限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落の旅-群馬県甘楽郡南牧村-『日本一幸齢者が多い村』

群馬県に移住し牛乳配達に明け暮れながら『南牧村』に通っていた。
※前にも一度書いた内容かもしれないが改めて書く。

南牧村公式サイト▼

www.nanmoku.ne.jp

 

 

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南牧村

南牧村は日本一『幸齢者』が多い村だという。
『幸齢者』とは書いて字の如く『幸せな高齢者』のことで、限界集落だけれども高齢者が幸せに暮らせるよう、そして人が移住したくなるように、村長さんが先頭に立ちWifi環境を整えたり、経済的に充実するように助成金を得るために奔走している。

『高齢者』『幸齢者』と置き換えるあたりに弱小コピーライターの私は「コマーシャルな村だぜ」と思った。

 

南牧村を立ち寄ったときには知らなかったが、かつてはかなり貧しい村だった。戦後間もない頃には貧しさゆえの凄惨な事件があった。過去の重大事件が掲載されたサイトなどで取り上げられているため記載しないが、後に南牧村で起こった事件を知ってから村の年長者の笑顔を思い出したときに、貧しさを乗り越えて、キラキラと目を輝かせて力強くで暮らしている姿に人間の強さと、何か怖さも感じた。
コロナ禍でもう、気軽に行くことはできないけれどももう一度この村の人に会ったときにはその当時のことを聞きたくなるに違いないが、空気を読んで聞かないだろう。

※ムービーばかり撮ってて写真が少ない。

 

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南牧村散策中

RPGよろしく村を歩いて情報を聞いて回る。
『営業は足で稼ぐ』というのは時代遅れだけれども、ネットに繋がってない場所や人を探すには結局、足かぁ、と思いながら歩いて回った。

聞き込みをしているときに、村人は村人のことをしっかり把握していると思い知らされることがしばしばある。
お婆さんに村の知恵者の情報を聞き込みしている私の後ろを一瞬で横切った車を全く見ずに、「今、後ろ通ったのが村長の車で・・・」とお婆さんが話し始めたときには関心するやら怖いやら。ノールックのまま結構な速度で横切る車を見切るお婆さんの周辺視野に驚かされた。

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散策中に発見した物

 

村長にお話を伺う為に役場を訪れた。
住民生活部の方や村長にお話(人生訓など)を伺った。
※2019年当時

 

■役所の男性(56歳)
・人間関係の作り方
「お互い様って気持ちは大事です。その上でしっかりとお年寄りの意見を聴くこ
と」
時代に合わなくなったしきたりを変えるか否かで高齢者と意見が対立しそうなときに、そのしきたりの背景には何があるのか、どういう歴史のもと現在のやり方に落ち着いたのか本質を知った上で議論する必要がある。

 

「意見する相手に年齢差がある場合は、直接相手に言わず間に人を立てる必要があります」
若い人間がシニア世代に正論を言った場合、「なんだ若造が!」と反感を買ってしまいかねない。なぜならシニア世代の方はこれまでの人生のルールが、心臓の鼓動や血液の流れのように生活の一部になっているため、急なルール変更は心臓麻痺に繋がるのである。冷静に話し合いを行うためには、シニア世代と年齢の近い方に味方になってもらい『シニア世代』←『中間の世代』→『ヤング世代』の構図で徐々に変えていくのが良いらしい。
今三十代の私は既に中間の世代に入っていて、やがてシニア世代に入り『自分は淘汰される』という被害妄想に囚われつつ、新たな中間の世代に解される日が来るらしい。嫌である。まだ誰の意見も解せてない『中間の世代』でも若輩な自分がシニアになった姿を想像するのが嫌である。実際ここ数年、誕生日を迎えることに気が進まない。不死は嫌だけれども不老にはなりたいと思う今日この頃。

 

