限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落の旅-群馬県甘楽郡南牧村-『農業の達人の言葉』

この旅の目的:限界集落を旅して人生の先輩たちから、生きるために必要な名言・格言を集める。

 

日本一「幸齢者」が多い南牧村

村長さんに「農業の達人」がいると教えてもらい、役所でコピーしてもらった紙の地図を片手にお宅訪問をした。

斜面に作られた畑が目印になっていると聞いて、斜面かー、と思っていたら想像よりも規模の大きい傾斜だった。これは、土踏まずと体幹を鍛えられたシニアだろうと玄関に向かった。こういう斜面で農業を行ってる方は、逆に平地ではバランスがとりにくくなる、とどこかの集落で聞いた。

バランス感覚が求められる畑の様子

 

出迎えてくださったのは、柔和で朗らかな表情の達人(当時92歳)だった。笑顔が素顔のように朗らかで、しなやかな、少し小柄な方だった。

旅の事情を話て、達人の家に上げてもらった。

 

ご挨拶に、私は達人に持参した手土産を達人に渡した。

おかあちゃーん貰ったよー!

と、良く通る声で、達人は遺影の前にお土産をお供えした。

 

達人は猫と一緒に暮らしていた。きなこ色と白色の毛色でふっくら、モフモフとした余裕のある落ち着いた猫ちゃんで、初対面の私にも特に警戒なく、達人の膝の上でウトウトしはじめた。過疎集落で出会う猫はあんまり警戒心がないのだろうか?

 

達人は話を始める前にお茶とお茶請けに「大根の酢漬け」を出してくださった。三日月に切られた大根は達人の自家製で、これが絶妙に甘く、顎に心地よい噛み応えもあって美味しかった。濃厚な緑色のお茶と併せられて幸せだった。

作り方と聞くと「酢に塩を混ぜて大根を漬けただけ」らしい。

(後に家で再現しようと思って自作したら、ただ酸っぱいだけの大根ができた。不味くはないのだけれども)

大根を頂きながら達人が村で過ごした日々を教えていただいた。

 

カタクリ爺さん」

達人は集落の子供たちからは「カタクリ爺さん」と呼ばれている。ちなみにカタクリとは花のことで、土に埋まってる茎の部分を精製すると、料理にとろみをつける片栗粉になる。

 

カタクリ爺さんの由来*1

カタクリの花

 

集落巡りをしていて、花を育てているシニアが多いことに気づく。

徳島県つるぎ町でお話を聞かせてもらった女性(81)も花を育てていて「鹿が根こそぎ花を食べる」といって困っていたし、私の実家でも最近、母が庭に花を育て始めて「猫が、ええ土にうんこする」と困っている。

 

猫のうんこについて母がコメントしていた。

母「口コミで増えるんかね。

ちょっと〇〇さんとこ、ええ土あるで。

ええお便所あるで。

気持ちええで。

すっと出るで」

日に日に増えていくのが…面白いゆうか、なんというか、と、猫の情報網を想像する母曰く、土が原因ではないかと分析している。

母「ホカホカ(ふかふかした柔らかい)の土やってん。せやから、しゅしゅっと掘れるやろ。そしたらまたうんちするねん。粗い土にしたらよかったんかもしれへんな」

 

話を猫のうんこから花に戻す。

 

なぜ、達人は花を育てるのか?

その背景には太平洋戦争があった。

カタ爺「俺は戦争を経験したから平和への意識が強いんだ。
お酒飲んでグデーッとできてるのも一つの平和かもしれないが…俺は花を育てよう
と思った」※カタ爺=カタクリ爺さん

この時は、さすが良いこと言うなぁ。としか思っていなかったが、

後に、愛知県の豊根村で戦争体験者の方から、戦後70年以上経過しても、戦争による精神的な傷は、何も消えていない事を教えてもらい、ひょっとして、つるぎ町の女性も南牧村の達人も、花を育てることで自分を治療をしていたんじゃないんだろうか?と思い始めた。

戦争で、見たくないものを見て、したくないことを強要されて、おかしな道徳を詰め込まれて、疲弊した心を花で癒したかったのではないか。

 

【戦争中の話】

戦争中の出来事についても教えてもらった。

教科書の内容は「ハトポッポ」から「ススメ ヘイタイサン」に

教科書の内容が変わり、人を殺すための教育が始まった。

カタ爺「大東亜戦争が始まって戦争のことしか教育されなかった。
『1人でも多く殺せ』って言われて、学校で竹槍持って人を殺す練習してた。
体力はもちろん精神がつらいな…。
今は本当に自由に生活できて、丈夫な体をもらってこうしてやってこれたんだ。
幸せだな」

 

 

カタクリの花を栽培するきっかけ

達人のカタクリ栽培は村の人たちの願いがきっかけとなった。

元々は南牧村に自生しているカタクリの花を観光客に解説するガイド役を任せられるうちに、なんとかカタクリの花を繁殖させられないか、という村の意見に応えるために、独自に研究しカタクリの花の生態を解析し繁殖に成功した。

やったことないことに取り組んでやりぬくド根性。

戦争を生き残った人はタフさが違う。

 

やったことのない「カタクリ栽培」に対して達人がどういう心境だったのか?

