限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落を旅する練習をした〜奈良県黒滝村編〜

【前回からの続き】

限界集落に住まう人たちから「生きるための知恵」を拝聴する旅に出ることになった僕。最初の行き先はいずこへ。

 

僕がいきなり限界集落巡りの旅に出たところで、知らない土地で初対面の人に話しかけるのは辛かろう、という知人と一緒にまずは「人に慣れるため」旅の練習(?)をした。なんとも粋な計らいだ。

 

人生とは練習のない舞台だと誰かから聞いていたため大変有難い話である。

などと思いながら車に乗り込み、当時、僕が住んでいた京都から奈良県黒滝村へ出発した。

 

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途中で記念撮影(写真左:私、右:増富社長「心配だから」とご同行)

 

なにぶん僕は方向音痴なもので、どこをどういったかは覚えていないが1時間も走れば車の外の景色は山、田んぼ、ときどき民家といった割合になった。

さらにすすみ、やがて山道に入った。

カーナビを頼りにしながらどんどん進んでいく。次第に山道の舗装がなくなり、道沿いに集落を見つけるたびに「あれが黒滝村とちゃうか?」という会話を3〜4回繰り返し、頭の中の自分が「集落のむこあうは、不思議とまた集落でした」と、ジブリ映画のようなコピーを囁き始めた頃にようやく到着。
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車から降りて一呼吸。

アレルギーや喘息は田舎の空気で治りますよと言わんばかりの清らかさ。

谷間をサラサラと流れる清澄な川面に木々の木漏れ日が静かに反射する様子は日頃、スケルトンむき出しのカフェに「映える」と唸る我々からしたら、日常から一転ゲームの世界にでもやって来たかのようである。

 

もちろん周辺にお店などなく日々の生活に車は必須。

 

さすがやな…と自然に圧倒さらながら我々はあらかじめ話をするご夫婦のお宅に伺った(なんて、いたでりつくせりな練習)。

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ご夫婦に「この村で引きこもりをしてしまう人が出た場合どうされていますか」

と聞くと「引きこもりとはなんですか」という疑問が返ってきた。

衝撃的である。

引きこもり問題がこの村には無いのである。「引きこもりとは」を説明し、その上でこの村に引きこもる人がいない理由はと問うと「いい意味でプライバシーがないからな」とご主人が語る。チャイムもならさず「おるか」と問いながら戸を開ける。それに対して「おるよ」とこたえられる関係性。隣の家の人がどんな状況かわかっているから、心が病む隙を与えず、早急に対応できるという。

※ただし地方だからと言って引きこもる人がいないわけでは無い。後に引きこもりで悩んでいる集落を訪問したこともある。

 

仕事でいうことろの「報連相」をされる前に先回りしているようである。

自ら気にして「確認」「発見」「対応」する姿勢。これはすごくレベルが高い人間関係ではないか。

「プライバシーがない」という言い方をしてしまえばデリカシーが無く、監視し合う村社会というように思えるが、あくまで「良い意味でプライバシーがない」のである。

「仕事で自分の受け持ちを超えて、隣のデスクの人の仕事での悩みを気にする人たち」だと考えるとめちゃくちゃデキる人々で構成された村であるといえる。

(職場で誰も助けをこえず心を病むという話はいかにもありそうだ)

 

このような人間関係の話をしたり、林業全盛期に植林された杉が伸びすぎて家に影をつくる話やそれらを切りたいけれども切り賃が杉の売価を遥かに上回って切れないなどの集落あるあるを拝聴した。

そうこうしているうちに辺りは暗くなり、帰ることになった。

 

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別れの瞬間。

ご夫婦と別れの言葉を交わして車に乗り、窓を開けて車内からもう一度サヨナラをいう。車が動き出す。車を追いかけながら、我々に手を振るご夫婦に思わず「また来ます」と伝えた。

 

運転席には「これこれ!こういうの!旅番組で見るやつ!」とはしゃぐ知人。

もう、ミーハーなんだから。

 

次回:一人で限界集落を巡る<京都編>

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集落巡りのYOUTUBEもやってます。