トリッキーな獣害-サル編まとめ-
限界集落の旅で、どこを訪れても獣害の話を聞く。
たいていは『鹿』『猪』『猿』『熊』などがメインである(他にも『猫』とか『ハクビシン』『テン』等)。旅の途中に聴いたトリッキーな獣害(猿)をまとめてみた。
猿の獣害
「猿対策だけはどうにもならない」
住人が嘆く通り、猿は獣害をもたらす動物の中でも一番対処が難しいらしい。どれだけ畑に囲いを設置しても、飛び越えたり、地面を掘ったり、扉を開けて堂々と入って大根を小脇に2足歩行で退室したりで、完全に防ぐことは困難だという。電流入りの有刺鉄線を使っても入ってくるとのこと。また、猟銃を持った人が山に入ろうもんなら、その脅威は一瞬にして群れの中に広まり、ヒトの前から姿を消すため撃つこともできない。
こちらにサルの姿が見えなくても、どこからかサルはこちらを見ている。
猿の技『岩落とし』
猿を撃った経験のないヒトが猟銃を持たないうちに山に入ると『岩落とし』の刑を処されるという。
「猟銃を持ってなかった頃は、ホント猿にいじめられたよ~」と語るのは栃木県の狩猟家の男性。猿が小さい岩を転がし、その岩が少し大きい岩にぶつかるのを繰り返して、猟師の元には大きめの岩が落ちてくるという具合で、こんな感じらしい↓
しかし、一匹でもサルを撃った経験があれば、そのヒトは猿の間でヤバイ人として認定され、近づかれなくなるらしい。
猿の技『まかれる』
「猿にまかれた」という言葉があるらしい。
昔むかし、村人が山に入りしばらく作業をしていると妙な違和感に襲われることがあったそうな。音もしないが何か妙な気配がする。
「妙だな。変だな」と気づいたときには自分を中心に数十匹の猿。
猿は村人を囲みじりじりと音もなく群れの円を狭めてくる。
このように円陣を組みながら迫られることを『猿にまかれる』というらしい。
めちゃくちゃ怖い。おそらくこんな感じだろう↓
猿の嫌がらせ
畑で育てたカボチャの中から美味しいものだけを選んで食べる。住民は、やられた…と思って、中身を食いつくされたカボチャの皮に近付くと何かがおかしい。皮の内側を確認すると立派なウンコが残されていたという。カボチャの皮を便座にしていったらしい。理由はわからないとのこと。こんな感じだろう↓
※猿のこだわり:猿は綺麗なところにしか糞をしないらしく、綺麗な橋の欄干なんかに糞をして綺麗だった場所をとてつもなく汚すらしい。
こんなトリッキーな獣害が発生する理由は、山中の食料不足にある。
本来、果樹を実らせる木があった場所に杉を植林したため、山では食料不足の状態が続き、動物たちも仕方なく人間の領域に降りてくるらしい。だったら杉を伐採して売って、別の樹木を植えればいいんじゃないかと思うがその為には膨大なお金と、木々が育つ為の時間がかかるから100年計画で取り組むことになるはず。
■参考
杉の木の切り賃8,000円 売価:500円
動物たちは生き残るために仕方なくやっていること(向こうからしたらヒトが銃を担いでやってくるもんだから命がけ)が、結果的に獣害になっているだけなので人間の自業自得だったりする。
ヒトはヒトで生活を豊かにするために植林したのがまさかこんなことになるとは...といった感じだろう。動物とヒトとが逆WinWin状態になっていて切ない。
限界集落の旅2019-岐阜県の宿『樹庵』オヤジ様の名言と徳山ダム-
前回までのあらすじ:滋賀県の杉野にある集落で『教育』『教養』についての名言を聴いた後、土蔵鉱山で雪化粧をした廃墟を見学。寒さのため足元からキンキンに冷えた。体を恢復させるため車中泊ではなく宿に泊まろうと『樹庵』という小学校を改造した宿舎に向かった。
▼前回の記事▼
『ラーニングアーバー 樹庵』は小学校を改装した学び舎
平成15年に3月に廃校になった旧谷汲村立横蔵小学校を改装した宿泊・研修施設。子供の合宿や観光以外にも会社の研修会や懇親会にも使用できる学びの宿。
20時頃、『樹庵』に到着した(旧久瀬村、現在は揖斐川町)。管理人さんに代金を支払い(朝食付き5000円)、明日の朝食の時間を決め、部屋まで案内してもらった。各部屋には『とらいあんぐる』『どんぐり』『ハーモニカ』と名前がついていた。僕は『とらいあんぐる』の間だった。
部屋は広く8畳くらいの広さで、テレビと暖房が設置されている。天井には直径50cmくらいの和紙で覆われた暖色の灯りがついていた。
夏には子供の合宿には嬉しい、広々とした部屋の印象。
管理人さんにウェルカムの緑茶とコーヒーを貰い部屋で飲んだ。
試しにテレビをつけてみたが、あまり見る気になれず着替えてすぐに寝てしまった。
自分もテレビ離れしてしまったものだ。
布団はヒンヤリとした重たい感触だったが、すぐに人の体温が移り、エアコンをつけなくても軽く寝汗をかくくらい暖かかった。
朝になり朝食を食べた後、管理人さん(以下:オヤジ様)と話をした。
オヤジ様(69歳)が話好きな方だったため話し込んだ。
樹庵にはどんな思いが込められていますか?
