限界集落の旅-福井県越前市某集落の『守り神』みたいなお爺さんが村を捨てない理由を聞いた話-
2018年3月頃
この日、限界集落旅は絶不調だった。
ある集落に訪れて現地の人に話しかけたものの、ことごとく話を断られた。ある人には、不審がられて少し怒られたり、またある人には、君が何を言っているかわからんから他を当たってくれ、といわれたり、事前に会う約束をした人は留守だったりと(置き手紙をしたが返事はなかった)なかなか上手くいかなかった。
最近、この集落ではどえらい詐欺事件でもあったのだろうか?と思って勝手口を見ると『悪質なセールスお断り』のシールが貼ってある。どの家にも貼られているからかなり警戒心が強い集落なのかもしれない。※営業マンの世界では、こういうシールが貼って牽制しないといけないほど家主のガードが弱いという考え方もあるらしい(豆知識)。
もっとも、事件があろうがなかろうが、突然の訪問なのだから、そらそうなるだろうと思い場所を変えることにした。ずいぶん前にSNSに『人生を変えるには』というテーマで書き込みをしていた人がいたのを思い出した。
【人生を変えるには】
・場所を変える
・一緒にいる人を変える
・(あと何か一つあったけど忘れてしまった。調べたら『時間配分』らしいのでそうしておく)
※詠み人知らず
という話を聞いたのを思い出し、場所と会う人を変えることにした。
山道に入り、進めば進むほど、人の痕跡が消えていく。コテージが見えたと思ったら廃墟だったり(当時2018年3月頃のため冬季休業中だったのかもしれない)、未舗装の道だと思ったらアスファルトが見えないくらい草と落ち葉だらけの場所だったり、行ったら廃村だったというオチではないか。というかこの先、道は続いているのだろうか。
福井県越前市某集落
集落に到着した。
九十九折の山道を抜けると真っすぐな一本道がずーっと続き、再び山の木々の中に消えていくまでの数百メートルくらいの間にポツリと一軒、石垣の上にお宅があった。丁字に伸びた煙突からもくもくと煙を出している。人がいる。
お宅に近づいてみると、補聴器を付けたお爺さん(以下:ご主人)が一人立っていた。
観光シーズンではないので、この時期に何をしに来た人か聞かれた。
旅の目的を伝えるとしばらくご主人と話ができることになった。
もうこの集落にはこのご主人(86歳)と奥さん(80歳)、そしてたまに来る住人以外、誰もいない。
実質2人で集落を切り盛りしている。
この集落について
この集落は、記録にも残っていないほど昔にこの地に訪れた先人たちが切り開き、最盛期には数十件の家が軒を連ね、お爺さんの家の前をまっすぐ越前の海岸に向かって伸びていく道は公家や大名が京都への通り道に使ったという。
「何も無かったこの地を切り開いた先人たちに頭が上がらない」
ご主人は自分の人生のルーツは生まれ育ったこの地にこそあり、自分の人生の始まりとなった場所を作った先人たちには感謝してもしきれない、だからこの地を離れないで畑を整えるという。
昔は平地よりも山道の方が重宝されていた。それもそのはずで平地は水害の恐れがあるが、山で水没の心配はまずない上に、山道は結構平坦で歩きやすい。そのため街道も山につくられた。現代では平地を通るのが当たり前になったが、国道や鉄道というのは50~100年程度の歴史しかないのである。
福井県では江戸時代頃、小浜から越前に続く数々の街道を『サバ街道』と呼んだらしい。由来は、この時代に鯖の水揚げ量が多かったからだという。この道も『サバ街道』の一本だったのだろうか。
ご主人の格言集
話の最中、ご主人は『ルーツ』とよくおっしゃった。
自分が生まれた場所は自分のルーツであり、自分の人生の確固たる骨子を築くために必要なすべてが詰まっているという。ご主人は自分の先祖やその周りの人たち、ルーツの根元を探るために、この地のことを近隣の寺に残された資料や役所を通じて念入りに調べたものの、先述した通り、記録が残っていないほど昔から人が住み始めたというところまでしかわからなかった。自分がなぜここに生まれたのか、何を糧にどう生きていくのかにこだわっているからこそ、この地に時々、自分の先祖のルーツを辿ってやってくる外部の人たちにこの場所の歴史を教えているらしい。
「自分がこの場所からいなくなったら、この場所に自分の先祖を探しに来た人たちのルーツを失くしてしまうことになる」
ご主人は息子さん達が街に住んでいて、自分たちも街に住むことができるがあえてそうはしない、この地の『守り神』や『語り部』といえる。
