限界集落の旅-北海道小樽市-旅用の『ホンダアクティ』エンジンブロー
北海道の限界集落巡りをしている時期に北海道胆振東部地震に被災した。
震災から数日しても食糧やガソリンなどはまだまだ不足しており、携帯電話の充電のためにイオンの各携帯キャリアの店には人だかりができていた。
それでも、飲食店はかなり営業を再開しており、パフェが食べられるくらいには復旧していた。
また、イオンのアミューズメント施設もある程度復旧しており、僕とT氏と飲食店スタッフのIさんで試しにボーリングをしてみた。
そんなこんなで徐々に復興を感じながらさらに数日後、北海道の職場で知り合った人達とお好み焼きパーティをしていた。食材の買い出しの際に旅で使用していたホンダのアクティが煙を吹いた。
▼北海道胆振東部地震で被災した記事▼
お好み焼きの買い出しでエンジンブロー
北海道にいる間、飲食店で働いていた知人(T氏)の社宅を活動拠点にさせてもらっていた。T氏の働いている飲食店は慢性的な人材不足だったため、僕は社宅の家賃代わりに厨房で働いていた。二十代で2つの会社から戦力外通告を受けた僕だが、この職場では問題なく働いていた(とはいえ『僕、料理の道を志しています』といったらシバかれる程度の戦力であり、飲食店の正社員ではなかったことも関係している)。
そのうち飲食店スタッフの方々とも仲良くなった。ある日、疲労からくる日々の鬱憤を発散にT氏の社宅でスタッフ数名とお好み焼きパーティをすることになった。
T氏も僕も関西人なので皆からは『関西風お好み焼き』を期待されていた。
しかし僕は『関西風お好み焼き』をほとんど作ったことがなく、食べた経験もあまりない。実家でもお好み焼きらしきものは食べていたが、母が作るお好み焼きはたいがい『お好み焼き風』だった。これは溶かしたメリケン粉に余った食材を混ぜて焼いてソースをかけて食べる、所詮お好み焼きの雑種である。そのため作った母も「はい、お好み焼き風できたで」という。“風”ってなんやねん、いつ本物を見せてくれんねん、と思っていた。
『関西風』どころか『お好み焼き』かどうかもわからないものが僕のお好み焼きの思い出だった(それで食うたら食うたで美味いんだから、母の料理の腕は凄い)。
お好み焼きってあんまり作ったことないです、俺もそんなにないワ、意外とないもんですね。T氏とそんな話をしながらクックパッドで食材をリストアップをした。
当日はT氏と僕の他に男性社員2名、女性社員1名、ヘルプで厨房を手伝ってくれている女性1名男性1名の合計7人集まった。
皆で車(ホンダアクティ)に乗りスーパーへ買い出しをして社宅に戻ってくると車のボンネットから煙が出ていた。助手席に乗っていた乗していた女性社員はいつの間にか太い柱の後ろに隠れていて、ひょいっと顔を出しながら「大丈夫ですかー?爆発しませんかー?」と言っていた。近くの車屋さんに連絡してレッカーで引き取って点検してもらうことになった。車についてはとりあえず結果を待つ。
下世話な話
お好み焼きの材料は買ったがお酒が無かった。この日はお昼から酒を飲み、お好み焼きをアテにしながら前後不覚になるまで酔う予定だったため。女性陣にお酒を買いに行ってもらった。その間に男性チームで下ごしらえを始めた。女性がいないのをいいことに『興奮しながら好きな女の名前を呟き山芋をすりおろす』という下世話な遊びをしていた。
ドロドロにすりおろされる山芋をボールに落とし、はぁはぁ、吐息をはさみつつ
「あぁ…、(名前)~。いいョ(名前)~(シャコシャコ…シャコシャコ…)」
といいながら過呼吸になるほど笑った。男が3人集まってもカスしか出ないこともある。
関西風のお好み焼き
クックパッドの説明通りに豚玉を焼いた。T氏が焼いた1枚目の豚玉はなかなかの好評だった。僕が2枚目を焼いた。
「やわらかくておいしいですね」「トロっとしてる」
「そうでしょう流石に舌が肥えてらっしゃる…」
といいながらお好み焼き食べたら生焼けだった。
生焼けだったけど皆、そういう趣向の味なんだ、と思ったらしい。
混ぜる具材を変えて何枚かお好み焼きを焼いて、食べては飲んで、話を弾ませた。途中、お好み焼きに名前を付けてください、といわれたので『エキサイティング〇〇(スタッフの名前)焼き』と答えた。アルコールで正体不明になっていたことや、お笑いの番組が少ない北海道の人たちの集まりだったためかなりウケた。
アクティはエンジンが完全に故障しており、エンジン載せ替えか廃車にするか決めないといけなかった。車をかりている会社の担当者様に相談したら、中古車を買うよりも安いからという理由でエンジン載せ替えすることになった。そして車を修理している間に東京から帰還命令が出た。
次回:東京に帰る
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