『樹庵』は里山につくられた学びの宿である。
人の住む場所を『里』、手つかずの大自然を『山』。
自然と人が共生する中間の場を『里山』と呼び、『樹庵』はこの里山をイメージしてつくられた。子供が自然と遊び、多くの理を学べるように『学びの杜』と思いを込めて、『ラーニングアーバーズ』と名付けられた(元々、オヤジ様が杜『もり』という言葉が好きなのもある)。
樹庵の風景
オヤジ様(管理人)の名言
「今は子供の生活体験が少ないよね。失敗する経験も少ない分、免疫もない。だから大人になったらちょっぴりの失敗でも、こんなに大きく感じてしまう。生命力としては弱いね」
現代っ子の生命力の軟弱さを指摘するオヤジ様。団塊の世代から見ると各世代はこのように見えるという。以下の通り(年数は概要です)。
・団塊の世代(1947~1949年)
『競争の世代、バリバリ仕事する』
高度経済成長期まっただ中、親に余裕がなく、多くの人が自立するしか生活する術がなかった。仕事は生きるための手段。
・マイルド世代(不明:しらけ世代のことだろうか?)
『団塊の反動で競争を嫌がる』
しらけ世代だと...政治に無関心。『無気力・無関心・無責任』を中心とする個人主義が見られた。
・新人類(1950年代後半~1964年生まれ)
『目的が見えない、刹那的な喜びを好む、アメリカ社会的、遊び好き、仕事嫌い』
インベーダーゲームが大ブーム真っただ中の世代。漫画やアニメ、サブカルに傾倒し、元祖サブカル世代と言われる。団塊の世代が開拓した市場を効率よく広げることが求められた。
※芸能人だと秋元康、石橋貴明、松田聖子etc...
ここで話が中断したから不明。
一般的には『長い受験戦争を勝ち抜いて進学、就職に励んだものの、バブルが弾けて掲示が長期的な後退局面に入ったため被害者的な感情を持つ人が多い。リストラを目の当たりにしているため社内で言われたことをしていただけではダメだと感じている』とされている。
「教室で学ぶことなんかこれっぽち。大半は人との関わり合いや失敗から学ぶ」
樹庵では自然遊び、人と関わって多くのことを学んでほしい。ここは江戸とか明治でいう寺子屋だよ。とオヤジ様は語る。
「ぶつかり合うこともあるじゃない。
つまずいて転ぶこともあるじゃない。
大人になっても自立できない若者よ。byオヤジ様」
耳が痛いこと。
「自立する姿ってのは勉強になるよ。鳥を見ていたら」
集落巡りをしていると人間関係を動物に喩える人がいる。今回は鳥だった。
ヒナのときには親鳥は何往復もして餌をとってくるけれども、育ったらあとはあんたたちで何とかしなさいとばかりに羽ばたくヒナを手助けしない。これは人間も見習うべきだというオヤジ様。
「家族の中でも自立しながら、心が通ってないとね。
自立もしないで、心が通ってるなんてのは甘えの構造だからね。
自立した上での信頼関係。
盆暮れ正月には帰る、祝い事には贈り物をするとかはいいけれども。
甘えは許されないんじゃないですか」
あぁ、耳が痛い。
「山は平地より歩きやすいんだ」
話は変わって、オヤジ様は山の歩きやすさを語る。
「国道なんて50年くらいの歴史やろう。昔は文化も物も尾根伝いに伝わったもんだ。
山の上って歩いてみるとわかるけど、思ったより平で尾根が一番歩きやすい。橋とトンネルって技術ができるまでは平地って危なかったから街道っていうのは全部尾根。平地にはありません。今では平地が住みやすいと思ってるから、自分より上の目線を想像できないからね」
徳島県の美馬郡つるぎ町を訪れたときに「位の高い人ほど高い所に住んでいた」という話と一致する。山の上をこれからの人類は見直すべきではないだろうか。集落旅をしていると、都会のヒルズの山頂に住むよりも、山の山頂に住む方がステータスが高くなる時代がまたゆっくりと迫ってきている気がする(全く論理的ではないけれども)。
▼つるぎ町の記事▼
