限界集落旅の名言

限界集落等の過疎地に住む人生の先輩方から「人生訓」を収集する旅

限界集落の旅-続、お世話になった方々にお土産を渡しに行く活動が難しい-

北海道の過疎集落を旅した後、集落旅でお世話になった人に北海道土産を持ってお礼に行った。これが今振り返ると、反省点の多い活動だった。

▼前回の記事▼

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自給自足の一家


栃木県日光市の自給自足を研究している一家にも北海道土産を渡しに行った。この一家にはかつてプチWoofer体験(仕事をする代わりに寝床と食事を提供してもらう)をさせてもらった。


▼Woofer体験記事▼

genkaishuraku.hatenablog.com

 

 

北海道名物菓子『白いブラックサンダー』(チョコレート)などの名物食品を持って行ったのだが、なにせ自給自足を研究している一家なわけだから市販の食品は添加物とかの関係で食べないんじゃないだろうか、と直前で気づいた。

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北海道限定のチョコレート菓子『白いブラックサンダー

 

 

なんで北海道にいた時に気づかったんだろうか。
なんでめふんとかにしなかたんだろうか。
金、無かったからだ。それでもめふんくらいは買えたはずだ。
金が無い上に、気も利かない。ろくでもない。
そう思ったけれどもう遅い。

 

めふん

japan-word.com

 

市販のチョコレート食べることあります?と若干、恐る恐る差し出したが
『あ、食べるよー』とのことで一家の食卓としては全く問題なかった。

気にし過ぎである。というかブラックサンダーに失礼である。

むしろブラックサンダーなのに『白い』とは、これ如何に?と捻りの効いた名前が好感触でお土産物のセンスも一家に合っていたらしい。

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ブラックサンダー』のくせに『白い』とは、これ如何に。

 

▼本日の北海道土産『白いブラックサンダー』▼

www.yurakuseika.co.jp

 

 

 

自治会長の家


人生訓を聞かせてもらったある集落の村長さんの家にも行ったら、冬の期間はスキー場に出稼ぎに行っているとのことで留守だったため(雪が降る集落は冬季は出稼ぎに行っている場合があるようだ)、ご在宅しておられた村長さんのお母さんにお土産を差し上げた。

 

やっぱり目尻や顔立ちは親子だから似てるなーと思っていると、その場で即お返しとばかりに大量の柿やリンゴの砂糖漬け、カボチャの煮物に漬物、緑茶とコーヒーでもてなされて何か凄く得したような、申し訳ないような気持ちになってしまった。
緑茶は『暖かいうちに飲むのが礼儀かな』と思って熱いうちにハイペースで飲んでいたら、飲み干すたびに追加で入れてくださるため、歯医者のうがいの水よろしく、常時、湯のみが満タンになっていた。カテキンで僕の体を浄化してもらっているようだった。お土産を持って行って逆に満腹で帰るときの、妙な申し訳なさ。

 

飲み屋1


各所の地酒を何度か渡している飲み屋さんに向かった。今回もいつものように、その節はお世話になりました常連の皆さんで飲んでください、と北海道の地酒を渡してうどんを注文しすすっていたら『いつも貰ってばかりでは悪いから』と、うどん代をまけてもらってしまった。善意の営業をしているような気がした。

 

飲み屋2


店主に酒のつまみになるスナック系のお菓子を渡し、来店していた常連客の皆さんで食べていい感じに終わった。
「いつまでも覚えていてくれてありがとうね」
という店主の言葉にホロッとしつつ、若干、飲み代をまけてくれそうだったので『定価で』と言ったような、言わなかったような。

 

 

お土産を持っていくのが難しい。
他にも何カ所かの集落に北海道土産を持って行ったが、
その度に、本当に自分は感謝してお土産を持ってきたのか?営業マンになってないか?善意を押し売ってないか?『お土産を渡す』というコンテンツにしようとしてないか?と疑問が湧き出していた。自分に邪な気持ちがあるんじゃないかという疑いである。

お土産を渡すには神社にお参りするときの二礼二拍手一礼のように心の所作があるような気がする。

 

そして、お返しを気にし過ぎである。お土産に対して好意が返ってきたら素直に受ければいいだけなのに。お返しが怖くてお土産が渡せるか。

あと活動時間や移動距離の制約で行こうとしてたけど行けてないお宅もあったりしたが、それも不平等な感じで良くないなぁ。

 

お土産を持っていくなら…

  • 心から感謝しているからこそ、持っていく。
  • 相手の好みを把握しておく。
  • あらかじめ現地の様子を把握しておく。
  • あらかじめ連絡を取っておく。
  • 1人に渡すなら全員に渡す(全員で楽しめるものを渡す)
  • 無理に『ブログに書けるかな?』と思わない。
  • お返しされてもあまり気にしない(好意はきちんと受け取る)
  • 軽やかに、爽やかに、自然に渡す。

他にも色々あるだろうなぁ。気遣いが難しい。

 

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限界集落の旅-お世話になった方々にお土産を渡しに行く活動-

