいい。いろいろ経験した方が良いから」と続けた。戦争を経験した人だからか言葉の随所に、とにかく生き延びることを考えないといけない、という考えが見える。旅をしている最中に戦争経験をした人に話を聴くとこういった意味合いの言葉が出ることが多い。

 

85歳になり、ボケ気味で昔のことがわからなくなるというお爺さんはこうも続けた。

「ボケるのは死の怖さから人を救うための神様からの贈り物なのかもな」

ちょっと哀愁を感じる。ボケられると周りは結構困っちゃったりするけどね。

 

-昔の先生って怖かったですか?-

怖かったね、とお爺さん。

「怖い先生だと子供は伸びない。怖いのが先に立って、何もやってみようと思わなくなるからね」気が弱かったんだろうお爺さんの過去を感じる意見。

 

-仕事や日々の生活で人間関係を築くために必要なことは何だと思いますか?-

「外交で皆一生懸命に仲良くなろうとすれば、戦争も無くなるんじゃないかなって思う」

 

その後、しばらく雑談してお礼を言い別れた。

公園を出て団地に沿った道をしばらく歩くと元気なお母さんが庭の草を抜いているのを見かけて話しかけてみた。

 

▼ 肝っ玉母さん風92歳女性▼

-子育てで大事なことってなんですか?-

「仕事がキツいってこと、はじめっから教えなきゃね。 しんぼうを知らないと、すぐ人刺しちゃったりするからね」いっちょ前に働く前にヒトとして生きることは苦しいのだと刷り込ませておかないといけないという。

 

肝っ玉母さんはハキハキとこうも続けた。

「のほほんとしてちゃだめ。 お坊ちゃん育ちが楽して出世なんか無理よ。 私が言うのもなんだけどね」 バイトをしないのは駄目。お金を稼ぐことの苦労を知らないと独りでやっていけないわよ、と語る。さっきの85歳のおじさんより7歳上だからか、より長く戦前戦中の苦しさを体験しているため結構ズバズバ言う。聴いてて割と気持ちいい。討論番組にでも出たらどうですか?といった感じである。

 

「今は本当楽よ。スーパーに行けば何でもあるし」

戦時中を生きた人にはスーパーマーケットはかなりの革命だったのか、豊富な食べ物をいつでも買えるという幸せは代えがたいものらしい。『食べ物に不自由しない』ことが人間の幸せの根源なのかもしれないと思った。

 

 

お礼を言って別れた。

また、団地の周辺をウロウロと徘徊してみた(不審者に思われていないだろうか)。すると今度は体格の良いお爺さんと出くわした。杖をついて歩いていたものの、いぶし銀の顔立ちとガテン系の迫力を感じ、ちょっとたじろいだが話しかけてみたら色々と話を聴かせてもらえた。

 

ガテン系82歳▼

-おいくつですか?-

「自分の齢なんて忘れたな」

いきなりぶっきらぼうガテン系セリフ(勝手なイメージですが…)。ご本人曰く『たぶん82歳』らしい。自分の子供の年齢も大体でしか覚えていないとのこと。ちなみに職業は元土建屋らしく、見た目の通り本当にガテン系だった。

 

-今、お散歩中でしたか?-

「風が強くても坂道を歩く。毎日な」

ただの散歩ではなく、どうやら鍛錬の最中に話しかけてしまったようだった。しかも体を甘やかさず、平地ではなく坂道を歩くというストイックな鍛錬散歩の最中に話しかけてしまった。ちょっと申し訳ない。そして、答えてくれるこのお爺さんの懐の深さよ。

 

-お子さんにどう接しておられましたか?-

「夏に2日、正月に3日しか休み無かったから飯の時くらいしか子供に会えなかった。で もまぁ、その時、良いことと悪いことは伝えてた」

昔の人は良く働く

 