樹庵には今でも旧東海道を歩いてくる60~70代が宿泊することもある。400km近い距離を一つの目的を持って完歩する人が多いらしい。昔の人たちが歩いた足跡をたどり、昔の旅を体験する。健康的な趣味だ(しんどそうだけど、いや、思ったほどしんどくないのか山だから)。
「人間歩かないとだめ。
街を歩いてても面白くもなんともない。コンクリートの上は熱くて寒いだけ。
でも歩くにしても義務だと面白くないから結果として動いて健康にいいのが良い。
内臓もよくなる」
それなりに目的をもって、それぞれの生活のスタイルに合わせて『歩く』ことをオヤジ様は推奨する。
▼司馬遼太郎『街道を行く』▼
そして山の良さは歩くだけでなく、美味しい農作物作りにも適している。
例えば棚田。斜面に田んぼを作る事で水はけが良くなり、稲にはいつでも新鮮な水がいきわたり美味しい米が実る。ただし、水はけがいい分、いつも水やりをしないといけない。田んぼの水やりは子供の仕事。平地よりもキツイ。
「たのむからオヤジ平地に田んぼ作ってくれ」子供の頃にオヤジ様は自分の父親様に頼んだそうだ。
また、この辺りにはかつて平家の落人たちが逃げ延びた場所でもある。
源平山合戦
この辺りの山には逃げ延びた平家の落人が隠れ住んでいたという。この辺りの人の3分の1は平家の落人らしい。岐阜県と福井県の県境にある冠山峠ではかつてこんな戦いがあった。
温見谷に陣を敷いた平家方。対して徳山谷から攻める源氏方。
明朝、冠山に両軍が集い開戦の予定だったが、源氏が巧妙な作戦で隙をつき平家方よりも先に冠山の山頂に到達。平家方が山頂にたどり着いたときには源氏の白旗が一杯になっており平家方は大敗し、平家の落人たちは近くの山懐に逃げ込んだ。『温見谷』は何となく暖かそうな場所だったといういわれがある。
死に追われた人間が温かみを感じた場所だから相当なパワースポットなのではないだろうか。今度、訪ねてみたい。
ひとしきり話した後、徳山ダムに向かった。
▼旧久瀬村の学び舎『ラーニングアーバー横蔵 樹庵』▼
▼オヤジ様の著書▼
冬の『徳山ダム』へ
徳山ダム(2008年完成)とは
岐阜県揖斐郡揖斐川町の一級河川、木曽川水系揖斐川最上流部に設計されたダムである。総貯水量6億6,000万㎥は日本最大。ダムの建設にあたり徳山村がほぼ全域水没。
8つの集落うち7つの集落がダムの底に消えた。唯一、ダムに沈まなかった門入(かどにゅう)地区にかろうじて人が住んでいるという情報もあるが、冬の期間中は山から下りているらしい。夏の日であってもダムの水が必要になるほどの水不足には、まずならないため、そもそものダム建設の必要性を疑問視する声もある。
この人工湖はかつての村名から引用して『徳山湖』と名付けられた。
旧徳山村がダムになるまでの風景を10万枚もの写真に納めた『カメラばあちゃん』こと増山たづ子さんの作品『すべて写真になる日まで』は旧徳山村の様子と村民のあけすけな表情を如実に記録している(綺麗な茅葺屋根の民家が印象的)。
今後、徳山村の人たちが移住した地区を訪問して、当時の村の様子などを調べて行こうかと思う。
▼増山たづ子さん▼
徳山ダムの風景
徳山ダムには数名の観光客がいた。どの人もちょっとダムを見てすぐに山を下りるか、資料館で少し本やファイルを見る程度。冬場はダムに架かる橋が通行止めになっている上に、これと言って見どころもないようだ(景色はカッコいい)。資料にしたって本気で民俗学や地質学などを学んでいる人、もしくは徳山村について知りたい人か、ダムファンくらいしかありがたがらないだろう。
僕と同じ頃にダムに到着した学生と思しきカップルが資料を見ながら、民俗学がうんぬんかんぬん、言ってたが15分くらいでさっさと資料館を出て、駐車場でぬるぬる雪合戦をして帰っていった。コアなダムファンではなかったらしい。でも、研究のためなら軽すぎるし、ダムファンにしても軽すぎるし、20代くらいのカップルがここに何を期待して来たんだろうと思った。ただ、ダムの管理人さんに聞くと若い女の人も写真を撮りに来るらしい。ドライブがてらに『映え』を意識した写真を撮るのなら、まぁありかと思った。
今回はこれで帰ることにした。