2018年11月頃、北海道の集落旅から帰ってきた僕は本州の過疎集落でお世話になった方々に北海道土産を渡しに行く活動をしていた。当時は純粋な恩返しのための活動だと思っていたが、今思えば自分の罪滅ぼしの(そしてあわよくば好感度を上げる)ための活動だった気がする。

 

▼前回の記事▼

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というのも僕が行っている『過疎集落の(主に)シニア層に人生訓を聞く活動』で、現地の人に面倒な思いをさせているのではないかという、当初から薄ーく霧のように漂っていた感覚が旅をするほどに濃くなって体をコーティングするようになってきたため、何かしらの活動で誰かからの許しを請いたかったのだろう。

余所者が現地の人と多少交流した程度でいい関係になることは難しく、それも集落側の立場になって考えるほどに納得で、もしも自分が地域おこし協力隊として集落で必死に働き、2~3年の任期期間中に本気で集落の方々からの信頼を得て集落を良くしようとしているときに、どこの馬の骨ともわからない輩が突然やってきて「集落の人と話したい」とか言い出したら、なんやコイツは犯罪者か?と思うような気がする。


僕の活動を『良い行いだ』といってくれる人がいる反面『若干の迷惑行為ではないか?』という自分への疑問が表面化していた時期だった。だから恩返しではなくは罪滅ぼしが近い。そしてお土産を持って行ったこともブログに書くだろうから純粋な恩返し度はさらに低下している気がする。

 

当時ルームシェアしていた家からお土産持って出発しようとする僕に「エライなぁ、ちゃんとそういうことして」と声を掛けてくれたKさん、僕は雑念だらけでお土産を渡しに行ったのかもしれません。

 

■お土産を渡した人:シニア経営者
そんなわけで某集落のシニア男性に北海道土産を渡しに行った。
このシニア男性は某集落内で奥さんと一緒に、ニコニコしながらお店を経営している。初めてこの集落を訪れたときにまずはこのお店で情報を収集しようかと思い入店した。
『僕は人生の先輩方に人生の格言を聞いて歩いています』
という僕に対してニコニコ対応してくれて、人生とはなんぞや、この辺りの地域にはこんな秘密があるとか、一通り話してくれた。そして僕が店を出るときに
「また明日この店に来なさい。そしてこの集落で聞き集めた話を聞かせてくれ」といってくれたので、翌日また店に行ってシニアに挨拶したら「本当に来たのか!」とびっくりしやがったのだった(当時は、なんでやねん!という思いが強かった)

「いやな、君が本当に今日やってくるのか嫁と賭けをしてたんだ。嫁のヤツは“あの子は絶対に来るわ!”と言ってたんだけどさ」
「君は人がよさそうだ」「身なりの雰囲気が違う」など僕に評価をしつつもシニアは様子見だったらしい。人を初見で判断しないのは経営者の処世術だろう。
しかしながら、このときの僕は悔しさの方が勝っていた。
『僕!近々、北海度に行きますから…帰ってきたら絶対にお土産持ってきますからね!』
と捨て台詞を吐いた。
「楽しみにしとるよ」
とかシニアが言ったか、言ってなかったか。
それから約4か月。

 

集落に到着。
このときは11月で集落にあるほとんどのお店が冬季休業中だった。開いているのはせいぜい、うどん屋さん1件程で、シニアの経営する店も冬季休業中だった。

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11月

僕はシニア夫婦の住まいの場所を知らない上に、集落自体がほぼ冬季休業中で住人が家からあまり出ず聞き込みも難しい。取り合えず顔見知りの集落の住人からシニア夫婦の住まいの位置情報を聞いて、シニアの家を探し当てたときには18時頃だった。外にはほとんど街灯も無く、雪が積もる足場をスマホの灯りで照らしながら、サクッサクッ、っとシニアの住まいに到着した。

 

『ごめんください』
どちらさまですか、と奥さんが玄関を開けてくれた。
『お久しぶりです4か月くらい前にここに来た僕です北海道から帰ってまいりましたのでお土産を持ってきました』
「あら久しぶりねー。あれからどうなったか気になってたけど連絡先もわからなったからね~わざわざありがとね」

ありがたいことに奥さんが僕を覚えていてくれた。そして、やや遅い時間だったが嫌な顔をされなかったのには一安心した。
シニア夫婦は夕食の時間だった(食事時でスミマセン)。玄関から食事の並ぶちゃぶ台が見えた。シニア男性は居間の奥から相変わらずニコニコしてこちらを見ながらで白米を口に運んでいた。食事の邪魔をしてはいけないのでお土産を渡してすぐ帰った。

 

雪が溶けた頃にまた店に行こうと思ったが、その頃(2019年)には無期限で群馬県に出向しており、さらに2020年5月現在、無期限で佐賀県に出向していることやコロナで、あの集落になかなか行けない。

 

次回:続、お世話になった限界集落の人に北海道の土産を渡しに行く活動

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限界集落の旅-北海道小樽市-北海道から東京に帰る

震災の後しばらく経って
「戻ってきてもらわないと寂しいから」
というメッセージが増富社長の部下の方から送られてきたため、北海道から東京に戻ることになった。

 

