限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落の旅の寄り道-箕面温泉で謎の橋を渡る-

僕は実家のある大阪に帰省すると小学生の頃からの友達と温泉に行って下世話な話をするのが習慣になっている。

 

大体は箕面温泉スパーガーデンが岸辺にある極楽湯に行き、たまに新規開拓をしたりする(数年前、香川県へ年越し旅行をした際に宿泊した宿では、家風呂2つ分くらいの広さの浴場で入浴中に見事な登り龍を見て少し萎縮した)。

 

2019年の新春は大江戸温泉に来ていた。

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大江戸温泉展望台からの景色

 

16:30僕を含めて3人で到着(小学生からの顔見知り)。

「17時になれば入場料が2000円→600円になりますよ」と受付の可愛いお姉さんに説明され30分時間をつぶすことにした。

まずは展望台から大江戸温泉の展望台から薄い雲と夕日が曖昧にとけあった色合いの空を記念撮影。「美しい」「幻想的だ」と唸った。

 

展望台からの風景をながめていると自分たちのすぐ下に広がる山に橋がかかっているのが見えた(写真右下あたり)。

 

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写真がないからイメージ画

「あの橋、どこからどう行って渡るんやろうな」

「この建物から道が...つながってるのか?つながってないのか?」

「経路がわからんな」

「なんやろな」

「ちょっと渡ってみよ」

何の飾り気もない簡素な橋だけれど渡りたい。

これは僕らが子供のころにファミコンなどでRPGをプレイしたために「橋を渡る」→「強い敵が現れる、新天地」という展開が刷り込まれて「橋」への漠然とした期待や憧れを持っているからではないか?あるいは「橋を渡る」という行為そのものが民俗学や宗教学的に「人の成長」を表しているのではないか?映画スタンドバイミーでも橋、渡ってたし。

と話しながら施設内の階段を上がったり下がったり、扉を見つけては入ってみたりした。しかし、どこをどう行っても施設から橋に向かえる出口がない。

 

「まだ僕らの人生では起こらないイベントなのかもしらんな」

ゲーム後半に地形の変動などが起こらない限りあの橋を渡れないのではないか。

いやボケそんなわけあるかと、いったん施設の外に視野を広げる。

 

施設の入り口から出て、もと来た道を逆に進み橋への道を探す。

駐車場で車の誘導をしているおじさんに聞き込みをしつつも何も手掛かりがつかめない。齢31にしてこの橋への執着心は素晴らしい。

「温泉で温泉以外の楽しみを能動的に見つける。これエエな。これこそ旅の醍醐味って感じやがな」これは限界集落旅の面白さと同じである。

 

しばらくうろつき舗装された道路の脇に落ち葉にまみれた未舗装の道を見つけた。

道は左右に分かれており、右の道が左の道より1メートルくらい高い位置にある。

左側には鳥居が数メートルごとに設置されていて「私有地により立入禁止」と標識があるから右の道を、落ち葉や枯れ木をバキバキ踏みしめながら進んだ。

「ゲームみたいやで」

と僕が言うと友人Kがスマホファイナルファンタジーの戦闘シーンの曲を流し始めた。彼はファイナルファンタジー派のようだ。

 

1分くらい進むと橋があり「関係者以外立ち入り禁止」の看板が下げてあった。

「通報されたら嫌やから戻るか」

と未舗装の道を引き返す。

 

時間は程よく16:56になっていた。

いい旅ができたと満足した僕らは温泉で下世話な話をしてのぼせた。

 

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集落巡りのYOUTUBEもやってます。