▼徳山ダム▼
草ヒロコレクション
帰り道でに、岐阜県と山形県の県境付近で見かけた草ヒロを掲載。
次回は過去にさかのぼって2018年の集落巡り。福井県の越前で出会った守り神みたいな人について書く。
______________________________________
限界集落の旅2019-滋賀県の廃墟『土倉鉱山』雪まみれ-
前回からの続き:東京から滋賀県に向かう道中の静岡県で車中泊をしたものの、忘れ物をして東京に逆戻りする羽目になった。忘れ物を取り、改めて滋賀県を目指した。
▼前回の記事▼
- 朝から東京の高速道路は混んでいた
- スーパーホストのゲストハウス『キシダハウス』到着<滋賀県>
- 岐阜県との県境付近の喫茶『コーヒー軽食 けやきのした』<滋賀県>
- 土倉鉱山へ向かう<滋賀県>
- 『道の駅 星ふる里ふじはし』<岐阜県>
朝から東京の高速道路は混んでいた
東京入りしたのは6時頃だった。しかし、その頃には高速道路が渋滞していたせいで、午前3時に静岡県を出発したのにもかかわらず7時を回っても東京都の家に着かずそわそわしていた。
なんて働き者なんだ日本人は、と思ってトロトロ進んでいたら、助手席となりの路側帯を車が3台、ビュンと駆け抜けていった。なんぼ早く働きたいと思ってても急ぎすぎじゃないか、と思ったら、どうやら数キロ先で事故が起きているらしく、その処理に向かった車だったらしい。
げんなりして某チェーン店で景気づけにリーズナブルなカツ丼を食べたら、思ってたよりもお肉がパサパサだったので、あぁ、リーズナブルだと納得した。
スーパーホストのゲストハウス『キシダハウス』到着<滋賀県>
忘れ物を取り、住まわせてもらっている家のごみ捨てなどをして滋賀県に向かった。
この日は以前お世話になったキシダハウスのプチ新年会に呼ばれていたため集落巡りの途中に寄る予定になっていた。19時キシダハウス着の予定をオーナーさんに伝えてあるため、サービスエリアで眠りすぎないように休みつつ車を走らせる。スマホのナビ機能によると到着予定時刻18時54分と出ていたため、お、ちょうどエエな、などと安心したものの、最後の高速出口まであと600m、目的地まであと13kmの表示が出たところで一瞬、油断した。睡魔に負けかけたのだった。次にナビを見ると『目的地まであと24km』。
あぁ。
今日は、あぁ、が多い。
予定の時刻を20分くらい遅れて到着した。
「あぁ、よかったちゃんと来てくれた。道に迷ってるんじゃないかと思った」
キシダハウスではオーナーさんとご近所さんが既にちらし寿司などを作って待っていてくださった。
この日常的な食卓がバーカウンターと湖北の静かな空気にマッチするそんな空間がキシダハウスの特徴。
宴もたけなわ、マダムたちの話は尽きず。僕は風呂に入って、屁ぇこいて、とっとと寝た。
▼キシダハウス▼
キシダハウスは2017年にオープンし、わずか1年でスーパーホストに認定されたゲストハウス。スーパーホストになるには厳しい条件がある。
世界各地のゲストハウス等を宿泊できるサイトAirbnbによると以下の条件がある。
宿泊10件以上、または長期滞在3件合計100泊以上の受け入れ実績がある
レビュー獲得率50%以上をキープ
返答率は90%以上をキープ
総合評価4.8つ星以上をキープ
※Airbnbホームページより引用
☆4.8以上を維持はテストで言えば毎回96点取り続けるようなもんである。
全教科通知表『5』を維持するゲストハウス界のエリート(それでもたまに辛い評価はあるけれども)。そんなゲストハウスが滋賀県の湖北にひっそりと佇んでいるなんて、なかなか上品で粋な話ではないだろうか
翌朝、ゲストハウスの掃除をして、2冊目になる真っ新な『Guest book』の1ページ目に今回の宿泊の感想を書き綴り、岐阜県に向けて出発した。
岐阜県との県境付近の喫茶『コーヒー軽食 けやきのした』<滋賀県>