▼前回の記事▼

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北海道から東京に帰還命令が出る


『寂しい』なんて女みたいな理由で戻ってほしいなんて、社会ではない話だろうから、何か裏があるに違いないと思いながら9月末をもって北海道を去ることになった。

 

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小樽市の公園から


東京に戻る数日前に飲食店で苦楽を共にしたスタッフの方々と飲み会をした。

2次会のカラオケ屋さんで皆が歌ってるの思い出にと思ってこっそり録音してたらバレて、消して消して!、と言われた。はい消しますよ、と言ったが1年以上経った今も消せないでいる。

 

「1月末にまた遊びに来てください。これは命令です!」
学生時代ヤンチャだったスタッフのIさんが目をキラキラさせて圧をかけてきた。ありがたい話である。でも結局、2018年11月末に北海道へ行くことはなかった。さらに2019年にも北海道へ行ってない。こうやって出会ったそばから次々に疎遠になっていくんだろうか。ぱっと1日会っただけでは、どれだけ楽し気にその場を過ごせたとしても、親しくなれないのが人間関係だから、飲食店のスタッフさん達とシンドイ仕事で苦楽を分かち合えた時間は貴重だったのだろうから少し勿体ない。

厨房で玉ねぎを剥きすぎて、僕が玉ねぎの皮を剥いているのか玉ねぎに皮を剥かされているのかわからなくなったのも今となってはいい思い出である。もうやりたいとは思わないけど。

 

飲食店の社宅に住むT氏はまだしばらく北海道に残って仕事を行うらしい。
修理が終わったホンダアクティに乗って苫小牧のフェリー乗り場に向かった。

北海道は9月の時点で、もう寒くなっていた。

 

北海道で、できなかったこと

色々と名残惜しいこともあった。

限界集落で話を伺ったおじさんに「薪割り手伝いに、また来ます」といっておきながら結局その約束を嘘にしてしまったことや、もっと遠くの地域に行きたかったこと。

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羊蹄山と畑

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細川たかし記念館in道の駅

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細川たかし記念館in道の駅

思い出とはいうものの羊蹄山付近はほとんど通り過ぎただけだからさほどの思い出は、まだない 。

 

酒処 ふじりん

小樽市花園でT氏と見つけて、また行きたいと思っていた、出汁のきき方が素晴らしいおでん屋さん『酒処ふじりん』にも行かずに終わった。

京都人のT氏が、俺を唸らせる出汁の味…!、などと、ほざいておられた。

おでん以外にも、ホクホクと濃厚で柔らかくこってりした果肉の『湯で落花生』が美味で帰るまでに食べておきたかった(店員さんの品も良くて心地よい時間が過ごせます)

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茹でた落花生も美味しい

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茹でた落花生の中身

▼酒処 ふじりん▼

tabelog.com

 

浜坂皮フ科


飲食店で教えてもらった札幌市内の浜坂皮フ科に通えなくなることは心細かった。この皮膚科の先生は、できる限り自然治癒でアトピーを抑えるように指導してくださった。

「体の洗いすぎは良くないぜ。体が乾燥しちまうからな。アンタ彼女はいるか?彼女と会うときには体を念入りに洗わなきゃダメだけどな(笑)そうじゃなかったら足と頭とチンポ洗うくらいで充分だ!あと、よく寝るんだぜ」

面白い先生だった。僕の体に合った治療法だったためとても残念だ。

▼浜坂皮フ科▼

byoinnavi.jp

 

北海道文化の締めパフェ

北海道名物の締めパフェもやらずに終わった。

ちなみに飲み屋が集まる小樽市花園にはたしか『肉とワインと締めパフェ』の店があった。食と酒と締めパフェまでワンストップで揃っているところが気になっていたが結局行けずじまい。他にも花園にはジンギスカンのお店があってこちらも美味だった。使い込まれた畳と煙の燻り具合が雰囲気良く、お酒と食を進めてくれた。

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パフェは単品でなら食べた。

 

とりあえず社宅で使わせてもらった布団カバーやその他の洗濯物をコインランドリーで洗って乾燥させた。なかなか風情のあるコインランドリーだった。

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小樽市のコインランドリー

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小樽市のコインランドリー

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小樽市のコインランドリー(昔のジャンプも残っている)

行きと同じく『さんふらわあ』の船内で19時間過ごした。皮膚が乾燥するから帰りの船内でも大浴場には入らなかった。また浜坂皮フ科を思い出した。

 

東京のシェアルームに到着

東京でルームシェアしていた家に到着した。
東京台東区の某ビル(2020年現在引っ越しているため、もう住んでいない)。この家にはクリエイターたちが暮らしている。元々、皆同じ会社にいたが、社内の揉めごとのせいでクリエイターたちはほとんど辞め、その後、志を同じくする者たちだけで寝食を共にしようと東京に出てきたのである。皆それぞれの持ち場で頑張っている。

 

