限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

役所に「限界集落の場所」を問い合わせたときの反応

限界集落を巡るにあたって、色々と準備をした(このはなしは2017年当時の話で、この記事を書いている2018年12月1日にぼくは東京の西多摩に位置する檜原村でべろんべろんに飲んだくれながら書いたものの修正版です)。

 

「この集落をどうやって調べたんですか?」

現地の人や地域おこし協力隊の人にしばしば聞かれる質問である。

限界集落の位置は大抵ネットか本で調べる。

市役所に電話をかければ一発でわかりそうなものだが、実はそうでないことが多い。

個人情報の都合で正体不明な相手には限界集落の位置を開示できないようだ。

相手の立場に成り代わって考えれば「集落の人に色々聞きたい」というわけのわからん人がいたら僕だって電話口の相手を警戒する。

※「自力で探し当ててください」「勝手にやってください」と言われるパターンもある。

 

旅を始める前に写真家の方の座学で「役所は冷たい」という話しがあった。

しかし、これは必ずしも冷たいとは言えず、危険から集落の人を守りたいが故なのではないかと思う(でも、よくわからん業務を増やしたくないという気持ちもあるのかもしれない。なににせよ人間臭い理由である)。

 

したがって非効率的ではあるが、僕は現地に行って直接、役所や住民から情報収集して話をしてくれそうな人を探す。

そういう人が見つからなくても、現地に行けば何かしらの発見や体験があって旅をしている感じが楽しい。何となく入った居酒屋さんでベロンベロンの自治会長に「人生とはなぁ〜」と絡まれたのは良い思いでである(カラテカの入江さんが「とりあえず飲み会に行けば何かある」とおっしゃっていた果たしてその通り)。

 

最近、旅を続けるうちに人生の先輩方(特に戦争体験者の方)に過度な「効率」を重視を嫌い、本質に重きを置く傾向が見られるように思えてきた。

近代化が進み効率を求める中で得られた何か本質めいたモノがあるのではないかというオカルトめいた考えのもと、ここのところ旅をしている。

 

ちなみに過疎集落の老人ホームに「人生の先輩方にお話を聴かせてください」と電話すると「施設に入居されている方の良い刺激になると思いますが、会話が成立するかどうか...」という理由で断られる。晩年の祖母を見ていたからその理由も納得できる。