岐阜県に向けて道を進むとあまりに寒く、体の内側から暖を取りたくなったためセブンイレブンに寄った。ここで暖かいほうじ茶とブラックサンダーを買った。
雪がハラハラと降り、寒さは増していった。
岐阜県との県境付近で集落に入った。
ぽつぽつと民家がある中で、空家か喫茶店か微妙な家屋を見つけた。
『コーヒー』と書かれた旗が立っていたいて『営業中』と書かれた札が掛かっていたからおそらく開いているはず。お店の名前は『けやきのした』という。好奇心にそそられて店に入ってみた。
「いらっしゃい」
お店の中にはカウンターの向こうに年配の女性が一人いた。
この方はこの店のオーナーさんの奥さんである。
旦那さんが定年退職して始められて、普段は旦那さんと一緒に店番をしているのだが、今日は旦那さんに用があり、一人で店番をしているとのこと。
「ここ、元は喫茶店にしなかったら物置になる予定だったから店の外見はあんまり手を加えてないのよ」
店内は木を基調にしたモダンで柔らかな印象の内装に、住民の造った手芸品が並び、なんで内装と外装の力の入れ具合にこれだけ差があるのだろうかと思っていたら、奥さんの方から理由を説明してくれた。
居心地のいい店内は普段ならこの辺りの住人の方が集まる憩いの場になるらしい。
この日はオープンしてすぐという時間帯も影響して、お客は僕だけだった。そのため結構奥さんと話し込むことになった。
お店のメニューは格安設定。
朝はセブンイレブンの『ほうじ茶』と『ブラックサンダー』を1かけら食べただけだったことや、体の芯から温まりたかったから、『コーヒー』と『うどん』を注文した。
※ブラックサンダーは「朝からチョコレート菓子て栄養が足りへんのと違うか」と思って途中で食べるのをやめた。
はっきりいって体に優しいうどんの味。少し弱っているときでもどんどん食べられる。関西圏だけに出汁が効いていて、結構、薄味なのも良い。関西でよく使われる『薄口しょうゆ』は『濃い口しょうゆ』よりも塩分が高く、なんやかんやで塩辛い味になっていることがあるため、この薄味は本当に体に優しいと思う。
そしてこのうどんにつけられた自家製(だと思う)漬物もさることながら、この赤い付け合わせもポイント。
根菜の香ばしさと唐辛子のピリッとした熱さが『うどん』を変える。
わずかこれだけの量であってもかなりのピリ辛うどんに味変するため、入れすぎ危険!注意されたし(うどん1杯に3本~5本くらい)と言いたい。この調味料は割と癖になる味。
コーヒーは『カフェバード』というところでこの店のためだけに焙煎されたスペシャル仕様。付け合わせは山芋を混ぜ込んだ餅をレンジでチンして『柔らかおかき』にしあげたもの。コーヒーはこの辺りの気候に合わせて選ばれたもので、とても落ち着く味。
「僕、コーヒー飲もうとしたらドキドキするんです…。もし美味しなかったらどうしよかと思て。ここでは美味しいコーヒーに巡り合えた」
かつてここを訪れたお爺さんがこのコーヒーの感想をこのように話たらしい。
詠み人知らずのお墨付きコーヒー。
『柔らかおかき』はサクリとした軽い歯ざわりと、噛むほどに口の中で溶けるような触感、鼻を抜けるほのかに甘い香りが特徴である。
この辺りの地域では正月に餅をつかない家はないらしく、この『おかき』の基になっているお餅も自家製である。このふんわり食感と甘味は里芋だからだろうか。売ってたらおやつにしたい。
うどんとコーヒーがこれだけ安定感のある味だとすると、他のスパゲティやチャーハンも食べてみたい。
奥さんの名言(名言解説)
テーブルにこんな名言が貼ってあった。
これはどういう意味ですか、と奥さんに聴くと言葉の意図を教えてくださった。
旦那さんからがどこかの誰かから聴いてきた言葉らしい。
「教育の方はね、家に閉じこもってばっかりおらんと外に出る。毎日ボーっと生きてたらアカンということやね。教養の方はね、毎日用事を作って一生懸命生きなアカンということやね。それきいてその通りやと思たわ」
その後、奥さんとこの辺りで採れる山菜の話をした。
「山菜取りは嬉しいな。楽しいな。見つけるとワーっとなる!何も考えんでいいから脚の痛みも忘れる」
