限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落の旅-北海道小樽市-北海道胆振東部地震に被災する

前回、北海道小樽市でホームパーティに呼ばれた後、北海道胆振東部地震に被災した。

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genkaishuraku.hatenablog.com

 

 

 

北海道胆振東部地震

9月6日の午前3時頃、社宅が揺れた。僕とT氏はぼんやりしながら「テーブルに置いてあるコップが落ちるかもな…」と思ったが慌てて起きなかった。阪神大震災を経験した世代なのに適切な対応をとれない。30~40秒くらい揺れは続いた。

「揺れたなー」
揺れが収まってからようやく、のそのそと起きた。
午前5時頃、店の様子を見るために車で移動した。

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停止した信号と交通整理をする警察官

「とりあえず徐行だよねー」
小樽市は予備電力がある施設以外全て停電していて信号が全く機能しておらず警察官が手旗信号で車を誘導していた。対応が早い。


途中、セブンイレブンに立ち寄ると、まだ暗いのにもかかわらず非常食や水の買い溜めに走る人がポツポツと店に入ってきていた。まだ店内には食料が豊富に残っていた。北海道では大きな地震がほとんど起きないため現地の人達は困惑していた。

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立ち寄ったセブンイレブン

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食料品を買い集めるお客が少しずつ集まってきた

午前5時、電力供給の無い飲食店で作業

飲食店では料理長と僕ら、他1名の人間で必死になってスイーツや野菜等の腐りやすいものを冷凍室に移した。電力の供給が止まっているため、冷蔵室も冷凍室も物を冷やす機能はないのだが、冷凍室は普段ー30℃に設定しているため、まだ数時間は冷えた状態を維持できる。

 

とりあえず冷蔵庫に移動できるものをすべて移し、その日の営業は未定のため社宅に戻ることにした。帰りの車内ラジオやSNSから情報から情報を集めながらスーパーやコンビニを巡り食料品を買い集めつつ昼を迎えた。

北海道胆振東部地震の被害状況が少しずつ分かる

ニュースサイトでは今回の地震の最大震度が厚真地方の震度7であることが報じられ、SNSではへし曲がった札幌市の道路や、マンホールが突き出た土管のように地面から突き出ている写真がアップロードされた小樽市は震度4)
T氏と「ウソやろ」とかスーパーマリオみたいになってる…」などと感想を言い合った。震度や停電、事故にガス停止、今後の予定などデマや誤報が続々と情報が更新されていき、それらもまた誤報だとわかって更新されるという状態が続いた。挙句には闇市のような商品の叩き売りが始まったという情報も出回り北海道中、混沌としているようだった。

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情報収集

 

店に食べ物がない

店から社宅に戻る途中で寄った食料品店にはほとんど食べ物が無く、コンビニではレジから店の一番奥までの行列が商品棚で折り返してまたレジの方向へ続いていた。車でコンビニにたどり着いた人が「人が多いなー」といった感じで店内を見ていた。


レジに並んでいるガッチリとした体つきの太眉毛の男子大学生(と思われる)が買い物カゴに食料と水をたっぷりと入れて「いつまでこの状況が続くかわかりませんからねー。買えるだけ買っておかなきゃいけませんね…。今、必要なのは水とカロリー。だからといってお茶やコーヒー等の利尿作用のあるものを買うのは、むざむざ体の水分を奪うようなものですし愚かな選択ですよ(笑)」
などと、すぐ後ろに並んでいる50代くらいの女性に熱弁していた(大学生は話をしながら目ざとく羊羹を3つカゴに入れていた)。僕らはコンビニとスーパーを巡ったが、ほとんど何も購入できなかった。スーパーでは『おひとり様1個まで』と表記があり店の入り口で被災者へ販売していたが、僅かに食品が残っていたが、ピリ辛系のスナック菓子等がちょっとだけだった。

 

それでも出社している札幌市の知り合い

家に帰ると水が出るか確認した。水は出たが念のために空のペットボトルと浴室の湯船に水を溜めた。

札幌に住んでいる友人に生存確認と状況確認のメールを送ったら「自宅マンションで火災が発生して避難したけど、会社には出社した」と返信があった。
「会社に予備電力があるから仕事ができるし出社してる…」ということだった。