「“知識”は経験の積み重ね。新聞や本を読むことじゃない。そうしたら自然と世の中の 動きも見えてくる。馬鹿でも賢くても、それは一緒」

『世の中の動きが見える』という特殊能力は誰でも身に付くという。頑張って長生きしていればそのうち特殊能力に目覚めるらしいから『自分には何の能力も無い…』と思って卑屈な気持ちにならくてもいいらしい。目覚める瞬間がちょっと楽しみである。

 

-土建屋になられた理由は何ですか?-

土建屋になったのは何となく。他の人より手が少し器用だったから。人生なんて ちょっとのきっかけで大きく変わる。手が器用で別の大学に行ってたら、職人になっていたかもしれないな。 多くの人が自分のなりたい夢の通りにはいかない。ただなんとなく。しょうがなく。自然に生きている」

 

ガテン爺さんは僕が30歳(当時)だと知るとこう語った。

「30代一番良い時。焦んなくて良い仕事も結婚もまだまだ選べる、失敗もできる時期だ」

失敗するのは怖いですけどね。仕事や転職でうまくいかずに苦しみの渦中にあると、なかなかそうは思えないんですがね、人生を長く生きて、振り返るとそう思えるらしい。

 

「人間どっか悪くなると、他は悪くならない」

ガテン爺さんは片目がほとんど見えず、もう片方の目もあまり見えないというが、耳がものすごく良かった。

 

-仕事場で人間関係を作るには何が一番大事ですか?-

「人間関係つくるのは呑みの場じゃない。普段の行い。人は誰かしら見てるから」

数百人の職人を束ねる親方数十人との人間関係を築くのは簡単ではなかった。しかし別段すばらしいことをしなくても、後ろ指さされる様なことをしなければ、人間関係は築けるとガテン爺さんは語る。そして、最近の企業についてこうも語った。

「最近の大手の上役、下の人を育てるのが下手になってきたとのこと。詐欺とか横領とかして、そんな先輩は尊敬されないし、部下も真似するから良い人間は育たない」

 

「先輩が模範だ。後ろ指さされる様なことしちゃいけない」


「泣かせることも、人を仕込むってことだよ。これができるかできないかで会社の良さが決まる」

当時、僕の近くに新卒で建築屋の見習いをしている知り合いがいたからその子を引き合いに出して、知り合いの新卒の建築屋見習いの子が仕事で怒られて泣いていたりします、と言った。

「それだ!それが大事なんだ」ガテン爺さんは熱くなった。仕事の出来だけでなく社会生活を行う上での常識やモラル、礼儀作法を教育する場が今の世の中減っちゃったのかな。


「(人間関係を築くには)自分で自分を見張る。反省しながら」

素晴らしいことをするのではなく自分の悪い部分と向き合うこと。後ろ指を指されないこと。これらが良好な人間関係をつくるきっかけになるという。

 

お爺さんの鍛錬(散歩)の続きもあることだし、この辺りでお礼を言い別れた。

 

次回:街中の限界集落多摩ニュータウン』の人たちに人生とは何ぞやインタビューした(2)-

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限界集落の旅-栃木県日光市の串焼き屋で対物事故を起こした-

栃木県日光市限界集落に人生の先輩にこれまでの人生経験や生きるための知恵などを聴いて回った。夜も更けてきたので何か食べてから帰ろうと思い、

日光市の串焼き屋に立ち寄った。

 

10台くらい停められる駐車場に入りバックで駐車しようと開いてるスペースを探した。

運転技術に自信が無いから普段はバック駐車をあまりしないし、真っ暗だから気をつけねばと思っていた。

思っていたが

 

『ゴリっ』

 

後ろから鈍い音が聞こえて、車の動きが遅くなった。

なんでこんな暗がりで不慣れなバック駐車をしようと思ったんやろう、とゲンナリしながら車を降りて被害の状況を確認。

 

僕が停めようと思っていたスペースには別の車が駐車してあり、その車のフロント部分に右斜め45度くらいの角度でこちらの車が接触していた。時計の針でいうと『2時30分』の形になっていた。