山菜は採るのも調理するのも楽しいらしい。
「山菜によっては調理に手間が掛かるけれども、それを押してでも食べたい。ホント美味よ」
そんなこと言われると、山菜取りがしたくなってしまうし食べたくなる。
『コゴミ』『ワラビ』『イタドリ』『ゼンマイ』春先から徐々に様々な野草が順番に生えてくるのを採取するため、春から夏にかけてかなり忙しいらしい。何も考えずひたすら採って、調理して、美味しい。こういう自分の生命活動にのみ直結する仕事ってストレス溜まらんやろうなと思った。山菜取りのベテランの奥さんには山菜が宝の山に見えるらしい。これも良い。今まではただの草だと思ってたものが宝に見えるのは得だ。
山菜料理は日ごろの食卓に並ぶだけではなく、法事のおかずに欠かせない逸品。
先ほど奥さんが『脚の痛みも忘れる』とは言ったものの、かなり高齢の方には山菜取りはできなくなってしまう。そのため、山菜取りができいお家に調理した山菜料理を持っていくとかなり喜ばれる。
「何もいらんさけぇ、これだけあったらエエ」
一体、どれだけ美味いんや山菜料理は。
※余談:このあたりの地域では「食べられない」を「あたらん」という。
この喫茶店にはいろんな人が訪れる。
「そうねぇ、無銭で旅をしている若者が訪れて、奥さんはおにぎりを渡したの」
平成最後の山下清がここに来たらしい。
「他にも、ひたすら道を歩く子連れのお父さんや、廃墟マニア」
このまま岐阜県に向かうと県境に廃墟マニアが集う『土倉鉱山』がある。
奥さんに土倉鉱山の場所をなんとなく教えてもらい次の目的地にした。
▼けやきのした▼
土倉鉱山へ向かう<滋賀県>
『けやきのした』の奥さんから有難いお言葉を拝聴した僕は、お土産を買って店を後にすることにした。
次の目的地『土倉鉱山』について
岐阜県の県境『土蔵岳』山麗、金居原(かねいばら)集落のはずれにある鉱山跡地。
『けやきのした』からだと国道303号線を岐阜県方面へ道なりに5キロほど進んだ先に左手に土倉鉱山への道を示す分かれ道がある。看板があるらしいが雪が深くて全く見えなかった。鉱山の周辺地域には江戸時代から人が住み始め、明治40年頃から鉱山としての開発が始まり、閉山される昭和40年まで、『銅』『硫化鉄』わずかながら『金』『銀』『鉛』が産出された。今では商店らしい施設もほとんどない金居原地区だが、鉱山の最盛期には出口土倉 (堀近村)と呼ばれる集落があり、1000人以上の人が住み、鉱山事務所や職員寮、病院、映画館、商店などが軒を連ねて、運動会や映画館での週1回の映画上映会なども開催され賑わっていた。
そんな賑わいの反面、雪害や、粉塵を吸い込むことで発生する『じん肺病』の被害、鉱山の衰退によって全国に散っていった住人達の別れなど悲しい歴史も多い。現在では誰が管理しているわけでもないため、合法的に見学できる廃墟として人気の観光スポットになっている。
グーグルマップを頼りに土倉鉱山を目指した。
雪道をスニーカーで歩くという愚行を犯してしまい、くるぶしから先が不細工な白いつくねのようになってしまった。道を進むにつれて、くるぶしからもののあたりまで飲み込んでいった。こいつはしんどいな…100m程進んだときに引き返そうかと思ったが、こんな時期で雪が積もっているからこそ、気候のいい時期では見られない風景が見えるかもしれない。ここは辛抱だと思って前に進んだ。しばらく歩くと積雪の上に動物の足跡がパラパラと増え始めた。中にはどうみても鹿や猪、テンなどではない、ドえらくでかいモノがあり、これは熊じゃないのかと思って心細くなっていると、携帯電話が圏外になった。
もう、このでかい足跡がどの動物のものなのかGoogleで検索して、なんだ熊の足跡じゃないじゃないか(笑)と安心することもできなければ、Yahoo!知恵袋に質問することもできない。命の危険を冒してまでこんな時期に思いつきで廃墟に行くことが正しいと言えるのだろうか。引き返そうか再考していると、風が木の枝や葉に乗っていた細やかな雪を振るい落とし、霧状の空間になって僕を包み視界が完全に奪っていった。あぁ、黄泉の世界か、でも千里の道も一歩からと思いながら、さらに進んだ。
