限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

過疎集落で古民家カフェをオープンする際の注意点

また記事を投稿し始めます。

コロナ以前の旅の内容なので、今は状況が違うかもしれません。

 

集落巡りをしているときに、古民家カフェで一服するのが楽しみだった。

工夫をこらした手作りの内装や、移住者と地元民との繋がりを感じたり、ワンポイントでアクセントになっている猫や、オーナーの趣味全開の昭和感等など、お店ごとにデザインを超えた趣があって美しかった。

中には自力で8年かかってカフェを「建築」した強者もいらしゃって(建築素人)、人間の執念はえげつないなとビビらされたりもした。人の生き様そのものが形になったカフェと、その店に惹かれてやってきた人との出会いも「旅をしている非日常」の感覚に味付けしてくれて、小気味よかったから、店を見つけるたびに立ち寄っていた。

8年がかりで建設されたカフェ

アクセントになる猫の寝姿

そして、何件か古民家カフェに入ったところ、妙な癖を感じることがあった。

全てのカフェに当てはまるわけではないのだが、立地が変なのである。

妙に集落から離れたところやわかりくいところに建設されているような気がする。

この疑問への答えは、ある集落で教えてもらう事ができた。
※都市伝説だと思って聞いてください。

 

集落では「みんなが貧しければ幸せ」という考えがある

集落の微妙にはずれた所にカフェがあるのは、店主が儲けていないように見せるための工夫だとのこと。というのも、村社会では村人全員が同じ状況であれば、不平不満は出ないから、みんな助け合って、みんなが幸せ。逆に、一人だけ豊かになると妬み嫉みが生じて不幸になる、という考え方があるらしい。そのため、集落の目立つところにお店を構えると、「あの人だけを儲けさせてはいけない」という心理が働いて、村人はほぼ出入りしないカフェが完成するんだとか(ちなみに客層は「外来:現地=9:1」くらい)。

 

村の人たちもカフェに行きたくても、見晴らしのいいところにカフェがあると周りの目が気になって入店しづらいから、あえて、ちょっと、分かりづらい場所に店を建てるのがお客様への気遣いポイント。

そして、この話は、あくまでも店内に入店するまでの話であって、店内で村人同士が出会う分には何にも問題はない。むしろ、村の人たちも憩いの場ができる事に関しては、ありがたいらしい。素直ぢゃない、ツンデレである。

 

なんか謎マナーに似た趣があるけれども、格差を生まないで協力し合うための生活の知恵の名残なのではないかと思う。

そして、自分の生活に当てはめて考えてみると、なんかわかる気がする。上司に食事に連れて行ってもらった時に「遠慮するな」とは言われても、上司より高いものは少し頼みにくい(この気遣いが間違いなのだけれども)。上司が「マグロ丼(980円)」を注文しているのに「海鮮御膳(1,580円)」はアウトな気がする(上司の器を見くびってて失礼なのだけれども)。近い値段帯のものにしつつ、上司より20円くらい高いものを注文して、平等感と上司の太っ腹感をだそうとしてしまう。

 

そのため、現地の人が集落で古民家カフェをオープンする際には、わかりづらい場所にお店を建設し、決してチラシなど撒かず、噂で徐々に広がっていくのを待つのが良いのかもしれない。

 

逆に街中から移住してきた人たちに関しては、集落に人たちも割り切っているらしく、なんとも思わないから、目立つところに店を出しても問題ないとのこと。

「らしい」とか「とのこと」が多い記事になった。

 

へー、と思いながら拝聴した。

全ての集落にあてはまるわけではないとは思うのだろうけれども、集落で生きるにあたり地域のルールに従ったしきたりが色々あるんだろう。都会の企業で暮らしても、謎マナーはあるし。瓶のラベル上向けたり、ハンコを傾けたりetc...

 

そんなことを考えながら古民家カフェに入るとまた違った趣があるかもしれない。

とはいいつつ、あんまり斜に構えたことしてたら、純粋に楽しめなくなるから、モラルに反したことはせず、その場だけの出会いや会話を楽しんだ方が良いと思った。

 

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