限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落の旅 - 徳島県美馬郡つるぎ町編(3)『手間替え』と『同じ釜の飯』の効果-

前回までの続き:徳島県美馬郡つるぎ町にある地蔵寺というお寺でご住職から、人とはなんどや、人生とはなんぞや?ということを聴いて勇気が湧いた僕は、ご住職の勧めで、物知りなガソリンスタンドのオーナーに会いに行った。

 

▼前回の記事▼

genkaishuraku.hatenablog.com

 

地蔵寺を後にした僕は物知りなおじさんがいるというガソリンスタンドに向かった。

 

「あら誰かしら」

「うふふ、誰かしら」

 

つるぎ町には普段、他所の人が来ないため、僕が歩いているだけで集落の人たちは異様に興味を示してくださる。ありがたいことだと思い、僕も微笑み返ししながらどんどん進んでいく。

 

何もせずとも周りの人から興味を持ってくださるわ、お寺のご住職に聴きましたといえば安心してもらえるわ、ガソリンスタンドで話しかけるときのハードルが下がっていいなぁと思い、ガソリンスタンドに着いたが、一回素通りした。さらに、もう一回素通りして、遠くからじっと見つめて、額を強張らせて、ホントにここか?という顔をしてからガソリンスタンドの従業員さんに話しかけた。(心を落ち着けるための儀式)

 

旅の事情を話して、外出中のオーナーさんが帰ってくるまで待たせてもらった。

 

しばらくして帰ってきたオーナーさん(以下:物知りおじさん)とそのお母さん(以下:物知り母さん)と僕との3人で話が始まった。

 

まずは物知りおじさんにこの辺りの歴史や農業について教えてもらった。

▼その内容については徳島県美馬郡つるぎ町編(1)を参照▼

genkaishuraku.hatenablog.com

 

物知りおじさん薬について話す

物知りおじさんにこの辺りの民間薬について教えてもらった。

『この辺り』とは言ったものの、いろんな地域に同じような手法があると思われる。しかし、それはさて置き、この辺りでは『サルの焼酎漬け』が赤痢に聴くといわれ治療に使われていた。高級食材としてサルの脳みそは聞いたことあるが焼酎漬けすると赤痢に効くとは初めて聞いた。今でも使っているかは不明だが、資料として写真を見せてもらった。ミノだかハツだか部位不明な灰色の肉片が焼酎に浸かった様は生々しかったが、焼き鳥屋で食べる砂肝も似たような色だと思えば、まぁ、こんなもんかと納得。

※この話のメモ書きに『サルの塩漬け』とも書いてあるのを読み返して気づいたがこれはなんなのだろう。

 

ちなみに害獣『鹿』『猪』『熊』『サル』の中で一番撃つのが難しいのはサルらしい(栃木県の猟師さんに聞いた話)。サルは頭がよく、一度でもサルを撃った人が山の中に入ると即座に群れの中に連絡が回り、人前から姿を消すのだ。人がサルを視認できていないとしても、サルは遠くの木の陰から人の侵入をしっかりと監視しているため、人が気づかないうちに逃げられている。さらに、たとえ人前に出たとしても身体能力も高くそう簡単に撃たせてくれない。栃木県ではサルを1匹撃つと1万6,000円の報奨金が出るらしいがサルに対して鹿の報奨金は1万2,000円。この検証金額の違いからもサルの討伐の難易度の高さがうかがえる。

 

他にもセンプリという薬草が腹痛からの恢復に用いられていたそうだ。

今では化粧品によく用いられる薬草である。

物知りおじさんに、民間薬と現代の科学的な薬はどちらが効きますかと聞くと、今の薬の方が効くと言われた。なんとなく東洋の神秘的な回答を期待してしまったのだが、そう簡単にドラマチックでスピリチュアルな展開は無い。wikiでセンプリを調べると『特に胃の疾患には効果がない』と書かれてあるし、病は気から、回復も気からといったところらしい。

 

▼センプリ▼

ja.wikipedia.org

 

