限界集落の旅-京都府福知山市猪野々編 悟りきったおやっさんに会う-
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冬の朝の6時頃、福知山に用事がある父親と一緒に大阪を出発した。
大阪府北部から車で約3時間半、京都府福知山市猪野々に到着した。
僕がペーパードライバーなりに車を操り集落巡りをしているとはいえ、胸騒ぎを感じたのだろう。父親は「俺が運転する」といって行きも帰りも僕にハンドルを握らせてはくれなかった(確かに道中むずかしいカーブがあったため、自分じゃなくてよかった。途中のあの交差点は攻めきれない)。
現地にある親戚の家で一周忌のときに会ったSさんと再会。
Sさんはこの地域で実家の管理と訪問医をしているそうだ。
集落の風景
獣害が酷く、主犯格の鹿と猪の糞がいたるところにまき散らされていた。
鹿のモノは黒い数珠が散らばったようにテカテカと光沢があり、猪のモノはドカッと地面に居直っていた。Sさんは歩きながら慣れた足さばきで邪魔な猪の糞を蹴り飛ばし、家の周りにある廃屋や池、墓場などを案内してくれた。
第一村人に会う
しばらくしてSさんと父から離れて集落をうろつきながら住民に話しかけてみようと単独行動に移ったが、歩いても歩いても誰にも出会わなかった。「誰にも出会わないということは経験知(人生経験で得た知識)が手に入らへんな」と思いながら時間が経つにつれ段々と僕は人と話しをするのが怖くなってきた。
この頃はまだ人の家に「ごめんください」といって交渉するだけの勇気はなかった。
そうこうしているうちに出会った第一村人(男)に『この辺のことやったら家の隣のジジイがよう知っとるわ!』といわれジジイさん(85歳)の家に案内された。
『おーい!』と呼ばれ出てきたジジイさんはやたらとにこやか笑顔だった。
『この人が色々この集落で育った人生を聴きたいんやと!』
「わしゃ、もう昔のことはあんまり覚えとらんのじゃ〜」
すまんのうと返され『ほんなら次は隣のババアや!』ともう一件となりの家に行った。
『おーい!』と呼ばれ出てきたババアさんはとびきりに朗らかな笑顔だった。
『この人が色々この集落で育った人生を聴きたいんやと!』
「わしゃ、もう昔のことはあんまり覚えとらんのじゃ〜」
すまんのうと返された。これは「テンドン」という技術である。
同じ展開を繰り返すことで笑いにするという技術。悪くえばたらい回し。
ここまで連れて来たもののこの結果に見かねた男性(63歳※以下:「おやっさん」と記述)が『ほなワシが案内するわ』と僕を軽トラに乗せて、集落をドライブすることになった。
使われていない林業地帯を通り過ぎるときに木が少し開けたスペースに簡素な椅子が見えた。おやっさん曰く、この場所がお気に入りらしい。
『ここは静かやから読書とかするのにいいねん』
「え、住宅地の時点でそうとう静かだったのに?」
これは単純に物音が無いというだけではなく適度な涼しさや湿り気、日光のあたり具合、野鳥のさえずりや川のせせらぎ、落ち葉の擦れ合う音などが調和しあい、質の高いこの地だけの趣のある静けさに繋がっているのではないか。
この放置された林業地帯は手入れされていない杉の木が伸びまくっており、日光を遮断している。なおかつ手入れされていない木のため節だらけでとても建材などには使えない代物で、せいぜい薪にするくらいにしか使い道は無い。売値をつけるにしても1本500円程度。ちなみに伐採する費用は1本7,000円らしい。切るだけで赤字。では伸びっぱなしにさせておけばいいかというと、台風が発生すると倒れて来て道を塞ぐため、いつかは切らないといけない。このときも夏場に台風の被害があったため100万円分程切ったらしい。
林業は日本を支えていた産業だったが、生活をより豊かにするために一生懸命植林した杉の木は、やがて輸入された安い外国製の木材により廃れてしまった。 その弊害がこんな所にも表れている。
おやっさんの価値観「しゃあないやん」
おやっさんはここ10年の間に2度、癌を経験した。入院、再発する度に体はやせ細り気持ちはどん底まで落ち込んだそうだ。しかし、死を身近に感じたことによって人生じたばたしても、しゃあないやんと思うようになったらしく、おやっさんの言葉には脱力と達観の程よく調和していた。
「あれくらいしかムリや、人間の抵抗は」
この辺りの害獣は主に鹿、熊、猪。
その中でも熊は木の幹をへし折ってしまう。
あまり農作物を食い荒らしたりしない代わりに、抑えられない破壊衝動があるらしい。