ゆるゆるとバックしたため大きくへこんだりはしていなかったが、相手の車のフロント部分には縦に数センチ程度の傷ができていた。

 

「このまま黙って走り去ればバレないんじゃないか?」

心の中のワルい人が囁いた。

「誰も見ていないんだしこのまま帰れば誰にも気づかれないんじゃないか?ぶつかられた車の持ち主は気づくだろうけど、この程度の傷なら1週間もすれば車体に馴染むんじゃないか」

 ワルい人が理詰めで外堀を埋めてきた。

でも、それに屈してしまったら日々先人の知恵を聴いて、為になるな、と思っている清らかな心を否定てしまうことになるから正直に謝ることにした。

 

お店に入り、車をぶつけました、と 事情を説明した。

店内には数名の男性客がいて、ぶつけた?誰のだ?俺のか?どんな状況?と不穏な空気になってしまた。

 

ざわついた後、ぶつかった車の持ち主はお店のおかみさんだとわかった。一緒に車の傷を確認してもらい車屋さんを呼んだ。

「せっかく、ご飯を食べに来たのに大変なことになっちゃったね」

ぶつけた犯人を気遣う優しさが申し訳ない。車屋さん曰く、傷は小さいが相手の車のナンバープレートにまで傷がついてるからプレート取り替えになるのではないかという話をしている。

後日、事故報告書を書き、その後は保険会社と車屋さんを介して事故の処理することになり、この夜の事故の話が一通り収まった後、車屋さんとお店の料理人(息子さん)と僕の3人で食事をした。

 

車屋さんと、この店の料理人さんが学校の先輩後輩の関係だという話を聞いたり穏やかな事故後の時間を過ごした。

 

これが人を轢いていたり車を大破させていたりしたら、こうはならなかったかな、不幸中の幸いか、と思いながらご飯を食べた。焦ったのかほっとしたのか、この時何を注文したか忘れたが美味しかった。車は借り物のため、借主に平謝りした。

今後、気をつけよう。

 

次回:街中の限界集落『多摩ニュータウン』の人達に人生についてインタビューした(1)

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限界集落の旅『栃木県日光市日向(旧栗山村)』-マムシの旨みを教えてくれた和食屋-

栃木県の日光市中三依という集落で、自治会長さんや自給自足の家族、カフェを経営するガタイのいいお爺さんに『人生の格言』を聴いてきた。こうした旅の合間に寄った飲食店のオヤジから『珍味』『名言』を頂いた。

▼前回の記事▼

genkaishuraku.hatenablog.com

 

 

山水庵

中三依集落から121号線をくだり、下の赤丸部分のグレー色の道を右折して23号線に移り、曲がりくねった道を進む。さらに右折して真っすぐ進んだ先の右手に見える『山水庵』という和食屋に立ち寄った。

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『山水庵』

旅の途中に何度か店の前を通ったが入店は初めて。「いらっしゃい」

快活なオヤジさんが出迎えてくれた。

盛り蕎麦を注文した。『松や自治会長さんの店)』で食べた手打ち蕎麦と同じく、並みの量のはずなのに、やはり1.5倍くらいの量の手打ちそばが出てきた。『知り合いにサービスしているうちに徐々に盛る量が多くなってしまった理論』を教えてくれた『松や』のオヤジさん。実際にこの理屈が正しいのか『山水庵』のオヤジさんに聞いてみたところ、ウチはそんなに忙しくないときに盛っちゃうね、とのこと。

理由は店舗ごとに異なるが栃木県の山間の店でそばを注文するとしれっと1.5倍の量が出てくると考えてもよさそうである。

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『盛り蕎麦』街中での大盛の量がしれっと出てくる。

オヤジさんはかつて高級料亭で働いていた経験があるため味はバッチリ旨い。

醤油ベースの麺つゆは『松や』と同様だが、やや味が繊細な気がした。

夜の20時頃だったせいか他にお客がいなかったため、なんとなくご主人と話こんだ。

 

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店内

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店内(イギー?)

