限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落の旅-北海道空知地方岩見沢市-脳梗塞から恢復した芸術家に会いに行く

 

2018年7月頃、日本の過疎集落を巡って北海道までやって来た。

岩見沢市の集落住む人生の先輩達はどんな人生訓を持っているのか聞いてきた。

 

 

芸術家で地域おこしを試みた地域

2018年8月、岩見沢『美流渡(みると)と呼ばれる地域に行った。

この地はかつて、芸術で村おこしをしようとしたらしく各所に芸術にまつわる施設がある。しかしながらほとんどの施設は現在、閉鎖しているらしく、街から通いで創作活動を続ける人や、今でも残った施設の住人が細々と博物館で作品の展示を続けている。

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芸術家の住んでいた施設(今はほとんどだれも住んでいない)

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今までも展示されている芸術作品

美流渡に残った芸術家の人たちに話を聞いてみることにした。

地元の人に聞き込みをして芸術家の家を探した。僕の声の掛け方が悪かったか、あるいは挙動が怪しかったのか、美流渡に住む人に若干、不審な目で見られてしまったりもしたが、なんとか芸術家の家までたどり着いた(僕の目の光が濁っていたのだろうか)

場所は美流渡から少し移動した万字と呼ばれる集落だった。

 

「すいませーん」

玄関から家の中に呼びかけてみると脚を引きずりながらオヤジが一人出てきてくれた。無精髭を蓄え、野性味たっぷりな雰囲気の芸術家だった。日本を旅してまわって人生の先輩達から人生経験を聞いて回っていると事情を説明すると、自分は2018年の5月頃(?)脳梗塞で倒れて、7月頃(僕が訪れる1か月前)に退院したんだけど最悪なタイミングで来ちゃったね、と言われた。

いや、むしろ貴重な機会です。

(作品展もやる人だが、あえて本名は出さず仮に『髭爺さん』とする。全然、爺さんという年齢ではないが)

 

【髭爺さん(54)の話】

髭爺さんは大学を卒業後、広告代理店に就職した。しかし、社会に上手くなじめず『売る』ための広告に疑問を感じ芸術家に転身した。作品は立体物を使ったインスタレーションを主としている。何十年と芸術活動を続けていくうちに脳腫瘍に侵された。退院して、なんとか歩いて、喋れるようになったが、手先を使った細かい作業ができるまでには回復していないため、今後、芸術活動を続けるかどうかは迷っている。

「ぶっ倒れた後の、最悪なタイミングで来ちゃったね。」

倒れる前なら色々話せたんだけれども…、という髭爺さん。

いえいえ、そんなことないですありがとうございます。

 

- 広告会社の仕事の何が気になったんですか -

「売るための広告がバカげてた。売ることを考えると売れないよね。同じような物が増えすぎて、なくてもヘーキになるから」

だから芸術家人生を選んだんだろうなと思った。髭爺さんの作品は消費社会を風刺をしたような作品が多かった。もっとも芸術家に転向した初期の頃は自分の内面を表現した作品を作っていたらしい。しかし、それでは通じなかったため、気になることをネタにし始めた。そうなると社会的なことが多くなったという。社会と接点を持つことで、ハネッ返りの若造がちょっと、大人になった瞬間なのかもしれない(という勝手な美談)

 

髭爺さんの作品紹介(パンフレットより)

 

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船のところが凄く細かい

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寄りで見るとさらに細かい(船部分)

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凄い世紀末感



髭爺さんは展覧会も開いているが、基本的に作品を売らない。『見る人に応える』ために作品を作っている。田舎生活はなんやかんやでお金がかかる。収入は足りているのだろうか?

- 安定した収入のある生活を捨ててしんどくはなかったんですか -

「札幌では年間200万円かかった生活費が限界集落では年間80万円で済む。生活のコストがかからなくなって気持ちが豊かになった」

ご近所の手伝いすればご飯や多少のお金が貰えて生活できる。お金のことを意識しなくていい分、ストレスが軽減されるという。勿論、初めは余所者だから、集落に馴染む努力をして集落の人達から仕事を頼まれるように関係を築く必要はある。

そんな話をしている間にもご近所の人がやってきて、おーい元気かー、などと髭爺さんに声をかけていた。

そういえば京都府和束町でもガラス工芸に勤しむ女性芸術家が住んでいた。この女性芸術家はガラス工芸の設備を持ち、ガラスに向き合うために田舎に住んでいた。髭爺さんも芸術活動の環境を得るためという理由もあるが、生活の豊かさを得るためにここに住んでいる。この考え方の違いは面白いなと思ったが、基本的に髭爺さんが資本主義や文明社会に疑問を持っているからこそ田舎での豊かさを感じられるのだろう。

髭爺さんは「欲望がなくなってきた」とも語る。田舎に住むことで、誰も傷付けずに反社会的な思想に染まってきているのだろうか。まろやかに尖っている。

 ▼ガラス作家さんの住んでいた集落▼

genkaishuraku.hatenablog.com

 

 

髭爺さんの理屈

「お金を考えないで済むからストレスが減る」

「経済成長が止まった方が楽」

「田舎は可能性がある」

髭爺さんはヨーロッパやアジア、アメリカなどの色んな国を旅して、日本は文明も豊かさも行くとこまで行ったな、と思った。からこれから変わらざるを得ない。その可能性があるのは田舎。

ただ、脳腫瘍の後遺症で薪割りなどの肉体労働がしんどくなってしまった。

 

「この辺りだと車で移動しないといけないし雪かきなんかも含めてこれからの季節、大変ですよね」といった話から話題が車に移った。

「車って文明の在り方を象徴しているよね」

「 電気自動車を造るためには大量の化石燃料が必要になるから電気自動車に2年乗ってプラスになるってウソ…なんて言えないよね。まぁ、世間は薄っすら気づいてるけどね」文明を意識している人らしい言葉である。とはいえ車は便利なのだけれども。大きな声では言えないことも多々あったり、ハンバーガー1個作るために5平方メートルの森林が伐採されているとか、ティッシュぺ-パー1枚作るのに水が数十リットル必要だという数字のマジックなのかもしれないけれども、このあたり何とも言えん。

 

「今は2時間も話すと頭がシンドくて。もう、今日はこれで限界だ」

話を切り上げることにした。

この当時、僕は雪の降る時期まで北海道にいる予定だったため、話を聞かせてもらったお礼に何か手伝おうと思った。

「薪割りの手伝いに来ます!」

と言って別れたが、しばらくして北海道から帰ってしまったため、結局、ここに薪割りに来ることはなかった。髭爺さんも期待はしていないかっただろうけれども、後味の悪い約束になってしまった。

今度、家を訪ねるとき、まだ芸術家活動をしているだろうか。

 

▼髭爺さんお勧めの本▼

自作の小屋で暮らそう ──Bライフの愉しみ (ちくま文庫)

 

次回:北海道空知地方岩見沢-髪の毛の伸びる人形に会いに行った-

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