限界集落の旅-北海道岩見沢市美流渡-獣害駆除をする農家の主人と会う
岩見沢市の美流渡集落辺りに獣害駆除をしている農家のお爺さんを訪ねた。
「畑にビニールハウスがいくつかある家」と近隣の方に教えてもらったものの、広い畑の中に設置されたビニールハウスが、向かって右の家の物か左の家の物かわからず、あぁわからんなぁ…、と思っていた。焦る気持ちを落ち着かせるためブルーベリー畑に入った。
■ブルーベリー畑
プラスチック製の容器にブルーベリーを狩り放題。
様々な品種のブルーベリーが17列程平行に植えられた畑の中で気に入ったものを味見しながら散策できる。
(正確な値段は忘れたがグラム単位で値段が決まり1盛り500円くらい)
立札に書いてある『真っ黒に熟した』実を探したが、ほとんど先客に狩られていた。
時々「これは凄いんじゃないか?!」と思う漆黒の実が見つかり食べてみたが、甘いんだけど少し水っぽい。
畑の管理者曰く、ここ数日の雨でブルーベリーが水っぽくなってしまったとのこと。
もっと早く来ておくべきだった。
社宅に住ませてくれているT氏のお土産用にできるだけ黒い実を収穫して、僕の後に入園した親子連れにも、もっと早く来ておくべきでしたね、でもそれもまた良き思い出だと思い畑を出た。
歩いて、尋ねて、家を見つけた。
■メロン農家の主人(78歳)
-獣害への気持ち-
ご主人はメロン農家をしているかたわら害獣駆除も行っている。
害獣駆除は主に鹿や猪や熊などのことで、この辺りでは熊を駆除することがしばしばある。
罠にかかって動けなくなった熊を猟銃で仕留めるときに熊は様々な反応を見せる。うなだれる者、暴れる者。どんな熊にもご主人は熊に話しかける。
「お前は自分の生活域を越えて人間の領域に来てしまった。だから撃つぞ?観念したか?命とるぞ?」
ツライ仕事だ。
危険な上に後味は芳しくない。それでも使命感を持って誰かがやらなければならない。娯楽としての狩猟とは全く違う感覚である。そのため害獣駆除を猟友会に頼めば、獣害問題は解決に向かうか?といえばそうではなく両者の間には大きな隔たりがあらしい。
こちとら“こーんなデッカイ熊を撃ってよぉ…”とかいって、武勇伝をノリノリで話してくれるんじゃないかと安易な期待をしていた。ご主人にも熊にも申し訳ない。
そんな話をしているときにご主人が飼っている白猫(チビ)が僕の膝に飛び乗り左手の指を舐めてきた。北海道の猫は人に慣れているのか全く警戒心無くこちらに近寄ってくる。「これ、チビ」というご主人に、ぐいっと掴まれてチビは僕の膝から回収された。
-仕事をする上で大事な考え方-
「3回失敗してもいいから。何か開ける」
久々に出た『3回失敗すると成功する理論』。大阪の千早赤阪村でも『成功するには3回失敗しないといけない』という意見を聞かせもらった。なんでかわからないが、感覚で3回くらい失敗を経験するのがちょうど成長するタイミングらしい。この辺、理屈ではなく経験知なのでこれを理詰めで教えてくれる人を今後探します。
▼人生は3回失敗しないといけない▼
余談だがご主人が失敗から学んだことを聞いてみた。
「裏切られたことはある。でも疑ってたら前に進めない」
ご主人曰く本州の人は鋭いため、簡単に人に騙されないが、北海道の人は人を疑わないためよく騙されるらしい。だから猫も人懐っこいのだろうと思った。
ご主人の腕を突破してまたチビが僕の膝に飛び乗ってきた。
僕が使っているメモ帳の匂いが気になるのか、チビはやたらとページを嗅いでは舐めてくる。今書いたご主人の格言がにじんでしまった。やめてほしいが、せっかくじゃれついてくれている小猫を無下にはできない。
チビはまだ体が小さく、白い直毛が寝ぐせの様にあっち行ったりこっち行ったりしているから、きっとまだ生まれてそんなに時間もたっておらず物事の分別がついていないのかもしれない。チビはまたご主人に回収された。
-良きる上で大事だと思うこと-
「生きていくことは頑張ること。投げやりになってはいけない。立ち止まって考えてもいいから、後退はしない。足踏みしてもいいから進むんだ」
-どうにもならないときってあるんじゃないですか-
「ヒントはある。ヒントを見つける。八方ふさがりなんてのはない。自分の思った以上のことが出てくるから世の中明るいなー」
-諦めてしまうことについてどう思いますか-
「自殺する人は甲斐性なし。努力は死ぬためではなく生きるためにするもんだ」
