限界集落の旅-北海道空知地方岩見沢- 喫茶店『人生の途中』で生涯マスター(65歳)が語る仕事論
北海道空知地方岩見沢市の集落で『人生の途中』というカフェを見つけた。
店内は木を基調とした温かな作り。フォークソングが流れ、壁には60~70年代くらいの写真が貼られ、頭にバンダナを巻きアンパンマンTシャツを着た店主が出迎えてくれた。
THE BLUE HEARTSのマーシーみたいな頭をして、左胸にワンポイントでアンパンマンが貼りついた半袖水色のTシャツである。反体制側のリーダーのような雰囲気を感じる(勝手な印象ですが)。
自分を「65歳のあんちゃんさ」と語る店主あんちゃん曰く『人生の途中』は『みちのとちゅう』と読む。
喫茶店を始めるまで、あんちゃんは水商売の店をいくつも運営していた。多くの弟子を持ち、今でも相談役になっている。水商売の現場を退いても、まだまだ人生の途中。地元で喫茶店をオープンした。ちなみにこの店はあんちゃんの手造り。もろもろの準備も含めて8年かかったらしい。
「やってみればできるもんだ」
8年かけただけあって店内には情念のような熱がこもっている。
自然に囲まれた環境のためか、心を癒しに来る人も多い。たまにうつ病を患った人も来店する。
例えば、ある日、こんなことがあったらしい。
-数年前-
「また来たね」
「僕のコト覚えてるんですか(まだ2回目なんですけど)」
「当たり前だぜ。俺はお店に来てくれたお客の、100人いたら99人は顔と名前を覚えている。それはこの商売の基本だ」
そんな会話からお客さんの身の上話が始まった。
このお客さんは社会に出て、初めて就いた職業に馴染めず、心を病み、もう自分はダメじゃないかと、どん底に落ち込んでいた。
そこで、あんちゃんはバシッと決めてやった。
「つまんねぇ仕事なら辞めりゃいいべ。何も18、19で人生の仕事を決めちまうことあるめぇ?俺はずっとそうやって成功してきた。いい加減なこと言ってるわけじゃねぇべ」
それから、このお客さんはマスターの言葉を信じて転職した。自分に合った仕事に就き、毎日が楽しくなった。前向きになり、彼女もできて、さらに結婚までして、今では子供を風呂に入れて、我が子が可愛くてしかたないという人生を送っている。
もはやカウンセラーである。
スタバがどんなにサービス良くても、なかなか人生相談に乗ってくれる店員さんはいないんじゃないだろうか。心の治療するなら岩見沢の『人生の途中』まで。65歳のあんちゃんからいいアドバイスが受けられる、かも!
あんちゃんの年齢(65歳)もちょうど良いのかもしれない。
1950年代生まれのいわゆる『しらけ世代』
1950年(s25年)~1964年(s39年)生まれ
団塊の世代など、自分の思いを熱く語り、熱心に活動していた世代に比べ醒めた印象。
三無主義(無気力・無関心・無責任)などとも言われる。
文化面では自分達がいかに楽しめるかを重視する傾向があるとか。
程よく力が抜けて、個人主義傾向のある考え方が現代に合っているのかもしれない。
そんな、あんちゃんの仕事に対する姿勢を聞いてみた。
【仕事での格言】
「サイフォン握れなくなったときが引退するとき。それまでは生涯マスターだ。引き際は他人が判断するもんじゃない。自分でするもんだ」
この発言を聞いて、元プロ野球投手の工藤公康(1964生まれ)の名言を思い出した。『限界はいつかくるだろう。周りが言うのは仕方ないが、自分で作ってはいけない』考え方の違いは世代の違いのせいかと思ったけれど、スポーツと飲食業の違いだろうな。
「俺は社長でもオーナーでもなく生涯“マスター”。部下に俺が仕事してる姿を見せられるからな。俺が誰よりも一番に仕事ができるから誰にも俺に文句が言えない。講釈だけ垂れるのは性に合わねぇ」
現場主義。背中で語るっちゅうことですね。
「水商売は定価の6倍も7倍も値段をつけてお客様に納得してもらわないといけない。それだけの サービスをしないといけない。俺はマッチに火をつけるだけで15分は相手を楽しませられる。何度もヤケドしながらそんな芸をいくつも身につけた」
このマッチ芸を目の前でやってもらったけど、速すぎて何がどうなってるのか、わからなかった。ボクサーの試合を見ているかのような気分だった。ただ、面白かった、という満足感が残った。
「料理出すだけが仕事じゃない。知識も仕事だ!俺は新聞を5社とって毎日、目を通していた。テレビも天気予報とニュースとスポーツは最低でも見とけ。全てを覚えろとはいわないけど、そのくらいの気構えが持てないとお客さんと会話できない」
全て覚えろと言わないところに指導者としての優しさが垣間見える。さだまさしの『関白宣言』でいうところの「できる範囲で♪ 構わないから~♪ 」に通じるものを感じる。
「お客様を一人逃したら10人のお客様を逃したと思え」
手を火にさらす危険を冒すのも、知識を付けるのも、お客様がお客様を連れて来るという仕組みを知っているから。
「あんどんを火を灯すだけが店を開けるだけことじゃない。俺たちの商売は子供から天皇陛下まで、誰が入って来るかわからない商売。それでも相手を満足させる」
さすがに子供が店に入ってきたら家に帰してあげた方が良いんじゃないかと思ったけど、そんなこと言って悦に浸るのは野暮。陛下は葉山でご静養してらっしゃるなどというのも野暮。『(来る)かもしれない営業』しないと高みは目指せないらしい。
部下の指導の仕方も聞いてみた。
「俺はお店がオープンする3ヶ月前から人を雇って教育する。時間があるときは、ウチに来て手伝ってくれって言ってな。コップ洗ったり、掃除したり、物を並べたりしてもらう。そのときに容赦なくダメ出しする。何がダメなのか聞かれたら"自分でじっくり考えてみな?いいぜ時間はタップリあるから。先輩のコイツならひょっとしたらわかるかもな~"なんて言いながら相手に考えさせる。勿論、手伝ってもらった分の給料も支払う。大赤字だが、それをやるとオープンしてからの人の動きと お客様の満足度は格段に上がる」
ここまで書いて、全然、マスターが『しらけ』ていないことに気づいた。むしろ熱い。『団塊の世代』の熱さと『しらけ世代』の軽さが合わさったのがマスターなのだろう。
マスターの次の目標は奥さんと一緒にキャンピングカーで旅をすること。
なので次に北海道に来るときには、この店にマスターは居ないかもしれない。
そう思って、北海道から帰る前にもう一度、お店に行こうと思ったけれども、結局この一回きりでお店に行く機会はなかった。来年になるか再来年になるかわからないけれど、もう一度この店に行ったとき、マスターは僕の顔を覚えてくれているだろうか。
少し楽しみにしながら今を生きようと思ったりします。
次回:北海道空知地方岩見沢-脳梗塞から復活した芸術家に会いに行く-
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