限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落旅の合間にあったこと〜祖母の一周忌〜

関西地方の限界集落を巡り始める一年前(2016年秋頃)に祖母が亡くなった。

当時、京都に住んでいた僕はお通夜と告別式に出席するために実家のある大阪に帰省した。

 

お通夜で久しぶりに見た祖母の顔はしっかりとエンバーミングが施されていて、立派な遺体になっていた。「お化粧もして上手いことしたるわぁ」と両親も感心している。

僕はお通夜の後も施設の宿泊用の部屋に泊まり、何時間かおきに祖母の遺体が安置されている明日の告別式会場をのぞきにいった。

血の気のない祖母の顔を見ているとゾンビ映画は所詮フィクションだなという気分になった。遺体が動くわけがない。

 

僕は祖母の性格が苦手だったため、思春期頃から亡くなるまで、ずっとあまり優しくできなかったのが申し訳ない半分、祖母からの歩み寄りもほしかった半分といったところだ。

 

祖母との良い思い出はあまりないのだが翌日、告別式が始まるとなぜか涙腺が熱くなりこれがどうしようもない血の繋がりと思った。ただ、それとなく周囲を見回しても、そういう状態になっているのが僕だけだったため、ただナイーブなだけなのかもしれない。

 

一通り式も終わり親戚一同で食事をした。

僕の親戚はのきなみ高学歴なため、告別式後の食事会で「車の追突事故の被害に遭った場合、どの車種に乗っていれば身の安全が守られるか」という話題が出た際に「運動エネルギーは物体の質量に比例するため、自分が乗車する車にはかなりの重量がないといけない」という話しの流れになり「戦車」に乗っていれば確実に安全だという結論に至った。

 

家族との日常会話に「運動エネルギー」というキーワードが出る辺り流石である。

そして迷い無く「戦車」を選ぶ辺り「驚き」と「理論」を持ち合わせているといえる。

(この記事を書いているときにずいぶん前に見た映画で「こいつ脳みそいっぱい詰まってやがるぜ。悪党のくせに頭良いんだな!」という台詞を思い出した)

 

そんな祖母の死から一年が過ぎ、一周忌のため集まった親戚に現在、僕が限界集落を旅していることを話すと京都府福知山市にある限界集落を教えてもらった。

そして親戚と一緒に福知山市に行くことになった。

 

次回:京都府福知山市猪野々集落で悟りきった男性に集落を案内される。