※甲斐性なしというのは『だらしない人』や一生懸命でない人。
今になってこの当時の自分を振り返るとなぜか後ろ向きな方向に話をもっていこうとしているようだ。なにか憑かれていたのかもしれない。そのため『足踏みしてもいいから進むんだ』という言葉が妙に沁みて、何かあるたびに思い返している(2020年現在)。
帰りにメロンを2つ持って帰りなさいと勧められた。
「いえいえそんな、話聞かせてもらった上に、そんなん勿体ないです」
『いやいや気にするな。近所にも同じように配ってる』
「じゃぁ、では頂きます」
礼儀として一度断ってから頂いた。
ご主人は2018年限りでメロン農家を引退するとのことで最後のメロンになった。
社宅でルームシェアしているT氏と分けて食べた。
良い収穫に舌鼓を打ちつつ『もっと寝かせればもっと甘くなるんじゃないか?』というT氏の提案に乗り、残ったメロンを冷蔵庫で寝かせたところ熟成どころか、うっかり発酵させてしまうのだった。爺さんすまない。
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限界集落の旅先で『この世は仮想現実じゃないか?』と思う瞬間
限界集落で『自分の人生論』を聞かせてくれる話好きの知恵者を探すときには、集落内を歩いている人に声をかけて教えてもらっている。役所で『村の知恵者』の居場所を聞くと『プライバシーを公表できない』のと『役所が〇〇さん(知恵者)を紹介した。△△さん(集落の最年長者)をさしおいて…』といった批判が出る恐れがあるため、対応できかねる場合がほとんどなので(でも、なぜか時々、対応してくれるところもある)道行く人に聞いた方が早いのである。
通行人や自治会長さん、ご住職などから話を伺い、数珠繋ぎで人脈を作るため、行ったことない土地で聞き込みをしていると、RPGでもプレイしているような気持になる。『コマンド』で『はしかける』を選択して(今時、こんなファミコンのドラクエみたいなシステムじゃないんだろうけど…)少しずつ村の内情を知っていく。ただ、ゲームと違うのは、聞き込みをしていると『疲れる』のである。HPなのかMPなのか、どのステータスが削れていってるのかわからないけど、なんだかぐったりし始めて、無理をすると『毒』に侵されたように体力が減ってくる。僕はアトピー性皮膚炎なのでステータスを見ると、よく『アトピー』状態になっているのだが、ときどき何の意味もなく、前触れもなく下痢が出たりする。オナラだと思って、プッとだしたら、そうじゃなかったパターンである。そういうときはパンツを捨てて撤退する(話を聞かせてもらう予定があったときだったからノーパンで、へぇ、ほぉー、などとお話を拝聴した)。
そんな地味な活動を続けていくと、ときどきフリーパス的なものが手に入ったりする。
たまたま、ひと休みしに入った集落内の飲食店のカウンターで「お客さん、観光?」『人の人生論を聞いて旅してて、この集落の〇〇さんを探しているんです』という会話から突然イベント発生。
店の人「あぁ、その人ならなぁ…電話する?電話番号がxxx-xxxx-xxxxで…」
僕『いや、初対面の人に教えて大丈夫なんですか?』
店の人「〇〇さんのフルネームを知ってるなら、大丈夫。他にも知りたい人の電話番号があったら言ってくれ」
『村中の連絡先を手に入れた』
(頭の中では “ やったね!” と祝福せんばかりに荘厳なオーケストラが流れている)
集落内のセキュリティーの寛容さにびっくりするが(役所はあんなに厳しかったのに…)、これは、ゲーム内の段取りを順番にクリアしたらこそ発生したイベントなのだろう。
【この場合のイベント発生条件】
・『〇〇さん』の名前を聞いておく。
・集落内で指定の飲食店に入る(定休日を除く)。
・店主との会話する。
『話を受け流しますか? “はい” “いいえ”』という選択肢がでたら『いいえ』を選ぶ。
いきなり飲食店に入ってもイベントは発生せず、『〇〇さん』の名前を入手して『信頼度』的な数値を上げてからでないといけないように、システムが組まれている。それに攻略本ナシで気づけて、この集落の攻略ポイントを見つけたことが、たまらなくカタルシスである。
そして、〇〇さんと連絡をとり、話を伺ってからまたこの飲食店に行く。
僕は『数日経ってるから忘れられてるだろうな~』と思いながら店の人に話しかける。
すると…
店の人「〇〇さんから話は聞けた?」
覚えていてくれた!