「輪投げはスポーツです」

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南牧村公式ホームページより


南牧村では、グランドゴルフと輪投げが空前のブームである。
誰でも参加できて皆が楽しい輪投げは月に1回村で開催されるサロンでも頻繁に練習が行われ、シニアの輪投げ技術の向上が目覚ましい。また社会福祉協議会による輪投げ大会(65歳以上の方限定参加)が年に2回開催される上、会場である南牧村活性化センターへの送迎用バスが出される。
オリンピックで輪投げが正式種目になればシニアも参加できる上に『ご長寿早押しクイズ』みたいなミラクルが起こるのではないかと思ったが、一笑い求めてオリンピック競技に推すのは下世話だし選手村が荒れそうだから、その案は無いと思い直した。

 

「田舎暮らしでは自ら進んで馴染もうとする気持ちが必要です」
田舎で家に鍵をかけるなんてナンセンス。農作業を手伝ったり、食べ物をお裾分けしたり消防団へ参加したり世間話をしたり、積極的に村の人と交流していく必要がある。

 

■村長(65歳男性)
南牧村の良いところは人です。たとえば詐欺の訪問販売集団がこの村のお宅を訪ねたとしましょう。村の住人は詐欺集団を家に上げてお茶とお菓子を出してお土産まで持たせて帰らせます。それくらい人が良いです」
話を聞きながら、人の良さも度を越すと狂気じゃないですか?と思っていた。

 

・元気な生き方
「自分を甘やかさない。厳しい生活環境に身を置くことが大事なのだと思います。客観的に見て独居老人は強いです
村に住むシニア世代の6割が独居良人である。独居老人は掃除、洗濯、食事の準備など身の回りの世話を自分一人でしなければいけないためボケている暇がないそうだ。

とはいえボケたらどうなるのだろうか。

ボケた人がいたらどうするんですか?救済措置は?補助は?対応する人はいるんですか?何となく怖くて聞けなかった。

 

・幸せな生き方
「この村で生まれ育ち、一生村を出ないまま死んでいく農家の方もいる。だが都会の人間と比べて、できることが少ない訳ではない。百姓とは自然から学び得た知識で百の職業を身につけた者のことである」
自分の食料を確保して収入も得るのだから農家の人は凄いに決まっている。ただ、これをポジティブにとらえすぎて、自分が働いている環境を注意深く伺えば多くのことに気づけるかもしれない「やっていることがしょぼい」「学ぶことがない」なんて考えるのはナンセンスだと意識高く持つのは違うと思った。というのも自分が20代の頃にやったアダルトサイトの更新業務は自己紹介(男性に)するとき以外、役に立たなかった。好きな人以外やらない方がいい。

 

・文化について
「感動とは今とっさにつくった言葉の中には無く、文化やバックボーンといった、うん百年積み重ねた信頼の中にこそある」
先人たちの格言を集めている私に対しての指摘。

ずっと前に自分が関わった飲食店の企画で、店のバックボーンに日本の歴史を組み合わせて深みを設えようとして失敗したことを思い出した。自分達が創った深みは、結局、何も世の中に浸透しなかった。あまつさえ、深みが必要だと皆で言いながら、深みにこだわり過ぎた、深みにはまった、と、何か深みに親でも殺されたかの様に反省したが、本当はこだわりが過ぎたのではなく、自分達に歴史の深みを語るだけの教養がなかっただけだったと思う。

 

役場でお話を拝聴したためか、若干、村のPRを含んだ人生訓だった。

村長さんは色んな人に会い、様々な会議に出席し南牧村をPRしている。コロナ禍でも元気でおられるだろうか。私にわざわざ時間を割いていただき、村一番の農作業の達人を教えてくださるなどサービス精神豊富だった。

 

写真が少ないため動画を載せておきます。

▼2年前に作ったYOUTUBE動画(今見ると…)

www.youtube.com

 

次回:村一番の農業の達人に会う

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限界集落旅のYOUTUBEも公開しています(あまり更新できてませんが…)

www.youtube.com