物知りおじさん山を語る

「生活の基本が山。全部自分でつくっている」

山には季節に応じた作物※1もできるし、自分の体や四季の現状に応じた生活ができる。斜面に畑を作ればその分、水はけがよくなりおいしい作物が育つ。さらに薬すらも自然から調達できる山は人のオアシスだった。また、実は山の頂上は平地が多く歩きやすいらしい。平地が生活の基本になったのは国道や鉄道が通った、ここ100年足らずの間であり、本来、水害の心配がある平地よりもむしろ山の方が安全で豊かな生活ができたのだ。そのため、かつて身分の高い人たちは山の上に住んでいた。

※1.自然に山に実る果実を予備食料という。豊富な食糧が実るため、戦時中でもいつも腹一杯食べられた。そういった食料事情から戦後は各地からお嫁さんが大勢嫁いできたらしい。

 

こうして考えると『高いマンションの屋上に住みたい』という人間の感覚は山での生活を遺伝子に刻んでいるからなのかもしれない。高いところに住むというのは、古から伝わる分かりやすい人のステータスで、ヒルズやミッドタウン等の高い位置に住んでいる人たちはある意味、人間の正しい本能に従っていると言えるのかもしれない。

 

この辺りでは高い所を『ソラ』と表し、山での生活を『ソラ世界』と言い、平地に住む人たちは山に登ることを『ソラに行く』と表現していた。なんとシャレた話。

 

では例えば『ソラ』という表現を使って

「俺、将来ビッグになって、ヒルズに住む」

というギラギラしたセリフを言い換えると。

 

「僕、東京で頑張ってソラに行こうと思とるけん」

徳島から東京で成り上がろうとする若者を描いた、朝の連続テレビ小説みたいなセリフになる。朝の連続テレビ小説『ソラに行く』かな。

 

ものしりおじさんの名言集

「農業によって国をおこしなさい」

 日本神話の中で『食』にまつわる神のオオゲツヒメはそう語ったという。

物知りおじさん曰くこの言葉は『人間らしい生活をするべき』という意味があるらしい。『人間らしい生活』とは体を動かし、生きるための活動、すなわち『仕事』をすることである。『仕事』とはあくまでも生活の一部であり、苦しんで行うものではない。人を苦しませる奴隷的な活動は『労働』になる。

そのため自分たちの食糧を作る農業は「苦痛やない。生き返る仕事」だという(ここに年貢といった強制や搾取が加わると『労働』、無農薬栽培といったこだわりが加わると『無謀』とかになるのだと思う)

 

「頭は生きるために使うもの。仕事をするために使わない」

結論の出ないようなことを延々と考えないといけないのは、せこい(疲れる)。そういうのはAIに任せておけばいい、おじさんそう思っちゃうなといった感じのオーナー。

とはいえ、体を動かして人間らしい仕事をするのはデスクワークに染まった人間には難しく、難しいことを処理するために職場にAIを導入させるのも今すぐには難しいし、AIに仕事を奪われる可能性もある。状況はすぐには変わらない上に先行きは不安である。

しかしながら、AIが人にとって代わっても、頭を使えば、幸か不幸かは人によるが、人間らしくは生きられるかもしれないと漠然と思った。

 

確かに、旅で移動したり体を動かしたり風景を見ると、楽しい気持ちになってくる。気持ちが妙に高揚しますと言うと。

「いきいきするでしょ?わくわくするでしょ?それが人間本来の姿だから」

おじさんはそう言わはった。

 

「家族みたいな企業?あるかい!」

松下幸之助のように会社が傾いても従業員を解雇しなかったというのはできすぎた話としても、かつて日本は家族のような会社はまずまずあったようだが、それも今となっては昔の話と語るおじさん。

「家族みたいな会社?あるかいそんなん。本当に家族やったら会社が金ないとき、父ちゃん金くれとは言わんやろ」

てっきり『アットホームな職場』と打ち出す方を言及するかと思いきや、さすがはオーナー、経営者視点。でも、松下幸之助のくだりで経営者としてどうあるべきかに触れているため、決して従業員批判ではない。会社全体の体質がもう、家族ではないのだろう(映画『万引き家族』の方が、まだ家族感はあるかもしれない)。