イベント発生後、ちゃんと店の人のセリフが変化している。
何かアイテムが手に入るわけでもステータス異常(アトピー)が治るわけでもないけど、嬉しい。プレイヤーの操作できちんとゲーム内の時間が進み、現実とゲームが繋がっているような感覚(そもそもこの世が現実世界なのですが…)。
存在しないはずのものが、どこかで実在してると感じられる微かな喜び。
嬉しいです。
嬉しいと同時に少し違和感。
旅先での出来事が名作ゲームのようにきれいな展開であるほどに、村人の優しさに喜び、ひとしきり楽しんだ後、バグってグシャグシャに乱れたドット絵のような不気味さが遅れてやってきて「僕は大丈夫な世界に生きてますよね?」と不安になる。
本来、予測できないはずの現実に生きているのだから当たり前なんだけれども、実はこの世は仮想現実かもしれない、とも思う。
限界集落の旅-北海道空知地方岩見沢市-『ラーメン屋 一番』でパチンカーのおかみさんと出会う
北海道岩見沢市の『美流渡(みると)』で猟師さんのお宅を探していた。
害獣駆除をしている猟師さんならではの生き死にの感覚があるんじゃないだろうかと思って、集落の人から聞いたお家の位置を探しながらウロウロしていたのだが、お宅の場所がはっきりとわからない。広大なメロンやブルーベリー畑の中に家や倉庫があるもんだから、例えば「3軒隣の家」と言われても、どこからを1軒の区切りとしていいかがわからないのである。
家探しでお腹が減ったから集落に来た時から気になっていたラーメン屋さんに入った。
▼『一番』という名前のお店である▼
おかみさん(71)が切り盛りしていて、このお店で使われている野菜は家の畑で作ったものが多く使われている。北海道に来たのだからと味噌ラーメンを注文した。
おかみさんがあまりに色艶の良い顔をしているため「美容の秘訣はなんですか」と聞いてみた。すると「ラード塗ってるのよ」とのこと。またまた、謙遜してー。とか言いながら雑談した。おかみさんは夫婦揃ってかなりのパチンコ狂だったらしく、家が一軒建つほどパチンコにつぎ込んだらしい(パチンカーの人は自分のパチンコ愛を「このパチンコ店の柱は俺が建てた」と喩えるのをこのとき知った)。
「そんなに好きだったパチンコなのに、もうやらないんですか?」
『パチンコ台に座って足がむくむようになってからはもうやらなくなった。昔は買い物行くときはウキウキして、パチンコ打たなきゃ損だ!って思ってたけど』
体がパチンコについていけなくなって引退か…。
夫婦でパチンコしていたということは、旦那さんと出玉の交換などをしあってたのだろうか。パチンコの番組で玉の足りなくなった椿鬼奴が旦那さんから出玉を貰うシーンで、「これが夫婦のパチンコだから」とカッコよく語る旦那さん。そんな夫婦パチンカーならではの作法などを今度行ったら聞いてみたい。
ちなみにこの当時、僕が北海道の職場で出会った人の中にはパチンカーが結構いた。
北海道の人はパチンコ好きが多いのかなと思って調べたら、どうもそうらしい。
▼パチンコ店の多い都道府県▼
東京都が891店を筆頭に大阪府(805店)、愛知県(583店)、神奈川県(564店)、北海道では(542店)とある。稼働率でも地域別でトップの九州が33.6%に次いで北海道(33.2%)
※稼働率…店舗の営業時間内で稼働しているパチンコ・パチスロの率。
-メディアシステム社調べ-
僕の地元の大阪府は2位で、近所のパチンコ屋には確かに早朝の開店前から行列ができていたが、友人知人にパチンカーがいないため、あまり実感がない。
■禁煙の仕方
おかみさんは、かつてはかなりのヘビースモーカーで1日3箱は吸っていたらしい。
「なんでそんなに吸ってたのに止められたんですか?」
『普段たばこ飲んでるところにいかないようにしたの。人間もナワバリがあるみたいで、そこにいくと飲んじゃうから』 ※あと孫ができるとより効果的とのこと。
物事に執着があるんだかないんだか、なかなかつかみどころのないおかみさんである。
ただ、この飄々とした雰囲気と会話の距離感が近すぎず、遠すぎず、心地よい。
そんな雑談をしながらラーメンができるのを待った。
店内には漫画や雑誌、カレンダーなんかのラーメン屋らしい日用品が並んでいる。
その中にさりげなく『バイアグラ』のロゴマークが入ったアグレッシブな温度計があるのを見つけてしまい、童貞のように照れくさくなった。美の秘訣は本当にラードだけですか?!と追求したらどうなるだろうという考えが頭をよぎり、申し訳なくなった。
本場北海道の味噌ラーメンがやってきた。白菜などの野菜がたっぷりと盛られており500円台となかなかのコストパフォーマンス(写真と正確な価格忘れ…)。こんなに安く提供してしまって大丈夫ですか、と聞くと、家の畑でとれたのを結構使ってるからタダみたいなもの、とのこと。実際に野菜を作る手間を考えると、材料費タダというのはまやかしに過ぎないが、そういう言葉がスッと出てくる人が作ったからなのか、また食べたくなるお袋の味だった。
ラーメンをすすっていると、ガラガラと店の引き戸が開いて常連客と思しきお爺ちゃんが入ってきた。なんでも、数日前にお店でおつりを何十円か多く貰ったらしく、貰い過ぎてしまった分、返しに来たらしい。
『自分が少なくもらうぶんには良いの。自己責任だから。多くもらっちゃダメだけど』
というおかみさんとしばらく押し問答があって、おかみさんが過払い分を受け取り、お爺さんは家に帰った。
また来ます、と言って僕も店を出た。
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限界集落の旅-北海道空知地区岩見沢市栗山町万字 -髪の毛の伸びる菊人形を祀られるお寺に訪問。
北海道岩見沢市には髪の毛の伸びる菊人形を祀ったお寺がある。是非、行ってみたいなぁ、ご住職のお話しを伺いたいなぁと思ったけど…邪な好奇心は良くない…と思ったけど…栗山町万字地域の『萬念寺』を訪れた。極力失礼のないように、当たり障りないようにお寺に向かった。※人形や現地の写真はありません。
萬念寺
髪の毛の伸びる人形の話