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外観(夜間)

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外観(昼間)


【心霊スポット?】霊感のある人が通りたがらないポイント

「どの道から来たの」

「この店の、多分、東から。三依からの山道を通ってきました」

「あの道、霊感の強い知り合いが、絶対通りたくないってんだ」

「えぇ?」

下の地図の赤丸で囲った23号線のことである。

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霊感強めの人が通りたがらない道

 

「ちょっと!そこ通って帰るのに…」

あの曲がりくねった道は確かに暗くて寂しかったし、恐ろしげである。僕は霊感が全くないから実害はなかったが、本職の方や神経質な方が行くと、何かしら感じる以外にも見えたり聞こえたりするかもしれない。とはいえ徳島県美馬郡つるぎ町のお寺のご住職に『霊は居るには居るがそんなに居ないし、居たとしても悪いものじゃない』また、『人は思い込みで生きている。霊も多くの場合、思い込みが人に霊を見せている』と教えてもらったため、割と冷静な気持ちだった。

ただ、車のライトを反射した、目ギラギラの鹿はパッと見、妖怪変化の類に見えるし、ぶつかると廃車になる上、罪の呵責にも襲われるため霊よりも厄介である。

 

ただ、霊ではなく人間はいるかもしれない。田舎の山間部は人知れず人生を終わらせようとする人が訪れる傾向があるらしく、他府県のナンバーが掛かった車が道の脇に長期間停まっているとみると、駐在さんや住人はとりあえず、車の窓から車内を確認するというのを別の集落の人から聴いたことがある。

よく都市伝説や怖い話で『都会から田舎に訪れて夜になり、温泉まで歩いていると、途中の集落で住人に見られて不気味だった』という展開があるのは、本来、観光客が歩くはずのない時間に外を歩いているから、何が目的なのか気になるからだと思われる。

そして、一方的に不気味さを感じた観光客が土着の風習と結び付けて都市伝説化するといったところなのだろう。

「別に勝手に死ぬやつのコトなんかどうでもいいじゃないか」と思われるかもしれないが、後に行方不明者の捜索に山の中を散策しなければならなかったりするため村の人からしたら迷惑な話らしい(しかもだいたい見つからないという)

 

とはいえ、山水庵のある場所は『栃木県日光市日向(旧称:栃木県塩谷郡栗山村大字日向)と呼ばれる地区で“ひなた”というだけあってめちゃくちゃ日当たりがいい。晴れの日に陽の光をキラキラと跳ね返す鬼怒川を横目にドライブすると清々しい。

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鬼怒川(冬)

 

究極のオトナの遊び

話はオヤジさんの趣味の話になった。

「究極のオトナの遊びは狩りだよ」

そう語る通りオヤジさんの趣味は狩りである。狩猟解禁になると山に出かけて鹿やサル猪といった害獣に分類される動物たちを撃ちに行く。これがなかなかスリリングかつシステマチック。『せこ(追う人)』『たつ(待つ人)』に分かれて、ターゲットを追いやり、逃走ルート上に先回りして、タイミングを見計らい撃つ。

撃った動物は市区町村や国から報奨金が出る(価格は各地域により異なる)

狩猟の難易度は動物により異なるが、一番難しいのはサルだとのこと。

圧倒的な組織力で山中への侵入者の情報を瞬く間に群れに拡散し、抜群の身体能力でハンターの前から姿を消す。さらに猟銃を持っていない人には攻撃をしかけてくる。サルを一回も撃ったことがない人には強気に出て、猟銃を持たないうちはサルにいじめられるらしい。

 

▼【図説】猿からの仕打ち▼

genkaishuraku.hatenablog.com

猿を撃った経験のないヒトが猟銃を持たないうちに山に入ると『岩落とし』の刑を処されるという。「猟銃を持ってなかった頃は、ホント猿にいじめられたよ~」と語るのは栃木県の狩猟家の男性。猿が小さい岩を転がし、その岩が少し大きい岩にぶつかるのを繰り返して、猟師の元には大きめの岩が落ちてくる