帰ってきてから企画書のデザインやら年末には年賀状のデザインを行った。僕はそこまでデザイン能力が優れているわけではないが、企画書や年賀状のデザインにはちょうどよいクリエイティブ能力らしく、使いっぱしりや部屋の掃除などもやるため、コスパが良いらしい。

そんな業務をしながら、とりあえず北海道で買ったお土産を色んな人に渡しに行った。

 

次回:お世話になった限界集落の人に北海道の土産を渡しに行く

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限界集落の旅-北海道小樽市-旅用の『ホンダアクティ』エンジンブロー

北海道の限界集落巡りをしている時期に北海道胆振東部地震に被災した。

震災から数日しても食糧やガソリンなどはまだまだ不足しており、携帯電話の充電のためにイオンの各携帯キャリアの店には人だかりができていた。

それでも、飲食店はかなり営業を再開しており、パフェが食べられるくらいには復旧していた。

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震災数日後にこれだけのパフェが出せる日本は凄い

また、イオンのアミューズメント施設もある程度復旧しており、僕とT氏と飲食店スタッフのIさんで試しにボーリングをしてみた。

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こんなときだからこその気晴らしボーリング

 

そんなこんなで徐々に復興を感じながらさらに数日後、北海道の職場で知り合った人達とお好み焼きパーティをしていた。食材の買い出しの際に旅で使用していたホンダのアクティが煙を吹いた。

 

北海道胆振東部地震で被災した記事▼

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お好み焼きの買い出しでエンジンブロー

北海道にいる間、飲食店で働いていた知人(T氏)の社宅を活動拠点にさせてもらっていた。T氏の働いている飲食店は慢性的な人材不足だったため、僕は社宅の家賃代わりに厨房で働いていた。二十代で2つの会社から戦力外通告を受けた僕だが、この職場では問題なく働いていた(とはいえ『僕、料理の道を志しています』といったらシバかれる程度の戦力であり、飲食店の正社員ではなかったことも関係している)

そのうち飲食店スタッフの方々とも仲良くなった。ある日、疲労からくる日々の鬱憤を発散にT氏の社宅でスタッフ数名とお好み焼きパーティをすることになった。

 

T氏も僕も関西人なので皆からは『関西風お好み焼き』を期待されていた。

しかし僕は『関西風お好み焼き』をほとんど作ったことがなく、食べた経験もあまりない。実家でもお好み焼きらしきものは食べていたが、母が作るお好み焼きはたいがいお好み焼き風』だった。これは溶かしたメリケン粉に余った食材を混ぜて焼いてソースをかけて食べる、所詮お好み焼きの雑種である。そのため作った母も「はい、お好み焼き風できたで」という。“風”ってなんやねん、いつ本物を見せてくれんねん、と思っていた。

『関西風』どころかお好み焼き』かどうかもわからないものが僕のお好み焼きの思い出だった(それで食うたら食うたで美味いんだから、母の料理の腕は凄い)

 

お好み焼きってあんまり作ったことないです、俺もそんなにないワ、意外とないもんですね。T氏とそんな話をしながらクックパッドで食材をリストアップをした。

 

当日はT氏と僕の他に男性社員2名、女性社員1名、ヘルプで厨房を手伝ってくれている女性1名男性1名の合計7人集まった。

皆で車(ホンダアクティ)に乗りスーパーへ買い出しをして社宅に戻ってくると車のボンネットから煙が出ていた。助手席に乗っていた乗していた女性社員はいつの間にか太い柱の後ろに隠れていて、ひょいっと顔を出しながら「大丈夫ですかー?爆発しませんかー?」と言っていた。近くの車屋さんに連絡してレッカーで引き取って点検してもらうことになった。車についてはとりあえず結果を待つ。

 

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アクティ検査中

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運ばれるアクティ

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運ばれるアクティ

下世話な話

お好み焼きの材料は買ったがお酒が無かった。この日はお昼から酒を飲み、お好み焼きをアテにしながら前後不覚になるまで酔う予定だったため。女性陣にお酒を買いに行ってもらった。その間に男性チームで下ごしらえを始めた。女性がいないのをいいことに『興奮しながら好きな女の名前を呟き山芋をすりおろす』という下世話な遊びをしていた。

 

ドロドロにすりおろされる山芋をボールに落とし、はぁはぁ、吐息をはさみつつ

「あぁ…、(名前)~。いいョ(名前)~(シャコシャコ…シャコシャコ…)」

といいながら過呼吸になるほど笑った。男が3人集まってもカスしか出ないこともある。

 

関西風のお好み焼

クックパッドの説明通りに豚玉を焼いた。T氏が焼いた1枚目の豚玉はなかなかの好評だった。僕が2枚目を焼いた。

「やわらかくておいしいですね」「トロっとしてる」

「そうでしょう流石に舌が肥えてらっしゃる…」

といいながらお好み焼き食べたら生焼けだった。

生焼けだったけど皆、そういう趣向の味なんだ、と思ったらしい。

 