1970年代、日本で髪の毛の伸びる人形ブームが巻き起こった。日本各地の『髪の毛の伸びる人形』を求めて、テレビや雑誌など多くのメディアが人形安置場所に訪れていた。萬念寺もその1つである。当時は先代のご住職が対応していたのだが、どんなに真剣に人形の由緒について答えても、メディアはプロのテクニックを駆使して人形が怖く見える角度を見つけ、写真を撮り、呪いや無念やら、消費者が喜ぶキャッチーな言葉で味付けし、本筋とは随分それた取材結果を世間に発表していたという。それ以来、メディアの取材は受けないようにしている。
※一般公開されているため人形に手を合わせることはできるとのこと。写真撮影は不可。
あぁ…そうか。
ご住職から『髪の毛の伸びる人形』のセンセーショナルな面にまつわる話を教えてもらった。日々生産される多くの物は、皆の『こうあって欲しい』という願望や期待に応えるために一生懸命こしらえられている、ある意味虚像なのだと改めて思った。たしかに僕も都市伝説とか好きだしなぁ…。好奇心で来たのも否めないしなぁ…。業深き人間だからかなぁ…。
せめてもの罪滅ぼしに人形の来歴を当たり障りなく、怖くなく書き残す。
【人形の来歴】
萬念寺の檀家さんにある日、女の子が生まれた。
めんこいな~めんこいな~って。親族大喜び。
めんこいから菊人形あげちゃおう!ってなった。
そしたらその娘、菊人形を気に入っちゃった。
でも娘さん、病で亡くなっちゃった(享年3歳)。
お葬式しなきゃねーって、親族一同大慌て。
お葬式大変だねーつって。
そしたら親族、娘の菊人形、棺桶に入れ忘れちゃった。
ありゃま、忘れちゃったねー、テヘペローなんつって。
ドタバタしてたもんねーって、
じゃぁ、娘の形見にしようねーってなったの。
でもこの時、日本は戦争中。
檀家さん樺太に移住することになっちゃった。
樺太に移住することになっちゃったよ和尚さーんって。
世が世だから、樺太に贅沢品持ってけないよーって。
※この時の日本ってそんな感じ。『欲しがりません勝つまでは』。
娘の菊人形持ってけないよー(泣)って。
困ったよーって。
我が子の形見、捨てるに忍びねぇから和尚さん預かってー、って話になって。
※この当時は先々代の和尚さん。今の和尚さんのお爺ちゃん。
いいよー、って和尚さん二つ返事。
- 数年後 -
和尚さんが久しぶりに人形を見たら、髪の毛が伸びてる。
ありゃま。
和尚さん、不思議だねーって。
髪の毛伸びてるねーって。
まぁ、伸びてるし髪切りましょうねーって。
ちょきちょき~。
さっぱりしたねー、よかったね~って。
- 数年後 -
まーた伸びてるね~(笑)
この人形、仏さんなんじゃな~い?って、
和尚さん思っちゃった。
したっけ娘さんの戒名と一緒に、仏さんの次に高い台に乗せて祀ったげよう!って。
それで今でも昔と変わらず祀られてる。
親が娘を思う尊い気持ちを100年近く経った今でも大事にしているとのこと。
だいたいこんな感じである。
娘の気持ちを汲んだ親の思いを100年近く経過した今でもお寺が守っているという話だった。おそらくこの話で一番大事なのは檀家さんの気持ちがずっと守り続けられているという尊さなの部分であって、人形の髪が伸びたか伸びなかったかはそこまで重要ではないと思われる。
ご住職(55)の教え
ご住職の人生論を聞かせていただいた。
自分は日本のいろんな集落で人生の先輩達から人生論を聞いていますと、旅の経緯を話した。
来るもの拒まずの姿勢
連絡先も伝えず、突然おじゃましたのにもかかわらず、本日ご対応いただけて幸いです。というとご主人曰く「来るもの、拒まず」とのこと。
実は数日前、ご住職にお話を伺うために都合のいい日時を聞いておいたが、その日にお寺を訪れたら檀家さんの急用があったようで玄関に『現在不在』を示す貼り紙があった。こちらの連絡先をご住職に伝えていなかったため、あぁ、しまった…、と悔やんでいたが、翌日ダメ元で改めてお寺を訪れたら普通に対応していただけた。
「これも何かの縁なので何か私が伝えられることがあれば、お伝えしようと考えました」昨日は急用で連絡先もわからなかったものですから、あぁ、無事に会えるだろうかと思っていましたが今日無事に来ていただけて良かった、と物腰柔らかなご住職。
昔、不良だった件について
人形の話をしていただいた後、ご住職の過去の話をしてもらった。
ご住職は昔、ツッパっていたという。では今の物腰柔らかな姿勢は化けの皮なのかと言えばそうではなく、若い時分、ご主人は結構頑張って不良をしていたという。
「昔の人はワルいことを頑張ってやってた。不良は無理しないとできない」
怖くても権力に歯向かったり、ケガするかもしれないけれども喧嘩したり、しんどいなぁ…って努力しながら不良をしていた。『真面目に不真面目』を絵に描くと昔のツッパリが出来上がるのだろう。
不良がお寺を継いだ理由
-不良をやっていたのにお寺を継ごうと思ったきっかけは何ですか-
「私を住職というレールに乗せるため先代は一切私に強制しなかった。なんでか聞いてみたら『やっちゃダメだと言われると人間は反発する。だから怒らなかった』その懐の深さを知って敵わないと思った」
人生で大事なこと
-人生で大事にされていることは何ですか-
「欲張らず煩悩を一つずつ減らしていく。ただし食欲などの煩悩まで全部なくすと人ではなくなる。いくつの煩悩を残すのか?なにを楽しみに生きるのか?これは残さないと私ではなくなる…という限界を認めると楽になります」
「(起)こうなったから、(発)こうならせていただいた。と考える」
どんな結果も、次の行動と結果に繋がり、そのまた次の行動と結果へ、延々と続いていく。これを『輪廻』と呼ぶ。だから物事を悪く捉えてはいけないのです。
話し合うときの基本
-僕は意見をぶつけ合うとき口調が弱くて戦えません-
「"意見"はぶつけ合うというより、クッションを与えあうものと考えます。 『意見』とは、別の考え方の人もいることを知り、考えを改善するための時間を作るためのもの。考えるスピードをダウンさせ、よりよい思案に結びつける。従って意見は戦わせるものではないと考えています」
守護霊ってなんですか?