そこで幹にトタンを巻く。するとトタンでもって熊がツルツル滑ってしまい幹に上手く寄りかかって倒せなくなるのである。しかし人間ができる抵抗はこれくらい。
「そら、あんな罠にひっかからへんよ。鹿、知っとるもん」
この辺りで一番の害獣は鹿である。彼らは秩序無く草を食い散らかしてダニやヒルを人間の生活区域に持ってくるらしい。そこで活躍するのがこの罠である。
鉄製の檻の中にえさを仕込み鹿を誘い込むというシンプルな仕掛けである。
【罠の効力】
年間捕獲量:2頭/年
※おやっさん調べ
10000件に一人ひっかかれば成功といわれるワンクリック詐欺ばりの確率の低さ。
だからといって罠の性能が低いと考えてはいけない。
この地域以外にも似た様な仕組みの罠を使っている地域があり、そこそこの捕獲量を記録していたりする。おそらくこの地域の鹿が異様に用心深いのだと思われる。
したたかな京都人と同じく鹿もけっこうやり手なのかもしれない。
ちなみに罠以外では頭をポーンとやって駆除することもあるらしい。
健康の秘訣
「便利な生活は裏を返せば体をくたばらせる」
『97~98歳のじじいとばばあが歩いて山おりてくるから、びっくりするわ。昔の人は脚が鍛えられとるな』と語るおやっさんの健康の秘訣は『脚、弱るから、あんまり車には乗らへんようにしているんや』とのこと。
昔は電話も車もなかった。病気になっても薬すらなかった。それでも生きてこられるのだから本来ヒトの生命力は凄まじい。
「癌になった瞬間、いつ死んでも『しゃーないやん』という気持ちになった。だからキケンな方に行った方がいいという発想になった」
おやっさんがイノシシ狩りに行ったときの写真を見せてもらった。
「これっていつ頃のですか」
『2年前ぐらいかな』
「癌が再発したのっていつですか」
『退院したのが2年くらい前かな』
「これ癌の直後ですか?体重が10キロ以上落ちて足が棒みたいに細くなったっていうてはりましたやん」
イノシシは分厚い骨の鎧に包まれており、猟銃の銃弾も真正面から頭に当てないと必殺にはなず、体重100キロ以上で自動車と同じようなスピードでやってくるのイノシシは危険きわまりない。そんなイノシシをあえて病み上がりに狩りにいく姿勢。
おやっさんの考え方は病み上がりに安静にするのではなく、病み上がりに攻めるという大胆なものだった。クスリよりもリスクを欲する。
以外とこれくらいの方がボケないし健康なのかもしれない(この先、旅をしてく中でボケない秘訣に「身を甘やかさない」という話しがよく出てくる)。
おやっさんは語る。
「病気になったら後は“気”」
「病気になってもイノシシは狩れる」
おやっさんが教える巨大イノシシ狩りスポット
おやっさん曰くでかいイノシシを狩りたければ福井県がオススメ。
雑木林で実った大量のドングリを食べてまるまる太ったイノシシを相手にするのはかなりのスリルが堪能できるのだそうである。
目標の持ち方
おやっさんが人生について更に語る。
「今日は水を汲む。明日は16本竹を切るつもりや。あれこれ目標を持ってたらいつの間にか時間が過ぎていく。アイディアも出てくる」
※切った竹は柵に使う。
「目標があることは業務になる」
水を汲む、散歩をするなども業務である。
仕事でやんごとない理由から数字に追われて結果が出ない人は「とりあえず自分は何かやっている」と思って気持ちを保っていただきたいところ。
ただ酒をあおるのは違う。
「あれこれやるといい。一つのことをしてても結果はでにくい」
失敗しててもそれがたくさんのことの一つであれば心はそこまで痛まない。
多様化の時代に適した回答。
「そして結果は幅をもたせたらいい。例えば魚を釣ろうとしても相手は人間じゃなくて魚やろ?あんな言葉も通じへんヤツ釣れる方が不思やん。釣れなくてもしゃーないやん」
そんなことないと思うけれども、そんなような気もする。
むしろそうであった方が人生、無理に苦しまず生きられるのかもしれない。
そんなこんなでおやっさんとの限界集落ドライブを終えて父親とSさんと合流した。
父親の運転で大阪の実家に帰宅。
こういう時間が後々、大切な親子の思い出になるのだろうと思いつつ、帰るまでの道中どんな会話をしたか全く覚えていない。
【おまけ:おやっさん語録】
「田舎の家はでかすぎるのや」
住む人は少ないし客も来ないし、掃除も面倒くさいしでかい家があっても活かせない。
「スマホなくても生きてこられたわ。なんであれに並ぶねん」
目的を達成するために使う道具を「目的」にしては本末転倒とのこと。
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集落巡りのYOUTUBEもやってます。