岩見沢市は大丈夫だろうかとtwitterで確認したがあまり情報は得られなかった。

小樽市は停電や所々で断水とガス停止等の被害があったものの建物の崩壊や津波もなく比較的回復が早かった。働き先の飲食店の電気はその日の夜に回復し、冷凍室に食材を入れっぱなしにしていたため食材がカチコチになっていた。

 

電力回復までキャンドルナイトをした

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キャンドルナイト

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夕食は白米とバター、買い置きのインスタント麺と昨日の残り

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なぜかプリンもあった。この生活での潤いになった。

比較:豊かだったころの食生活

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カルボナーラ

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栄養バランスを意識した和食

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白米に『おこげ』をつけて、いちびっていた。


社宅の電力が回復するまで僕とT氏はキャンドルナイトをして過ごしていた。これでネガティブな状況をポジティブに変換させられるかといえば別にそんなことはない。キャンドルナイトをしてから、いかに柔らかく冗談を言い合って無理なく不便な現実から逃避するかが大事なので結構難しい。この状況を小学生の頃の自分が日記に書くとしたらキャンドルナイトができて楽しかったです」とか大人にウケの良さそうなことを、全く思ってもないのに書くんだろうなと思った。

 

 

【食事情】被災しているからこそ美味しいものを食べる努力をする

小樽市では震災後2日後にはほとんどの電力が復旧していた。
ガソリンスタンドでは給油量が制限されていたため車の行列ができていた。
数日して丸亀製麺が営業しているのを見かけてT氏と一緒に入ったがトッピングがかき揚げが3つ程度残されていただけだった。
T氏が「こんなときこそ食に妥協してはいけない」とガッツを発揮して、コンビニに残された僅かな食材から美味しいものをつくろうと奮闘していた。二人で何軒かコンビニを巡り食材を探した。僕は、米炊いて食べればいいじゃないですか、と思っていたからT氏の奮闘をよそに漫画本をパラパラとめくっていた。

 

しばらくすると、
「閃いたで津田ヨ!」
T氏が目をキラキラさせていくつかの食材を購入して戻ってきた。
「何を買わはったんですか」
「なんやと思う?俺からは言われへんワ。とにかくこの場面での最善手や」
僕は何にもしてないので、T氏を乗せて社宅まで車を走らせた。
したり顔のT氏は社宅に着いてから冷凍の小籠包をコンビニ袋から取り出した。T氏は冷凍の小籠包を砕き、炊いてあったご飯と混ぜて炒めてチャーハンにした。
この小籠包チャーハンは冷凍食品のジャンクさと『被災』という状況も相まって今しか食べられない味がした。

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小籠包チャーハン


「流石です。見事です。まさか被災している状況でチャーハンを食べられるとは思いませんでした」
「せやろ」
T氏はやりきった顔で一服していた。

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一仕事終えてしたり顔のT氏

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飲まなきゃやってられない

震災後2週間経っても食料難は続いていた。コンビニやスーパーのカップ麺や飲料、スイーツなどの棚が空き商品は満タン時の6割程度で卵や牛乳は購入制限が掛かり、お1人様1パックまで。日々のカルシウム不足が深刻になった。肉類は震災発生までに入荷されていたもののみが販売されていたからすぐに品不足になった。ただ幸いなことに社宅の近くには南樽市場があり僕らは肉にも野菜にも程度不自由しないで過ごせていた。

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お1人様1点までの牛乳

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コンビニやスーパーの様子

震災発生4日後には何たる市場で見つけた牛すじでカレーを作れるくらい食料事情も回復していた。圧力鍋が無かったのと煮込みの時間が短くて、牛すじは固く、旨みも飛んでしまい、物凄く申し訳ない気分になった。
後日、また牛すじを買ってカレーに再挑戦したときには、旨みはある程度あったが、相変わらず肉は固かったため、もう牛すじカレーは諦めた。

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ろうそくの明かりで調理する様子

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それでもなんとか美味しい物を


 

次回:震災後、車がエンジンブローした

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