2018年頃、僕の周りでオカルトな話題が多かった(守護霊がどうとか生まれ変わりの回数が何回目かなど)。そのため神仏に従事している人にはこういった質問をしている。
「亡くなった方全てが、今を生きる全ての人を護る守護霊であり、特定の誰かを護るという意味の守護霊ではありません。亡くなった人たちが自分たちを見守ってくれている。亡くなった人たちが誰一人欠けることなく存在したからこそ今、我々は生きている。寝て、起きて、呼吸し、食事できている。だから我々は亡くなった方々に手を合わせずにはいられない。供養せずにはいられないのです」※浄土宗の他力宗(自力ではなく仏様の力を借りて極楽へ行くという考え方)
そして守護霊(故人)を『供養』することは、今を生きる人達全てへの幸せを祈ることに繋がる。供養とは時代を超えた人のコミュニケーションであり、今を生きる人々への祈りなのだ。檀家さんの娘のお菊人形がずっと祀られている理由が垣間見える。
かつて僕が福井県の山間部の集落に訪れて、現地に2人だけ残った夫婦に『なぜ残り続けてるのか』と質問したとき、ご主人が『自分の人生があるのは、この何も無かった土地を切り開いた先人たちがいたから。この場所にはそんな先人たちが眠っている。失くしてしまうことはできない』と語ったことを思い出した。福井県のご主人のやっていることは不合理かもしれないが、見方を変えれば今を生きる人達への祈りだといえる。
ご住職にこの話をしたところ、すごく仏教的な考え方、とのことだった。
▼福井県の過疎集落を訪れたときの記事▼
元不良とは思えない柔らかな物腰。しかし、お話を伺った後に見かけた犬の散歩中のご住職が着用していた花柄をあしらったブルーのアロハシャツになんとなく不良のセンスを感じてしまった。
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限界集落の旅-北海道空知地方岩見沢市-脳梗塞から恢復した芸術家に会いに行く
2018年7月頃、日本の過疎集落を巡って北海道までやって来た。
岩見沢市の集落住む人生の先輩達はどんな人生訓を持っているのか聞いてきた。
芸術家で地域おこしを試みた地域
2018年8月、岩見沢の『美流渡(みると)』と呼ばれる地域に行った。
この地はかつて、芸術で村おこしをしようとしたらしく各所に芸術にまつわる施設がある。しかしながらほとんどの施設は現在、閉鎖しているらしく、街から通いで創作活動を続ける人や、今でも残った施設の住人が細々と博物館で作品の展示を続けている。
美流渡に残った芸術家の人たちに話を聞いてみることにした。
地元の人に聞き込みをして芸術家の家を探した。僕の声の掛け方が悪かったか、あるいは挙動が怪しかったのか、美流渡に住む人に若干、不審な目で見られてしまったりもしたが、なんとか芸術家の家までたどり着いた(僕の目の光が濁っていたのだろうか)。
場所は美流渡から少し移動した万字と呼ばれる集落だった。
「すいませーん」
玄関から家の中に呼びかけてみると脚を引きずりながらオヤジが一人出てきてくれた。無精髭を蓄え、野性味たっぷりな雰囲気の芸術家だった。日本を旅してまわって人生の先輩達から人生経験を聞いて回っていると事情を説明すると、自分は2018年の5月頃(?)に脳梗塞で倒れて、7月頃(僕が訪れる1か月前)に退院したんだけど最悪なタイミングで来ちゃったね、と言われた。
いや、むしろ貴重な機会です。
(作品展もやる人だが、あえて本名は出さず仮に『髭爺さん』とする。全然、爺さんという年齢ではないが)
【髭爺さん(54)の話】
髭爺さんは大学を卒業後、広告代理店に就職した。しかし、社会に上手くなじめず『売る』ための広告に疑問を感じ芸術家に転身した。作品は立体物を使ったインスタレーションを主としている。何十年と芸術活動を続けていくうちに脳腫瘍に侵された。退院して、なんとか歩いて、喋れるようになったが、手先を使った細かい作業ができるまでには回復していないため、今後、芸術活動を続けるかどうかは迷っている。
「ぶっ倒れた後の、最悪なタイミングで来ちゃったね。」
倒れる前なら色々話せたんだけれども…、という髭爺さん。
いえいえ、そんなことないですありがとうございます。
- 広告会社の仕事の何が気になったんですか -
「売るための広告がバカげてた。売ることを考えると売れないよね。同じような物が増えすぎて、なくてもヘーキになるから」
だから芸術家人生を選んだんだろうなと思った。髭爺さんの作品は消費社会を風刺をしたような作品が多かった。もっとも芸術家に転向した初期の頃は自分の内面を表現した作品を作っていたらしい。しかし、それでは通じなかったため、気になることをネタにし始めた。そうなると社会的なことが多くなったという。社会と接点を持つことで、ハネッ返りの若造がちょっと、大人になった瞬間なのかもしれない(という勝手な美談)。
髭爺さんの作品紹介(パンフレットより)
髭爺さんは展覧会も開いているが、基本的に作品を売らない。『見る人に応える』ために作品を作っている。田舎生活はなんやかんやでお金がかかる。収入は足りているのだろうか?