混ぜる具材を変えて何枚かお好み焼きを焼いて、食べては飲んで、話を弾ませた。途中、お好み焼きに名前を付けてください、といわれたので『エキサイティング〇〇(スタッフの名前)焼き』と答えた。アルコールで正体不明になっていたことや、お笑いの番組が少ない北海道の人たちの集まりだったためかなりウケた。

 

アクティはエンジンが完全に故障しており、エンジン載せ替えか廃車にするか決めないといけなかった。車をかりている会社の担当者様に相談したら、中古車を買うよりも安いからという理由でエンジン載せ替えすることになった。そして車を修理している間に東京から帰還命令が出た。

 

次回:東京に帰る

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限界集落の旅-北海道小樽市-北海道胆振東部地震に被災する

前回、北海道小樽市でホームパーティに呼ばれた後、北海道胆振東部地震に被災した。

▼前回の記事▼

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北海道胆振東部地震

9月6日の午前3時頃、社宅が揺れた。僕とT氏はぼんやりしながら「テーブルに置いてあるコップが落ちるかもな…」と思ったが慌てて起きなかった。阪神大震災を経験した世代なのに適切な対応をとれない。30~40秒くらい揺れは続いた。

「揺れたなー」
揺れが収まってからようやく、のそのそと起きた。
午前5時頃、店の様子を見るために車で移動した。

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停止した信号と交通整理をする警察官

「とりあえず徐行だよねー」
小樽市は予備電力がある施設以外全て停電していて信号が全く機能しておらず警察官が手旗信号で車を誘導していた。対応が早い。


途中、セブンイレブンに立ち寄ると、まだ暗いのにもかかわらず非常食や水の買い溜めに走る人がポツポツと店に入ってきていた。まだ店内には食料が豊富に残っていた。北海道では大きな地震がほとんど起きないため現地の人達は困惑していた。

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立ち寄ったセブンイレブン

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食料品を買い集めるお客が少しずつ集まってきた

午前5時、電力供給の無い飲食店で作業

飲食店では料理長と僕ら、他1名の人間で必死になってスイーツや野菜等の腐りやすいものを冷凍室に移した。電力の供給が止まっているため、冷蔵室も冷凍室も物を冷やす機能はないのだが、冷凍室は普段ー30℃に設定しているため、まだ数時間は冷えた状態を維持できる。

 

とりあえず冷蔵庫に移動できるものをすべて移し、その日の営業は未定のため社宅に戻ることにした。帰りの車内ラジオやSNSから情報から情報を集めながらスーパーやコンビニを巡り食料品を買い集めつつ昼を迎えた。

北海道胆振東部地震の被害状況が少しずつ分かる

ニュースサイトでは今回の地震の最大震度が厚真地方の震度7であることが報じられ、SNSではへし曲がった札幌市の道路や、マンホールが突き出た土管のように地面から突き出ている写真がアップロードされた小樽市は震度4)
T氏と「ウソやろ」とかスーパーマリオみたいになってる…」などと感想を言い合った。震度や停電、事故にガス停止、今後の予定などデマや誤報が続々と情報が更新されていき、それらもまた誤報だとわかって更新されるという状態が続いた。挙句には闇市のような商品の叩き売りが始まったという情報も出回り北海道中、混沌としているようだった。

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情報収集

 

店に食べ物がない

店から社宅に戻る途中で寄った食料品店にはほとんど食べ物が無く、コンビニではレジから店の一番奥までの行列が商品棚で折り返してまたレジの方向へ続いていた。車でコンビニにたどり着いた人が「人が多いなー」といった感じで店内を見ていた。


レジに並んでいるガッチリとした体つきの太眉毛の男子大学生(と思われる)が買い物カゴに食料と水をたっぷりと入れて「いつまでこの状況が続くかわかりませんからねー。買えるだけ買っておかなきゃいけませんね…。今、必要なのは水とカロリー。だからといってお茶やコーヒー等の利尿作用のあるものを買うのは、むざむざ体の水分を奪うようなものですし愚かな選択ですよ(笑)」
などと、すぐ後ろに並んでいる50代くらいの女性に熱弁していた(大学生は話をしながら目ざとく羊羹を3つカゴに入れていた)。僕らはコンビニとスーパーを巡ったが、ほとんど何も購入できなかった。スーパーでは『おひとり様1個まで』と表記があり店の入り口で被災者へ販売していたが、僅かに食品が残っていたが、ピリ辛系のスナック菓子等がちょっとだけだった。

 

それでも出社している札幌市の知り合い

家に帰ると水が出るか確認した。水は出たが念のために空のペットボトルと浴室の湯船に水を溜めた。

札幌に住んでいる友人に生存確認と状況確認のメールを送ったら「自宅マンションで火災が発生して避難したけど、会社には出社した」と返信があった。
「会社に予備電力があるから仕事ができるし出社してる…」ということだった。

岩見沢市は大丈夫だろうかとtwitterで確認したがあまり情報は得られなかった。

小樽市は停電や所々で断水とガス停止等の被害があったものの建物の崩壊や津波もなく比較的回復が早かった。働き先の飲食店の電気はその日の夜に回復し、冷凍室に食材を入れっぱなしにしていたため食材がカチコチになっていた。

