限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落の旅-東京都西多摩郡檜原村のご住職に人生観を聴いたらホッとすることを言われた-

東京にも村がある。上京したら行ってみたいと思っていた東京都の村『檜原村』に向かった(2018年春)。ここに住む人生の先輩方に『人生とは何ぞや』と質問しに行った。※『檜原村』は都心から西に向かって進みんだ西多摩に位置する人口2000人程度の村である。人口の大まかな推移は『江戸時代:3000人』→『戦前:6000人』→『現在:2000人』。

 

村には『払沢の滝』や『九頭竜の滝』『小天狗滝』『竜神の滝』etc...をはじめとした滝廻りができる。

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払沢の滝


 

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払沢の滝(遠いアングルから)


帰る頃にはマイナスイオンでふやけてしまうんじゃないかというくらい瑞々しい。

払沢の滝では冬の期間に完全凍結する日にちを当てるイベントが開催されている。

▼払沢の滝祭り詳細▼

hinohara-kankou.jp

その他にも、寺カフェや古民家の『小林家住宅』、ゲストハウス『へんぼり堂』、豆腐が美味しい食堂、温泉『数馬の湯』、食べ物では『新じゃが』が美味しく、『檜原紅茶』や『檜原烏骨鶏』といった独自の名物開発にも余念がない。ポテンシャルの塊である。

 

この時は春だったから桜の景色も写真に収めた。

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人里(へんぼり)バス停の枝垂れ桜

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夜の枝垂れ桜

見どころをしばらく歩いたあと、とりあえずお寺で話を聴いてみよう、と思い『人里(へんぼり)』という集落の『玉傳寺』に向かった。

▼玉傳次が運営する寺カフェ▼

www.syu-un.jp

各地の名言を聴きに旅をしていると説明すると、お寺ご住職(61)の人生論を聴かせてもらえることになった(日にちは改めることになった)。※寺カフェは村に休憩できる場所をつくろうと思い始められたとのこと。

 

勝手に押し掛けたのにも関わらずお茶屋お菓子などを出してもらい、いやそんなお構いなく、といったところ「我々も人から色んなものを貰い。出された物には遠慮しなくていい」とご住職に言われたのが印象的だった。

 

いろんな人生の先輩方の生き方や考え方を聴いて旅しています。そんなことを言いながら話を始め、しばらく雑談した後、ご住職は最近の人生の考え方についてこう語る。

住職「今は年齢に0.7かけたのが実年齢」

かつて人生50年と言われた時代よりも寿命が延び人生80年になった(0.7かけたら大体50代に収まる)。人生は7掛けで人生を見た方がいいという。人生100年になったら0.5かけるようにする学生運動の頃の大学生が大人びているのも、美魔女が出現したのも7掛け以前と以後の違いなのかもしれない) 。

 

-檜原村は村おこしに熱心なように思います-

住職「今やってる村おこしは150年はかかる。この活動は結果を求めると今生きている人達は誰も見れないだろうから皆がっかりする。だから過程を楽しむ」

檜原村では村おこしの一つとして山に樹木を植えてライトアップし村を彩る取り組みをしている。今も既に一部はライトアップされていて夜の景色を鑑賞できる。

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桜の季節のライトアップ

(この写真はほんの一部だけなのでライトアップの様子を矮小化してないか心配です)樹木を植えて、育てて、樹木の持つ美しさのポテンシャルを引き出すようにライトアップするにはものすごく時間がかかるし、結果がどうなるかわからない。だから結果を求めると自分たちの気力が失せる。「自分たちが田舎生活を楽しまないと若いものは帰ってこない」とご住職は語る。

 

良い結果(未来)を求めるからしんどいことでも頑張れるのだけれども、過程を楽しめないと病んできて結果も何もどうでもよくなってくるから、日々どうやって楽しむかというのは自分にとってめちゃくちゃ大事だな…と思う今日この頃。会社へは結果を出すために頑張らることが大事で、個人には過程を楽しむ努力が必要で、後者をどうするかで悩んでいる。なかなか楽しく暮らせない。

 

-この仕事をしてきて感じてきたことはありますか?- 

住職 「どんなに優秀でも一人では生きられない。これは理論ではなく住職という職業柄、実感してきたこと」

職業柄いろんな人に助けてもらい生きてきたご住職。だからこそ『人はいるだけで価値がある』と語る。なので何か人との関係で自分にとっての不都合があれば人が悪かったのではなく「縁が悪かった」と思うことが大事だとのことサイコパスな人とかたまにいるけどね…)。

 

-人の幸せとは何でしょうか?-

住職「普通の人が普通に生きていけること」

2500年前から伝わるお釈迦様の教えで『中道を行け』という言葉がある。これは極端に偏った考えをすることは簡単だけれども、極端に偏った考えは人を自分や他人を不幸にする傾向があるといこと(思想や宗教や教育でもそうですね)。だからこそ『偏るな!(ここでは一休さんも)端っこ渡るべからず』なのである。普通に生きるために大事なことは情報に振り回されないことだとご住職は語る。偏らず程々に、情報を鵜呑みにしない。人を見るときも細部だけを見ずに全体で見る。

 

人間誰しも何かしらの思想や曲がらない部分があるし、どうやっても『この人はこうだ』と思いこんでしまうときがあるから『普通に生きている人』『普通の人』ってほとんどいないのではないかと思う。そしてもし普通の人がいたらその人はかなり『優しく』て『いい人』なんじゃないか。普通を極めることは難しいらしい。

▼普通の意味▼

[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。

デジタル大辞泉より引用

 

従来の『普通』の意味とは違うものとしてもらえた方がいい。『普通』は奥が深い。

 

-人は何のために生まれたのですか-

住職「人間(生き物)は遊ぶために生まれた」

猫の様にじゃれあって、できれば人の役に立って。それができれば最高だとご住職は語る。というのも、人間は自分が得るよりも人に喜んでもらうことの方が幸せだからである。人はサルの何倍も表情筋が豊で、相手を慮ることができる。だからこそ猿から人間になれた(都市伝説で諸説あるダーウィンの進化論とはまた別の話で)。集団で大きくなれた。

住職「人間は得るよりも人に喜んでもらった方が幸せ。人間の本性です」

そしてそれがわかっていれば『人間捨てたもんじゃない』という本質に気づけるサイコパスな人とかたまにいるけどね…)。

 

■他にも印象的だった言葉

『老いていく者と育っていく者がいるからバランスが取れている』

『母性は学習するもの』

『家庭の歪は弱いものに行く』

 

ご住職だけあって不安を取り除くような言葉が多かった。話を聴いている最中、救われるような気持になった。ご住職にお礼を言ってお寺を後にした。

 

次回:東京都西多摩郡『檜原村』の宮大工さんの仕事論を聴く(1)

 

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