- 安定した収入のある生活を捨ててしんどくはなかったんですか -
「札幌では年間200万円かかった生活費が限界集落では年間80万円で済む。生活のコストがかからなくなって気持ちが豊かになった」
ご近所の手伝いすればご飯や多少のお金が貰えて生活できる。お金のことを意識しなくていい分、ストレスが軽減されるという。勿論、初めは余所者だから、集落に馴染む努力をして集落の人達から仕事を頼まれるように関係を築く必要はある。
そんな話をしている間にもご近所の人がやってきて、おーい元気かー、などと髭爺さんに声をかけていた。
そういえば京都府の和束町でもガラス工芸に勤しむ女性芸術家が住んでいた。この女性芸術家はガラス工芸の設備を持ち、ガラスに向き合うために田舎に住んでいた。髭爺さんも芸術活動の環境を得るためという理由もあるが、生活の豊かさを得るためにここに住んでいる。この考え方の違いは面白いなと思ったが、基本的に髭爺さんが資本主義や文明社会に疑問を持っているからこそ田舎での豊かさを感じられるのだろう。
髭爺さんは「欲望がなくなってきた」とも語る。田舎に住むことで、誰も傷付けずに反社会的な思想に染まってきているのだろうか。まろやかに尖っている。
▼ガラス作家さんの住んでいた集落▼
髭爺さんの理屈
「お金を考えないで済むからストレスが減る」
↓
「経済成長が止まった方が楽」
↓
「田舎は可能性がある」
髭爺さんはヨーロッパやアジア、アメリカなどの色んな国を旅して、日本は文明も豊かさも行くとこまで行ったな、と思った。からこれから変わらざるを得ない。その可能性があるのは田舎。
ただ、脳腫瘍の後遺症で薪割りなどの肉体労働がしんどくなってしまった。
「この辺りだと車で移動しないといけないし雪かきなんかも含めてこれからの季節、大変ですよね」といった話から話題が車に移った。
「車って文明の在り方を象徴しているよね」
「 電気自動車を造るためには大量の化石燃料が必要になるから電気自動車に2年乗ってプラスになるってウソ…なんて言えないよね。まぁ、世間は薄っすら気づいてるけどね」文明を意識している人らしい言葉である。とはいえ車は便利なのだけれども。大きな声では言えないことも多々あったり、ハンバーガー1個作るために5平方メートルの森林が伐採されているとか、ティッシュぺ-パー1枚作るのに水が数十リットル必要だという数字のマジックなのかもしれないけれども、このあたり何とも言えん。
「今は2時間も話すと頭がシンドくて。もう、今日はこれで限界だ」
話を切り上げることにした。
この当時、僕は雪の降る時期まで北海道にいる予定だったため、話を聞かせてもらったお礼に何か手伝おうと思った。
「薪割りの手伝いに来ます!」
と言って別れたが、しばらくして北海道から帰ってしまったため、結局、ここに薪割りに来ることはなかった。髭爺さんも期待はしていないかっただろうけれども、後味の悪い約束になってしまった。
今度、家を訪ねるとき、まだ芸術家活動をしているだろうか。
▼髭爺さんお勧めの本▼
次回:北海道空知地方岩見沢-髪の毛の伸びる人形に会いに行った-
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限界集落の旅-北海道空知地方岩見沢- 喫茶店『人生の途中』で生涯マスター(65歳)が語る仕事論
北海道空知地方岩見沢市の集落で『人生の途中』というカフェを見つけた。
店内は木を基調とした温かな作り。フォークソングが流れ、壁には60~70年代くらいの写真が貼られ、頭にバンダナを巻きアンパンマンTシャツを着た店主が出迎えてくれた。
THE BLUE HEARTSのマーシーみたいな頭をして、左胸にワンポイントでアンパンマンが貼りついた半袖水色のTシャツである。反体制側のリーダーのような雰囲気を感じる(勝手な印象ですが)。
自分を「65歳のあんちゃんさ」と語る店主あんちゃん曰く『人生の途中』は『みちのとちゅう』と読む。
喫茶店を始めるまで、あんちゃんは水商売の店をいくつも運営していた。多くの弟子を持ち、今でも相談役になっている。水商売の現場を退いても、まだまだ人生の途中。地元で喫茶店をオープンした。ちなみにこの店はあんちゃんの手造り。もろもろの準備も含めて8年かかったらしい。
「やってみればできるもんだ」
8年かけただけあって店内には情念のような熱がこもっている。
自然に囲まれた環境のためか、心を癒しに来る人も多い。たまにうつ病を患った人も来店する。
例えば、ある日、こんなことがあったらしい。
-数年前-
「また来たね」
「僕のコト覚えてるんですか(まだ2回目なんですけど)」
「当たり前だぜ。俺はお店に来てくれたお客の、100人いたら99人は顔と名前を覚えている。それはこの商売の基本だ」
そんな会話からお客さんの身の上話が始まった。
このお客さんは社会に出て、初めて就いた職業に馴染めず、心を病み、もう自分はダメじゃないかと、どん底に落ち込んでいた。
そこで、あんちゃんはバシッと決めてやった。
「つまんねぇ仕事なら辞めりゃいいべ。何も18、19で人生の仕事を決めちまうことあるめぇ?俺はずっとそうやって成功してきた。いい加減なこと言ってるわけじゃねぇべ」
それから、このお客さんはマスターの言葉を信じて転職した。自分に合った仕事に就き、毎日が楽しくなった。前向きになり、彼女もできて、さらに結婚までして、今では子供を風呂に入れて、我が子が可愛くてしかたないという人生を送っている。
もはやカウンセラーである。
スタバがどんなにサービス良くても、なかなか人生相談に乗ってくれる店員さんはいないんじゃないだろうか。心の治療するなら岩見沢の『人生の途中』まで。65歳のあんちゃんからいいアドバイスが受けられる、かも!