 

電力回復までキャンドルナイトをした

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キャンドルナイト

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夕食は白米とバター、買い置きのインスタント麺と昨日の残り

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なぜかプリンもあった。この生活での潤いになった。

比較:豊かだったころの食生活

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カルボナーラ

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栄養バランスを意識した和食

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白米に『おこげ』をつけて、いちびっていた。


社宅の電力が回復するまで僕とT氏はキャンドルナイトをして過ごしていた。これでネガティブな状況をポジティブに変換させられるかといえば別にそんなことはない。キャンドルナイトをしてから、いかに柔らかく冗談を言い合って無理なく不便な現実から逃避するかが大事なので結構難しい。この状況を小学生の頃の自分が日記に書くとしたらキャンドルナイトができて楽しかったです」とか大人にウケの良さそうなことを、全く思ってもないのに書くんだろうなと思った。

 

 

【食事情】被災しているからこそ美味しいものを食べる努力をする

小樽市では震災後2日後にはほとんどの電力が復旧していた。
ガソリンスタンドでは給油量が制限されていたため車の行列ができていた。
数日して丸亀製麺が営業しているのを見かけてT氏と一緒に入ったがトッピングがかき揚げが3つ程度残されていただけだった。
T氏が「こんなときこそ食に妥協してはいけない」とガッツを発揮して、コンビニに残された僅かな食材から美味しいものをつくろうと奮闘していた。二人で何軒かコンビニを巡り食材を探した。僕は、米炊いて食べればいいじゃないですか、と思っていたからT氏の奮闘をよそに漫画本をパラパラとめくっていた。

 

しばらくすると、
「閃いたで津田ヨ!」
T氏が目をキラキラさせていくつかの食材を購入して戻ってきた。
「何を買わはったんですか」
「なんやと思う?俺からは言われへんワ。とにかくこの場面での最善手や」
僕は何にもしてないので、T氏を乗せて社宅まで車を走らせた。
したり顔のT氏は社宅に着いてから冷凍の小籠包をコンビニ袋から取り出した。T氏は冷凍の小籠包を砕き、炊いてあったご飯と混ぜて炒めてチャーハンにした。
この小籠包チャーハンは冷凍食品のジャンクさと『被災』という状況も相まって今しか食べられない味がした。

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小籠包チャーハン


「流石です。見事です。まさか被災している状況でチャーハンを食べられるとは思いませんでした」
「せやろ」
T氏はやりきった顔で一服していた。

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一仕事終えてしたり顔のT氏

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飲まなきゃやってられない

震災後2週間経っても食料難は続いていた。コンビニやスーパーのカップ麺や飲料、スイーツなどの棚が空き商品は満タン時の6割程度で卵や牛乳は購入制限が掛かり、お1人様1パックまで。日々のカルシウム不足が深刻になった。肉類は震災発生までに入荷されていたもののみが販売されていたからすぐに品不足になった。ただ幸いなことに社宅の近くには南樽市場があり僕らは肉にも野菜にも程度不自由しないで過ごせていた。

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お1人様1点までの牛乳

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コンビニやスーパーの様子

震災発生4日後には何たる市場で見つけた牛すじでカレーを作れるくらい食料事情も回復していた。圧力鍋が無かったのと煮込みの時間が短くて、牛すじは固く、旨みも飛んでしまい、物凄く申し訳ない気分になった。
後日、また牛すじを買ってカレーに再挑戦したときには、旨みはある程度あったが、相変わらず肉は固かったため、もう牛すじカレーは諦めた。

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ろうそくの明かりで調理する様子

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それでもなんとか美味しい物を


 

次回:震災後、車がエンジンブローした

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限界集落の旅-北海道小樽市-頭の中の『ワル一休さん』が捻り出したエッチなトンチの話-

AIを農業に活用している農家を訪ねた頃から、T氏(同居人)の仕事の手伝いが忙しくなり集落巡りができなくなってきた。

▼前回の記事▼

genkaishuraku.hatenablog.com

 

 

体力の限界

社宅に住ませてもらっているT氏の仕事の手伝いが忙しくなり、体力的にも精神的にも僕の限界だった(所詮はゆとり世代だからなのか)。戦争時代を生きたお爺ちゃんにお話を伺うと、たいてい尋常じゃない体力と精神力で乗り切っており、元気に仕事に取り組む秘訣なんか特に無いらしい。寝たら治るのだ。しいていうなら『皆、同じ状況だったから自分もそうしていた』という。現代に当てはめると『皆、残業しているから、自分も残業する』という考え方と近いから、日本は戦前も戦後もずっと同じ体質なのかもしれない。

 

T氏の仕事の手伝いとは飲食店(店名は伏せます)の厨房である。
ここでは料理長の指示通りにパン生地を捏ねたり、料理やスイーツの下ごしらえをしたり、営業中にサラダコーナーの野菜を品切れにしないよう見はったり、野菜を適量切ってストックを用意したり、野菜を茹でてホールの人にパスしたりしていた。
朝一番から、閉店まで働いていた。
今、この飲食店があるかどうかはわからない。調べもしない。