これだけ雪が積もっていると、雪の下にとてつもなく大きな落とし穴があるんじゃないかと思えてくるので、自分の足元の雪をを多少蹴散らしながら歩いた。
しばらくすると形態の電波が少しつながる場所に出て少し安心した。
あともう少しで鉱山跡地に到着するというところで、立ち往生している車を見つけた。
この車の持ち主は名古屋から廃墟を見学に来た男性で僕と同い年だった。
僕とは反対のルートから廃墟へ向かっていたらしい。
男性は携帯電話も圏外で使えず車屋さんも呼べない。とりあえず2人してタイヤ周りの雪を掻きだして車輪にサンダルを噛ませてエンジンをかけてみたものの車は動かず、結局、男性が電波の届く所まで進んで車屋さんを呼ぶことにした。
だったらさっきの電波が通じるところに行けば車屋さん呼べるんじゃないか?見事な伏線回収じゃないかと思い、男性をさっき電波が通じた辺りまで連れて行ったものの、あまりに電波状況が不安定で、すぐに圏外になってしまった。
簡単にドラマは生まれないようだ。無駄に歩かせてしまって申し訳ない。
男性はもと来た道を戻り、電波が繋がる場所で車屋さんを呼びに行った。
「車がなんとかなった後にカメラを持って廃墟に行きます」
電話しにいった男性と分かれて廃墟を目指した。
土倉鉱山の風景
後でネットで確認したところもっと廃墟の中を移動できるようだが、雪で進めないことや、何より寒さで体がもう限界になっていた。雪はスニーカーの中に侵入して靴の内からも体を冷やそうとしている。車に引き返すことにした。
戻るとさっきの男性の車はなくなっていた。
日も暮れ始めていたので、これから廃墟巡りをするかもしれない男性が無事でありますように。
車までもどったところ足がこのようになっていた。
レディーガガが『遭難』をテーマに服を作ったらこんな感じだろうか。
車の中に入って少し温まると靴の中に侵入した雪が溶け始めて体の端から冷えてきた。
生まれて初めて生命維持のためにチョコレートを食べて暖を取った。セブンイレブンで買ったブラックサンダーを食べなかったのにはこういう伏線があったのか。地味だが命から喜べた。
とにかく温泉に入らなくては。
観光でもアトピーの治療でもなく体を温めるために温泉に向かった。
『道の駅 星ふる里ふじはし』<岐阜県>
『いび川温泉 藤橋の湯』
岐阜県に入ることには辺りは暗くなっていた。あの廃墟ファンの男性はきっと今日は廃墟探索をあきらめただろうなと思った。道の駅の灯りを見つけて温泉施設に入り、チケットを購入そそくさと温泉に入った。
あぁ。
雪景色を見ながら露天風呂を漫喫できる。地獄で天国とはこのことか。上質な泉質で肌を温められた。
入浴料:510円 タオル:250円 バスタオル:450円
施設内には飲食スペースもあり、食事には地の物が使われているようだった。
体が温まったからって、ちょっと強気になって冷たい『ざるそば』なんか頼んでいる。さすがにアイスクリームを食べる気持ちにはならないが、温もりを損している気がする。※スタッフさんに頼めば蕎麦湯も貰える。
物販コーナーもあり高価なものから白菜1玉80円とリーズナブルなものまである。
▼いび川温泉 藤橋の湯▼
こんな雪の中で車中泊するのは体に良くないと思い、飲食店のスタッフの方に近くに宿泊施設がないか聞いてみたところ、小学校を改造した『樹庵』という宿泊施設を教えてもらった。
電話をするとあっさり予約が取れた(ただし電話したのが19時を過ぎていたため夕食は勘弁してくれとのこと)。この寒さの中で泊めていただけるだけありがたいと思い、さっそく向かった。
▼今回の旅のYouTube動画▼
______________________________________
限界集落の旅-静岡県の道の駅で本格的に車中泊をした話-
ホンダのアクティ(車中泊仕様)での寝心地は如何なものか…?
