限界集落の旅-東京都西多摩郡檜原村で宮大工さんの仕事論を聴く(1)-
2018年の春から初夏にかけて、東京都の『檜原村』でいろんな人の人生論を聴いて回っていた。この時は檜原村の南部にある『人里(へんぼり)』という集落で情報収集をしていた。人里の『五社神社』で「この村にやってまいりました者です。よろしくお願い申し上げます」とお参りをした後『へんぼり堂』というゲストハウスを拠点に、聞き込みを続け、人生論を語ってくれそうな人を探した。すると『人里には腕の立つ宮大工さんがいる』との情報を聞き、早速、大工さんの仕事場に向かった。『五社神社』のお導きか?ありがたや。
▼へんぼり堂▼
▼人里集落▼
明治9年に和田組と事實(ことずら)組、上平組が合併した集落とのこと。「へんぼり」という名称はモンゴル語の「フン(人間)」と新羅語の「ボル(集落)」が変化したという説などがあるが真偽は不明。養蚕が盛んな地域だったことから蚕塚に適した「かぶと造り」と呼ばれる屋根をした民家が見られる。
村人のノリが関西に近く(個人的な感想)、檜原村自体が古墳時代に近畿圏から移動してきた人によって作られたという説は正しいんじゃないかと思ったりした。
▼人里の養蚕について書かれたサイト▼
http://machinokatachi.main.jp/13/13_hembori.html
▼五社神社▼
奈良時代につくられた本尊五大明王が祀られている。もともとは『大日如来』
『不動明王』『牛頭(ごず)明王』『金剛夜如明王』『 軍多利明王』の5体が祀られていたが軍多利明王は行方不明とのこと。何か都市伝説のにおいがしなくもない。また、この風景を見てもらうとわかるように結構高い位置にあるため石段の段数は多い。でも気持ちのいい景色。
【宮大工兄弟 兄(71)弟(69)】にインタビュー
宮大工のお爺さん(71)は弟さん(69)と一緒に仕事場で作業中だった。
仕事が終わるのを待って、仕事場近くの自宅に移動した後、話を聴かせてもらった。
勝手に来た僕にお茶とお菓子まで出してくれた宮大工ご兄弟。優しいなぁと思う。ご兄弟の家にはお孫さんの写真が沢山貼ってあった。
-お孫さんにどう接していますか?-
「小さくても小遣いやるかわりにバイト代わりに畑仕事を手伝わせてた。子供のころから仕事の仕組みを教えていれば嫌がんないよ」
労働とお金(小遣い)が等価交換だという仕組みを教えていたから仕事に対して後ろ向きな気持ちにならないとのこと。
-親は子供に対してどう接するべきですか?-
「子供が小さい時から親の背中を見せる。できないことでも、できるってとこを子供に見せてやらないとな」
例えば、幼稚園の課題で親が何かしらの工作をして持っていかないといけなくなった場合、親の手先が不器用だとしても周りの人に手伝ってもらったりして、8割くらいは形にして残り2割は親が頑張って作り、子供に、親はできる人なんだよ、という姿を見せる必要があるという。そして、そういうことを親に教えないといけないんだよな、と親方は語る。
-仕事をする上で大事にされていることは何ですか?-
「33歳から毎年人間ドックに通っている」
体は資本。いつでも最高の状態を維持できるように管理をしている。
ちなみに日帰りドックの費用:37,300円(税別)
▼人間ドック▼
「お酒を飲むのはダメ」
お酒を飲むと今夜やろうとしたことをやらなくなる。気分が良くなってシャアナイ!気持ちになるからどんどん遅れるね。と親方は語る。基本的に普段はお酒を飲まないらしい。
話は進んでいく。
出されたお茶菓子(チョコ類)を食べるのを遠慮している僕に向かって親方は「こういう茶菓子はチョコチョコ食べるもんだ」と言い出した。この韻の踏み方、もしやと思ったら駄洒落だった。ニヤリとする親方。親方は駄洒落が好きらしく、会話の間に駄洒落を忍ばせてくるようになった。果たしてうまくツッコめるのだろうか。
「努力は隠すようにする。相手が休んでいるときはこっちも一緒に休む」
仕事仲間への気遣い。休むときは休めるようにする。
「相手に気は遣うようにしているよ。…俺、大工だしな」
数秒の沈黙、気づいた?気づいた?みたいな顔をしている親方。
【解説】
「気を遣う」→「木を使う(大工だから…)」
この親方、隙あらばボケてくる。やはり古墳時代に近畿圏に住んでいた人達が檜原村に移住した説は濃厚か。
「現場でご飯を食べるとミスに気づける。仕事場をぼんやり眺めながら、飯時はリラックスしているから、仕事中には気づかない驚くようなことに気づく。寝転んでても気づくよ」
緊張状態が続くと見落としに気づかないため、仕事場でリラックスできる時間をつくり、落ち着いて見直すこと。
「クヨクヨしない。何やってきてもどうにかなってきたんだから」
70年以上生きてきた人が言うと、何でもどうにななりそうな気がする。しかし、親方は宮大工の道を追求するためにした努力をこの後知ることになった。<続く>
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