「あったら書かん。来るわ口コミで」

最近の求人広告にどういう内容が頻繁に書かれているかはわからないが、そらそうだな、無いから書くのだろうなと納得。

 

そして、話はなぜ家族みたいな会社が無くなってしまったか(苦労して家族みたいな会社もあると思いますが限りなく少ないという前提のもと)に移った。おそらく、戦後に過度な競争社会が持ち込まれたからではないかと語るおじさん。競争というシステムを押し付けることで対立を作りやすくし、助け合う気持ちを徐々に奪っていったのではないか。

こうした対立構造とは真逆の仕組みが『手間替え』というシステムである。

『手間替え』とは、金銭のやり取りなしに助け合い、信頼を強くさせる仕組みのこと。

■例

A太郎の田植え仕事をB五郎が手伝う。

(稲刈りの際にA太郎は好意でB五郎に幾ばくか収穫物を渡す)

B五郎の畑仕事をA太郎が手伝う。

(果実が収穫されるさいにB五郎は好意でA太郎に収穫物を渡す)

以下、繰り返し

※こういう仕組みが自然と組み込まれているため、田舎ではドロドロした人間関係でも助け合うらしい。

 

隣のデスクの人が苦しんでいる場合、まぁまぁ、引き継ぎ終わったから…といわず(無理のない範囲で)助けた方が人間関係としては良い。

 

「エエな!釜の飯食べるって。料理の味どうこうじゃなくて雰囲気が旨い。疲れが吹っ飛ぶ!」

僕がかつてお世話になっていた某デザインとかする系の事務所で、昼夜とみんなで食事を作って食べることで程よく調和のとれたチームになっていたことを話した。

「エエな!釜の飯食べるって。料理の味どうこうじゃなくて雰囲気が旨い。疲れが吹っ飛ぶ!」というおじさん。兵庫県の大芋集落を訪問した際に「皆で酒飲んだりしてる時に歌う民謡ってって疲れを乗り切るための知恵だったのかもなぁ」と考察していた人がいた。同じ釜の飯を一緒につくったり食べたり、その場で何かして楽しむことは自分の含め周りの人たちの元気回復に繋がる可能性がある。本当にこれは、僕が体験して効果があったので、できれば誰かに実践してもらいたい。

ただし、人間は強制されると何もかも嫌になる生き物なので、同じ釜の飯を『強要』してはならない。『俺のつくった飯が食えないのかー』『せっかく作ってやったのにー』『団結力がー』などと言って同じ釜の飯に同席しない人を裏切者の如く扱うと、チームに亀裂が走る。生きたくない社内の飲み会ばりにうっとおしい日々のイベントになってしまう。あくまで、あの人が食事をとる暇もなく忙しそうだから自分が何か作ろう、という100%の善意と、あの時作ってもらったから今回は自分がつくろう、という手間替えの精神がないと成立しない、匙加減が難しい飯づくりである。

 

▼【ジブリ版】同じ釜の飯▼

www.youtube.com

 

「幸せになりすぎてよくない」

つるぎ山から湧き出る天然水が水道から出てくる環境や恵まれた食の環境など、田舎の人は幸せに気づかず都会にあこがれるという。仕事の環境などは整っているかといえばそうでもないだろうし、自分たちの育った環境を背負って、活性化させるなんていうのは荷が重すぎる。とはいえ、いい環境や歴史が一部の人にしか知れず放置されていくことが増えるのは切ない。

 

結構長く話し込んでしまった。僕はおじさんにお礼を言ってこの日は帰った。

 

 

過去のことを思い出したりメモを見ながら記事を書いたが、まとめるのが難しかった。最近買った文章の書き方本ならこれくらいの量はメモ書きがあれば1時間でできるらしい。多分、時間がかかる原因は僕が『いい文章を書こう』といきり立っているからだと思われる。

▼最近読んだ本▼

www.amazon.co.jp

 

次回:福井県で守り神に会う

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