 

怪我をしまくる

当時、お店に人が足りずどうしても働き詰めにならざるを得なかった。
そして、色々やらないといけなかった分、僕は次々と失敗していた。

あるときは、もの凄くよく切れるけれどもの凄く使い勝手が悪いスライサーでジャガイモごと親指を切ったり。またあるときは不安定だった厨房の溝で盛大に転び右肘を強打。重い金属製のタッパーを右手に持っていたため、タッパーと床に挟まれて、右手の親指の付け根を切ってしまった(このとき多分、僕の肘は粉砕骨折していたと思われるがハンドパワーの使い手がたまたま店内にいて肘を治してくれたそうだった)

 

「津田さん大丈夫ですか?」
ホール担当の方に聞かれたが、肘を強打したタイミングでグラタンの注文が入っため

「私よりも早くグラタンを…お客様に!」
などという熱い展開になったが、それでも誤魔化せない程、肘は痛かった。

肘の痛みが脚にきて立てなかった。

 

また指の傷は妙に根深かった。

「縫ってもらえやぁ」という人もいたが、指先みたいに神経が集中している場所を縫えるわけがなくテーピングで傷を塞いだ。3日間くらい血が止まらなかった。イラついてしまった。僕を気遣っての「縫ってもらえやぁ」にも「指先なんか縫えるかボケぇ!」と思ったりしていた。
後に社宅に遊びに来た、T氏と僕の共通の友人に「なんや!指切ったっていうから、もっと派手に切ってるかと思たら傷小さいやん(笑)」と言われ、こいつ殺してやろうか(笑)と思った。

そんな小さな犠牲もあり、スライサーを使うときには軍手の2重着用が決まり、溝の修繕も行われた。手伝い兼人柱である。

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指を切って数日後、血が止まった。

 

なぜかパーティに呼ばれる

9月に入り、店の仕事忙しくなってきたとき、なぜかパーティに呼ばれた。
僕の知人(T氏や友人とは別)が独自のツテを通じて開催するパーティの準備に車が必要らしく、車と一緒にフェリーに乗って北海道入りしていた僕に声をかけたらしい。

 

スーパーで買い物をしている知人を車で拾い、パーティー会場となる別荘に向かった。この別荘は「本気で遊びに取り組まないと良い仕事ができない」という信念の基、遊びに遊びぬいたオーナーが人生の粋を集めて造った傑作であるらしい。室内には暖炉、バルコニーには露天風呂、入浴中に見える夕日の角度まで計算して建設してある。


別荘地ではオーナーと知人が仕事の話を交えて談笑していた。一通り話し終えた後、知人は僕に別荘を見せて、どうや?と言い僕は、このような場所に連れて来ていただきありがとうございます、と答えた。

陽が沈んだ頃、オーナーと知人とその連れ、僕と他1名の計5人でパーティーが始まった。夜が更けていきオーナーがオンナとは何ぞやという話をし始めた。

※オーナーは非常にチャーミングな紳士だった。

 

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夜の小樽の風景

■チャーミング紳士(60)オンナを語る

-女性に騙されたことはありませんか?-
紳士曰く、むしろオンナに騙されたいという。

「経験豊富な男を騙し切れるというのは相当レベルが高いオンナであるという証拠。騙しは高度なオトナの遊びなのさ」

だから俺は騙さないか?ってオンナに聞くよ。とのこと。

 

-女性に対しての気構え-

「女性には二礼二拝一勃起」

どういうことですか。
「右と左、裏と面。物事は必ず2つの側面がある。1つではバランスが取れない。自分の中にパラレルワールドを持たないといけない。それがないとストレスになる。だから二礼二拝一勃起」
まともな回答が返ってきた。女性をこの世の在り方になぞらえて説明されるとは思わなかった。女性は神様だから崇めるのは当然として、真逆の性的興奮を感ずることこそが女性への最大の敬意らしい。そうでないと自分、ひいては世の中のバランスが成り立たない。

 

-口説き方を教えてください-

「いきなり詰めるのもテクニック。いきなりキスしても怒らないよ。その気があればね」

 

-もう一声、ください-
「愛はするもの。恋は落ちるもの。俺と落ちてみないかい」
というと良いらしい。

 

『ワル一休の閃き』

-もう一声、ください-

「恋愛とは言葉遊びである」

紳士曰く、恋愛とは言葉遊びでもある。例えば『股』のことは『指と指の間』と表現する。なぜなら右足の親指と左足の親指の間は『股』である。だから色っぽいことを言うときには「少し指と指の間を触らせてくれないか」と表現すると上品だという。

『品のある下ネタ』というと和らいだ表現になるが、これは頭の中の『ワル一休和尚』をフル回転させて捻り出した、ただのエロいトンチである(実在の一休和尚もオンナ好きだったという説があるため、多分似たようなエロトンチをひねり出していただろう)

 