勿論、猟銃を持っていたとしても命の危険はあったり、2年おきの講習や猟銃メンテナンスを手間を差し引いても何事にも代えがたい趣味だとオヤジさんは語る。

撃った動物は自己責任でありがたく肉を食べる。

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鹿の骨

胃の調子が悪い時はマムシの胃を食べると良い

マムシを見ると旨そうにしか見えないんだ」

続いて食の趣向の話になった。オヤジさん曰く、マムシが旨く、特にメスだけが持っている卵は珍味とのこと。また、マムシは乾燥させると薬にもなる。例えば胃の調子が悪い時にマムシの胃を食べると、お腹周りが嘘みたいに暖かくなり、汗が出て、不調も治ってしまうという。

「胃の調子が悪い時はマムシの胃を食べると良いよ。マムシは頭を潰して皮はいでも体が動いてるからな、凄い生命力だよ。そりゃ薬にもなるって」

 

 

マムシの毒について】

・主に出血毒、若干の神経毒(即効性と高い致死性)

・症状:たんぱく質を溶かし血管組織破壊。激痛と内出血による腫れ。手当てが遅れると循環器、腎臓への障害。

・注意する期間:6~10月(メスが妊娠中で食欲旺盛かつ、神経質になっているため気づかずに近づくと襲ってくる恐れがある)

毒の強さ:LD50=16 (mg/kg) ハブの約3倍

被害状況:咬傷被害3,000人/年 死亡10人/年

死亡率:0.3~0.4%

低いようにも思えるが、日本の蛇での死亡例は多くの場合マムシだという。

マムシの頭の処理の仕方】

マムシは頭に毒を持っているため、頭さえとってしまえば安全らしいが、頭は死後も動くから油断ならない。マムシの頭は土に埋めて処理しないといけない。

 

マムシに噛まれてしまった場合

マムシに手の平を噛まれた場合、手の甲と手の平を通すように傷口に穴をあけ、そこに布を通し毒血を抜く方法があるらしい。かなり痛々しい。

抗毒素血清を投与してもらえる病院に行った方が良いので上記の方法は無視してください。

 

マムシってそんなに手に入るもんなんですか」

「岩場に巣を作るからちょっと崖になったところを登ると居たりするよ」

崖を登るときにはちょっと期待するらしい。

 カエルなんかを食べようとして道に出てきたところをたまたま頭部を車に轢かれたりしたマムシを見ると、いいとこ踏まれてんな、と思ってありがたく頂戴する。

 

マムシ食べてみる?」

マムシ話に花が咲き、ご主人が今、保存しているマムシを食べさせてもらえることになった。しかも、卵を持っているレアものメス。

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マムシの卵

この卵をバターでもってホイル焼きにするというのだ。 なんていう裏メニューがある店なのか、色々、しゃべってみるものである(ちなみに狩猟期間中は、店内に獲物が保存してあればお客の自己責任で食べられる。あくまで自己責任なのでお店側は代金は貰わない)

マムシの卵をホイル焼きにしたのがこれ↓

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マムシの卵のホイル焼き

マムシの卵のホイル焼きは淡泊ながら卵のまろやかさと妙な存在感のある味で、食べてから数か月経った今でも思い出す。芳醇なバターと合わせても、卵の存在感が殺されていないところに強い生命力を感じる。おそらく銀杏の様に調子に乗って食べまくっていたら鼻血が出る類のパワー食だと思われる。

 

マムシに塩を振って焼いたもの↓

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マムシに塩を振って焼いたもの

塩を振って焼いた皮の方はカリカリと香ばしい皮からにじみ出るジューシーな旨みエキスと塩気が合わさり、酒の肴にちょうど良いキャッチーな味だった。どちらもまた食べたいと思った。

 

貴重な体験ありがとうございました。

狩猟期間にまた来ますと言って店を後にした。

 

次回:栃木県日光市川治の串焼き屋さんで対物事故を起こす。

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