限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落を旅して知ったこと-SNS無くても炎上はするらしい-

ある集落でしばらく喋った人から言われたことがある。

「自分がこんなこと言っていたなんて周りの家の人に知られたら良くないから書かないでくれ」

古き良き日本の姿が残る地方の集落を旅しつつ、人生の先輩たちから人生論や格言を聞いて、ブログやインスタグラム等で発信すれば、自分の勉強になるだけでなく、人の役に立つのではないかと思っているものの『これは面白い』と思う話には『アウトだな』と思うものも多い。

 

『アウト』な話は過激な場合もあれば、別段、何でもないような場合もある。ただ、パッと聞き何でもないような話でも、その話をした人と近隣地域との関係を考えると、しこりになる可能性を感じる。

 

例えば、こんな事件(?)があったらしい。

ある集落に『調べもの』をしにきた大学生たちが取材の内容を本にして世に出した。その本には集落の昔話とその舞台となった家の場所なども載せられていたという。しかし、これで聖地巡礼しやすくなって良かった!ありがとう!…とはならなかった。

 

実はその昔ばなしが、集落に暮らす子孫達からしたら恥ずかしくなるくらいギャグテイストだったのだ。自分たちの家が昔ばなしの舞台だったことを知られたら一家の恥だからと、村の中でも本当に限られた人にしか教えてなかったはずの秘密が、なぜか将来有望な大学生に伝わっている。そして本になって世に出ている。当然のようにこの話を大学生に教えた村人にクレームが入った。村人Aは勉強熱心な大学生に良かれと思って教えて、大学生は良かれと思って詳細な内容を書き、村人Bはハズカシー思いをした。村人B家の昔ばなしとはいえ、何百年も昔の因縁が今も生き残っている場合があるから要注意である(これが言霊というヤツだろうか)

小学生がクラスメートに『絶対に誰にも言わないから好きな人教えて!』とせがまれて渋々教えたら、次の休み時間には隣のクラスの全員にまで秘密が知れ渡っていたような感じである。『絶対に言わない』の枕詞なんやったんやろう、と悟って子供は少し齢を取る。

 

これは、SNSでわかりやすく『炎上』するのとは違い、SNSを使う人が少ない地域であっても何かの拍子に『あの家の人があんなことを言っている』と集落のわずか数十名に知られることでその地域では生きづらくなる『火も煙もたたない炎上』と言える(上記の話が結局、どう収まったかは不明)。

 

また『〇〇集落の□□さんの家に泊めてもらった』等の心温まる内容の場合、その親切さ目当てに集落にやってくる人がいて、結果的に集落の人達が迷惑する可能性があるからやっぱり書かない方が良かったりする

 

こういった類の話を聞くと(良い意味で)隣近所とのプライバシーが無い』といわれる村社会でも、ご近所と仲良く暮らすためにはタブーや踏み入ってはならない領域があるんだなぁと、しみじみ。むしろ都市生活よりも、その踏み越えてはならないタブーとの境界線は細く、わかりにくいのかもしれない。生活には知恵とコツが必要だ…と思ったが、

『村生活』が『近所と仲良くなり円滑に生活するため、あえて言わない事がある』

『都市生活』が『近所とさほど関わらずストレスなく暮らすため、あえて言わない事がある』

とすると、価値観は対局だけれども、結局やっていることは似ていると思った。

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美しい風景

<続く>