他にも「暗いといやらしくなる。うんといってしまう。いわないといけない雰囲気になる」とか「イエス、ノーがはっきり言える人は自分がハッキリしてるが世界がそれ以上広がらない。自分の知らない領域があることを理解し、受け入れられる人は広がる。ただ、すぐに判断ができない人間になるけどね」など紳士の人生哲学を聞いた。昼間に働いたからもう、眠たくなっていた。


僕は深夜3時位に社宅に帰り、翌朝10時くらいに知人を別荘から宿泊先へ送迎した。

そうこうしているうちに北海道胆振東部地震に被災することになった。

 

次回:北海道胆振東部地震に被災した

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限界集落の旅-北海道空知地方岩見沢市美流渡周辺-AIを操る農家の爺さんに会いに行く途中でウンチを漏らす

北海道岩見沢市の集落で害獣駆除を兼任するメロン農家のご主人に人生経験を聞かせていただいた後、日を改めて別の農家のご主人に話を伺うことにした。

▼前回記事▼

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■漏らした話

その農家のご主人とあらかじめ日時を約束して、それまでは集落内の駐車スペースで待機していた。ただ、この日は体がどうにもそわそわしていた。
持病のアトピーも悪化して、精神的にもキツかった。そのせいか、しんどいなーと思って屁をこいた瞬間、実が出てしまった。あと20分もせんうちに予定の時間になってしまうというのに…焦った。

 

『あねの、我々の肛門は嘘つきよるんですよ。“お前大丈夫やろうな?屁ぇやろうな?”って確認してね、肛門も“大丈夫だよー”って言いよるから“よっしゃ!”って屁ぇこいたらブリィブリリ…。肛門を信じた俺がアホやったんです。漏らした瞬間肛門が笑いよったんです。“ウソだよー。あっかんベー”って。だから肛門の言うことを簡単に信じたらアカンのです』
という知人の言葉が頭をよぎった。
身内に裏切られるとはこれだと思って、とりあえず少量のお漏らしだったので、駐車スペースのトイレに駆けこみ処理をして、漏らした下着はビニール袋に入れて社宅に持って帰り捨てることにした。

ノーパンでご主人からお話を伺うことになった。

始まる前から負けた気持ちだった。

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トイレで処理

 

■AI系農家のご主人(68)


かつて空知地方は農業で年間2000億円の利益があった(十勝地方は1000億円)。しかし現地住民たちは多くの利益や補助金に安心し、農業で創意工夫を怠ったため十勝地方に大きく差をつけられてしまったという。現在、十勝地方は農業での利益が3600億円のところ空知は1000億円。この現状を改善するためご主人が地元農家の有志を集めて、各地の遊休地を利用した農業会社を始めた。そこで仕事を造り様々な年齢の人を雇っている。

 

-農業の考え方-

「農業の基本はヨーロッパ型農業。国の保護がしっかりしている。損得を追求するのは地域を守るってのとは違う」

ヨーロッパの歴史は国取り合戦の繰り返しだから、食の大切さをわかっている。しかし日本は金があるから買ってくればいいという考え方があり、これが日本の農業衰退に繋がっているという。


-直売場の起源を教えてもらった-

「お金は動かすほどに税がかかる」

ご主人が高校生の頃、リンゴ9キロを納品して300~500円。それが市場では1800円で売られていた。農家と市場の間の業者が中間料で儲けているのである。
「ふざけんなと思った。枝切りや収穫やらダンボール代まで自分たちで出してるのに、作ってもねぇ人間が間に入って易々と儲けてやがる。だからガレージ改造して直売所を造った」
商品に適正な価格を付けて、農家が持続可能な業務形態を形にしたのが直売所だという。栃木県の直売所のご主人は「1980年代の健康志向のブーム」が直売所の起源だとおっしゃったが、直売所の原点は北海道農家の怒りだそうだ。

 

-農業やってて辛くないですか-

「農業は面白いよ。面白いと思ってないとやってられない」

ご主人はAIも積極的に農業に取り入れていて、遠隔操作でトラックを動かし畑を耕している。そこで『AIで人間の仕事はなくなりますか』と聞くと「AIで人の仕事なくなるもんか」とのこと。AIを使って 仕事を工夫するのはあくまで人間だという(勿論、省略できる仕事や作業はあるけれども)。

ご主人は年に一回は国に農家の生の声を伝えに行くという。農家を守るために積極的に動いている。

 

この時に僕が最新農業情報を知らなかったため、あまり共感したり話を盛り上げるような話題の出し方をできなかった。ふらりと立ち寄った所で人生の教訓を聞くということに限界を感じた。自分が変わらないといけないと思ったが、この後もなかなか自分を変えることはできなかった。

反省しつつお礼を言い社宅に帰った。

 

社宅に到着してから今日のお漏らし事件を、ルームシェアしていたT氏に話すと「おしっこはなかなか漏らさないけど、うんこは漏らしてしまうよね」と否定的ではない意見が頂けた。

お漏らしするアラサーやから漏ラサーって感じですわ、などとひと通り笑ってサッポロクラシックで乾杯した。
漏らせども、ひとつ笑いになったため、嫌な感じはあまりなかった。

 

次回:北海道の飲食店で働く

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