カタ爺「なんとかしようって気持ちでやる。
誰かに言われたわけではなく自由に、やってみようという気持ちでいるんです。
基本なんてものは無くて、自分で考えて見つけるんですね。
必要なことは、物事に熱中すれば目に入ってきますから」

 

92年生きた人が「基本なんてものは無い」というのが興味深かった。

確かに「基本」とはいうものの、世の中の「基本」は、成功事例の一部で、自分に当てはまるとは限らない。自分が周りと同じ方法で上手くいかなくても、まだ誰も発見してないやり方を見つけられる可能性があると思えば、ちょっと希望が持てる気がする(失敗しすぎて、上手くいく前に面倒くさくなって辞めてしまうかもしれないけど)

後は、熱中できれば必要な物事が目に入ってくる。

ということは、熱中していると成功に近づける。

「熱中できる仕事か否か」は転職するときの判断基準になりそうである。

 

カタクリの栽培が上手くいった背景

カタクリの花の栽培に成功し、子どもからカタクリ爺さんと呼ばれることに達人は、

「色んなところに引き合いに出されてお金には替えられない満足がある。健康な体があるからだな」と嬉しそうに語った。「健康な体があるから」という一言が尊い

 

そして、「今までいろんな所にかり出されて色んな経験をしたけど、全てなんとかやってこれたのは家族の応援があったから」と語り「良い行いずくしで生きてたら、シャバが広がる」と付け加えた。

 

村長から「南牧村は人が良い。詐欺師がやってきても、お茶を出して、お土産を持って帰らせるくらい人が良い」とは聞いていたが、達人はそれを地でいきそうなくらい「善人のオーラ」が漂っていて、ちょっと怖かった。

昔の職場で悪口を言いすぎて辞めさせられた人がいたし、悪口を言ってもロクなことがないのは知ってるから、私も、せめて人の悪口を言わない、見下さない、馬鹿にしない、で生きたい。

 

カタクリ爺さんのアドバイス

「やだなーと思ってやると上手くいかない」

 

「なんとかしようって気持ちは子供にも伝わる」

 

「張り合いをもって物事をする。農業ならこれが大きくなったらどうなる。
美味しいってよろこんでくれるかなと考える。
目的をもって『おおきくなれ』って作物とお話できるように育てるんです」

 

「食べると働ける。働くと食べられる。おいしいなーと思って食べると米の味も変わってくるよ」

これらのアドバイス通りに普段、自分はできていない。

達人から話を伺って数年経った今でも、嫌なものは嫌だな、と思って取り組んでいる。

多分、まだ、本当に美味しい米の味を、自分は知らない。勿体ない。

ただ、わからんなりに「食べると働ける。働くと食べられる」この言葉のバランスは好きである。働くために食べるわけでも、食べるために働くわけでもなく、生きる事を喜ぶようなこの境地をものにしたい。

 

カタ爺「俺は今、余計なことを長々と話してしまったけど...余計なことでも話した方が良い。何かの糸口になるかもしれない。何も話さなかったら何もならない」

 

いつか私か誰かの糸口になると思います。

ありがとうございました。

達人にお礼を言って帰った。

 

この南牧村は今でこそ「幸齢者が日本一多い」というキャッチコピーを謳い文句にしているが、昔はとても貧しい村だと知った(昔はどこもそうだったのかもしれないが)

カタクリ爺さんが子供だった時代に、あまりの貧しさのため、村内でとても悲惨な事件が起こったことも後々知った。当時の苦労からすると、死の危険がなく、心行くまで花を育てられて、感謝もされる。今の時代は楽しい事しかないのかもしれない。

 

話を聞き終える頃には顔が腫れて、体が痒くなっていた。

私は猫アレルギーらしいことが分かった。

*1:

カタクリ爺さんの由来】

地元の名産であるカタクリの花の育成に最前線で携わり、南牧村の小学校で毎年講演をしたことから小中学生たちからは「カタクリ爺」と呼ばれるようになった。ちなみに村の為に生涯つくし続け内閣総理大臣賞や天皇陛下からも表彰されている。現在でも村の重要な会議の場に出席を求められ92歳にして現役で村を支えている。