この時の訪問時にはあまり歴史的な話をしなかったため、今度お礼に顔を出す時にはこの地の歴史とご主人の歴史を聴きに行きたい。
戦争体験者の話が重宝されるように、限界集落に住んでいる人たちの知る現地の歴史話も今後、重宝されるんじゃないかと思った。その地に住んでいる人から、直接聴くライブ感は脚色された歴史よりもスリリングで生々しく、面白いはず。そして、それをあえてその声をカセットテープで残すと音質の面でも暖かみが出てより良いのではないか。あんまり何でもコンテンツ化してしまうのは下品かもしれないけれども、地方の資料にも残っていない、口伝され続けてきたようなマイナーな歴史は、刺さる人にはとても深く刺さるのではないかと思った。
それはさておき、この場所には、たまに新聞や雑誌の記者が訪れてはご主人に、こんな場所に住んでいてこれからどうするのか、と質問してムッとさせているらしい。
その答えは『自分と他人のルーツを守るため』である。
「やってることは、まるでこの地の神さんですね」
というと、
「捨てることはできない。でも捨てることができないっていうのは…弱いからかな」
弱気になる守り神。
「あの人があんだけ頑張ってるんだから自分も頑張ろうと思えたら一人前。まっすぐ育っていける」
ルーツの他に人として大切なことをご主人に聞いたところ、こんな返事が返って来た。
そう語るご主人だけあって、子育ては結構スパルタだったようだ。
「子供にはキツくあたりました。子供を雪に投げ込んだこともあります。それくらいしないと根性がつかんから」
雪深い地域ならではのしつけ方である。今の時代なら虐待と言われてしまうかもしれないが、この方法は結構合理的なしつけじゃないかとも思った。
というのも、降りたての柔らかい雪であれば投げ込んでも怪我の心配は少なく、それでいて雪の冷気でもって子供に『自分は叱られている』と自覚させられる上に、自然の厳しさを教えることもできる。一石三鳥の可能性がある。こうした厳しい教育の成果もあってか、ご主人のお子さんたち(雪に投げられた)は街中で立派に成功を収めているとのこと。また、両親が心配で定期的に集落にやってくるという。きっとご主人はお子さんを投げっぱなしにせず、叱った後はきちんとフォローされていたのだろう。
※ちなみに祖父母に甘やかされて育つことを『三文育児』という。
ご主人は子育てに必要なことをもう1つこのように語った。
子育てするにあたってご主人はご自身の子供時代と重ね合わせる。
「両親がたまにしか帰ってこなかったから親子の情はできませんでしたな。親が朝昼晩と一緒にいて情がもてる親子になる」
昔は祖父母が子供を育てるという事例が多かったため、必ずしもそうとは言えないものの『三つ子の魂百まで』という言葉が残るくらい3歳程度までの時間は大切なようだ。
人間は3歳までに脳の80%が形成されると言われている上、おしめを替えるのも、お乳を飲ませるのもこの時期だけ。親と子が互いに関係して『情』を学べる時間も以外と短いのかもしれない(子供に接する時間が短かった親は後になって後悔するケースも多いようです)。
大阪府の千早赤阪村を訪れたときに元校長先生も『親は子供にとって最初の“環境”』とおっしゃていたし。
▼千早赤阪村訪問時の記事▼
これらをふまえて雪に投げ込まれたお子さんの意見も聞いてみたいものである。
ご主人の家から奥さんが出て来られた。
「旦那がなかなか戻ってこないから心配になって見にきちゃった」
気がつけば2時間くらい話し込んでいたようだった。
「この人がこんなに話し込むのは珍しいわ」
という奥さんに、長々すみませんでした貴重な話しをしていただいて聞き入ってしまいました、とお礼を言って手みやげにもって来た『八つ橋』を渡した。そんなに高価なものでもないのに喜んでいただけて嬉しかった。
「また来ます」
「いつくるんやね」
「半年後くらにまた来ます」
「それやと死んどるかもしれんわ」
「では3ヶ月後に来ます」
そういってご夫婦を分かれようと思ったら奥さんに、ちょっとまって、と止められた。
「こんなんしかないけど」
新筍で作ったお手製の筍御飯をいただいた。
ありがとうございます、と受け取り是非又お礼に来ようと家路についた。
筍御飯は美味しかった。
この日から数か月、再訪問した時の映像
次回:栃木県でプチWWOOFer体験をしつつ自給自足家族の格言を聴く
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