あんちゃんの年齢(65歳)もちょうど良いのかもしれない。
1950年代生まれのいわゆる『しらけ世代』
1950年(s25年)~1964年(s39年)生まれ
団塊の世代など、自分の思いを熱く語り、熱心に活動していた世代に比べ醒めた印象。
三無主義(無気力・無関心・無責任)などとも言われる。
文化面では自分達がいかに楽しめるかを重視する傾向があるとか。
程よく力が抜けて、個人主義傾向のある考え方が現代に合っているのかもしれない。
そんな、あんちゃんの仕事に対する姿勢を聞いてみた。
【仕事での格言】
「サイフォン握れなくなったときが引退するとき。それまでは生涯マスターだ。引き際は他人が判断するもんじゃない。自分でするもんだ」
この発言を聞いて、元プロ野球投手の工藤公康(1964生まれ)の名言を思い出した。『限界はいつかくるだろう。周りが言うのは仕方ないが、自分で作ってはいけない』考え方の違いは世代の違いのせいかと思ったけれど、スポーツと飲食業の違いだろうな。
「俺は社長でもオーナーでもなく生涯“マスター”。部下に俺が仕事してる姿を見せられるからな。俺が誰よりも一番に仕事ができるから誰にも俺に文句が言えない。講釈だけ垂れるのは性に合わねぇ」
現場主義。背中で語るっちゅうことですね。
「水商売は定価の6倍も7倍も値段をつけてお客様に納得してもらわないといけない。それだけの サービスをしないといけない。俺はマッチに火をつけるだけで15分は相手を楽しませられる。何度もヤケドしながらそんな芸をいくつも身につけた」
このマッチ芸を目の前でやってもらったけど、速すぎて何がどうなってるのか、わからなかった。ボクサーの試合を見ているかのような気分だった。ただ、面白かった、という満足感が残った。
「料理出すだけが仕事じゃない。知識も仕事だ!俺は新聞を5社とって毎日、目を通していた。テレビも天気予報とニュースとスポーツは最低でも見とけ。全てを覚えろとはいわないけど、そのくらいの気構えが持てないとお客さんと会話できない」
全て覚えろと言わないところに指導者としての優しさが垣間見える。さだまさしの『関白宣言』でいうところの「できる範囲で♪ 構わないから~♪ 」に通じるものを感じる。
「お客様を一人逃したら10人のお客様を逃したと思え」
手を火にさらす危険を冒すのも、知識を付けるのも、お客様がお客様を連れて来るという仕組みを知っているから。
「あんどんを火を灯すだけが店を開けるだけことじゃない。俺たちの商売は子供から天皇陛下まで、誰が入って来るかわからない商売。それでも相手を満足させる」
さすがに子供が店に入ってきたら家に帰してあげた方が良いんじゃないかと思ったけど、そんなこと言って悦に浸るのは野暮。陛下は葉山でご静養してらっしゃるなどというのも野暮。『(来る)かもしれない営業』しないと高みは目指せないらしい。
部下の指導の仕方も聞いてみた。
「俺はお店がオープンする3ヶ月前から人を雇って教育する。時間があるときは、ウチに来て手伝ってくれって言ってな。コップ洗ったり、掃除したり、物を並べたりしてもらう。そのときに容赦なくダメ出しする。何がダメなのか聞かれたら"自分でじっくり考えてみな?いいぜ時間はタップリあるから。先輩のコイツならひょっとしたらわかるかもな~"なんて言いながら相手に考えさせる。勿論、手伝ってもらった分の給料も支払う。大赤字だが、それをやるとオープンしてからの人の動きと お客様の満足度は格段に上がる」
ここまで書いて、全然、マスターが『しらけ』ていないことに気づいた。むしろ熱い。『団塊の世代』の熱さと『しらけ世代』の軽さが合わさったのがマスターなのだろう。
マスターの次の目標は奥さんと一緒にキャンピングカーで旅をすること。
なので次に北海道に来るときには、この店にマスターは居ないかもしれない。
そう思って、北海道から帰る前にもう一度、お店に行こうと思ったけれども、結局この一回きりでお店に行く機会はなかった。来年になるか再来年になるかわからないけれど、もう一度この店に行ったとき、マスターは僕の顔を覚えてくれているだろうか。
少し楽しみにしながら今を生きようと思ったりします。
次回:北海道空知地方岩見沢-脳梗塞から復活した芸術家に会いに行く-
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限界集落の旅-北海道編-『岩見沢市の集落~自治会長に話を伺う』
北海道空知地方にある岩見沢市の集落を訪れた。この集落で出会ったお婆ちゃんの手引きで、地元の自治会長さんに人生論を伺うことになった。ありがたい、と感謝しつつ、お話を伺う日時になるまで集落内を散策してみることにした。
イイ感じのカフェを見つけたがこの日は定休日だった。人がいる気配がしなくもなかったが、あまりうっとおしいことはせず、また別の日に行くことにした。
ウロウロしていると40がらみの男性がと出くわした。ブログの記事に使えるような写真の撮影ポイントはありませんか、と聞いてみた。「この近くの廃公園に展望台があり、そこから石狩平野が一望できる。天気のいい日には地平線の向こうに落ちていく夕日が泣けるんだ」という。
それは見たい。廃公園からの眺めというのが良い。
「紳士淑女の皆様!長蛇の列を並び、数千円支払って眺める、スカイツリーからのコンクリートジャングルの哀愁と、廃公園の目下に広がる石狩平野の悠久に、一体どれほどの差があるのでしょうか?」などと、日常で見失った何かを問いかけたいような気持ちになるはずだ。是非、行こう。
「ただし、熊が出るからそこは立ち入り禁止になってるんだ。まぁ、立入禁止の看板を乗り越えて行けば関係ないけどね」
無料かと思いきや、命が代償になるかもしれない(それならコンクリートジャングルの哀愁の方がコスパが良いかも…)。
そして、勝手に立ち入るのはよろしくない。些細なことで炎上する昨今、熊没注意で立ち入り禁止の公園の写真なんかブログにアップできるはずがない。もし仮に、僕がこの時この廃公園に入って石狩平野を一望する景色を写真で撮ってたとしても決して誰にも見せられないので、この景色について、もうこれ以上、何も書けない。
自治会長の家に向かった。
■自治会長(73歳)
自治会長の家は果樹園だった。
アルバイトのおばちゃんが何人か作業していた。仕事と果樹に向かい雑念を消せる環境なのかもしれない。
挨拶をしてお話を伺った。
会長は岩見沢集落名物『ポンネ湯』を再興して地元の活性化を目指している。
▼ポンネ湯▼
ポンネ湯とは、山奥から引いた源泉をポリタンクなどに詰めて持ち帰れる温泉である(かつてはポンネ湯のすぐ側に、その場で湯を温めて温泉気分が堪能できる入浴施設もあったが、今は閉鎖されている)。持ち合わせの容器に湯を移すためのホースのそばには、ノートが置かれており、これまでにポンネ湯を利用した人達の喜びの声が書き込まれた。“アトピー改善”など興味深い体験事例が記載されていた。このお湯は有料であるが、リットル当たり価格は決まっていなかった(価格の相場はノート参照※2019年現在は未確認)。
この集落を訪れた当時、大水で破壊された源泉を囲うコンクリート壁の復旧活動が続けられていた。
ポンネ湯を守るのは、村の強みを守るためだと自治会長は語る。
「温泉が無くなったら、この地が無くなる」
自治会長の先代とその協力者たちの手によって、源泉から何キロもの距離をパイプで繋ぎ、村の名所は作られた。しかし温泉を維持するために組合が作られたが、組合の維持は至難だった。温泉組合のメンバーがそれぞれの生活事情で次々に脱退する中、先代の意思を引き継いだ自治会長と議員さんも含めた協力者が残り今に至る。
「半分意地。先代が残したものを俺の代で無くしたら申し訳ない」
福井県の集落で出会ったお爺ちゃんは、村人がほとんどいなくなってもその地から離れない理由を『自分のルーツを守るため』と言った。表現は違うけれども似たような感じがした。
『歴史(や思い出)を守る』という行為は『自分が生まれてきた理由を守る』ひいては『自分がこれからも生きる理由』を守るためなのだろうか。最近、歴史や伝統の継承すべきか否か?消えちゃってもいい歴史ってあるんじゃないか?じゃぁ、それを守っている人達は何なのか?といった類のことを考えると、大変、気持ち悪くなります。結論は出ません。
話題はこの辺りに出没する熊に移った。
Q.この辺り熊がでるらしいですね。
「お互いガマンしてガマンしてガマンして、、、逃げないでにらめっこする。逃げたら追って来るからにらめっこしてたらいいんだぞ」
さらに何か持ち物があれば、手に取って頭の上に掲げ(ただし攻撃はしない)、俺はヤルときはヤル男だぞ、と言わんばかりに熊の目を見つめるとより効果的らしい。
ただし、どうにもならない熊にもいる。
「民家に餌食いに来てる熊はダメだ。殺される覚悟でかっぱらいに来てるんだからな。人間に出くわしたら殺しにくるぞ」
こちらは対処法はないらしい。
自治会長との話をそろそろお開きにする雰囲気になった。
とりあえず僕はその時の持ち金2000円を自治会長に渡した。
自治会長は「?」だった。
「あ…ポンネ湯の復興に使ってください」
なんだか、お金を渡すことで人との距離を縮めようとしている自分が卑しい。
きっとこの時の僕の目は濁った光を放っていたに違いない。
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