『車中泊を快適に行いたい』
2019年になってまた限界集落の旅に出発した。
今回は限界集落巡りだけでなく『車中泊の快適化』を行った(ビジネスっぽい)。
というのも最近、Youtubeで漫喫宿泊や車中泊の動画を見て、自分もロマンのある、オトナの隠れ家的な、秘密基地的な、車中泊をしたくなったからだ。
これまでも、毛布などを持ち込み、車内で寝た経験はあったけど、寝袋やポータブル電源、調理器具など、『車中泊3種の神器(?)』を持ち込み、調理を楽しみ、快眠し、ノートパソコンでノマドにワーキングしたことはなかった。いつも眠るときには、鉄の車体からの伝わってくる、冬の厳しい冷気や夏のいやらしいの暑さを、座布団みたいな敷布団で遮り、胎児のように丸めた体を車体に納めていたため、起きるとぐったりとしていた。夜間にフル稼働していただろう体温の調節機能が一日の始まりの時点で悲鳴を上げていたに違いなかった。
「もっと車って可能性に満ちているんじゃないだろうか」
自動運転や低燃費化とは全く違う、漠然としたロマンという意味での車の在り方を、寝不足でぼんやりした頭の中で問うたとき、せっかく軽バンに毛布を載せて旅をしているのだから、もう少し手を加えて快適に過ごせるようになりたい。そんな欲がでてきた。人生は楽しまなくてはいけない。そして人を大事にするためには自分も大事にできないといけない。これは旅の中で学んだことだった(どのタイミングかな)。
アクティをいつでも帰ってこられる第2の故郷、いや第2.5程度の故郷にしようと思ったときに一気に弾けた。そんなわけでいつも乗っているホンダのアクティを車中泊仕様に改造した。
▼アクティを車中泊仕様にする動画▼
▼アクティ改造の流れ(ブログ版)▼
【シェードづくり】
まず窓を覆ってくれる目線隠しを作ります。車内のプライバシーを守る他、窓から伝わる日光や冷気による車内の温度変化を抑えてくれる役割があります。
窓枠の形に切り取った型紙を使ってアルミ製のレジャーマットを切り取ります。
【床の断熱】
レジャーシートのあまりを車の底面に貼り鉄の車体から伝わる熱や寒さを遮ります。
シートの切れ端を集めて貼り合わせたから雑味あり。
【持ち込んだその他装備】
・寝袋
2℃くらいまでが適正使用温度とのこと。店の人に2℃を下回ったらどうなるか聞いたところ「気温の感じ方や着こみ方で変わってきますから、それ次第で耐えられないわけではないと思います」と返答あり。気持ちの問題が大きいそうです。
・ポータブル電源
これさえあれば、携帯電話の充電や家電製品の使用が可能。料理したり、暑い日には扇風機を回せて、寒い日には電気毛布で眠れる。別売りで充電用ソーラーパネルもある。ソーラーパネルで走る『ソラえもん号』を観た世代としてはなかなか心躍るアイテムである。
▼ソラえもん号▼
・布団類(マットレス・簡易敷布団・毛布)
このアクティの後部座席は倒してもフラットにはならず、10センチくらいの段差ができる。マットレスや毛布でこの段差を埋める作戦だが、それでも埋まりきらないので今後、何か快適な物を埋めようと思います。
・食料貯蔵庫
口を糊するわずかな食糧が入ってる。ある程度、ジャンクで、粗悪で、侘しいほどに趣があってよいと思っている。
・調理器具
水を沸騰させる機械。知り合いの家の引っ越しを手伝ったときに貰ったもの。ボディの色が元々なのか変色したのかクリーム色をしているくらい古い物のため正常に作動するかわからないけれども、お湯を沸かせれば何かしら調理ができる。
・机
車内に積んだノーマルタイヤ(現在車はスタッドレスタイヤを履いている)の上に段ボールを載せれば机の完成。ここにパソコンを載せて仕事もできる。段ボール箱を机替わりにしてハングリーな精神を堪能できる。
車中泊へ出発
今回の旅の経路
東京発→静岡(車中泊)→滋賀県(キシダハウスの新年会)→岐阜県の根尾周辺
川根温泉にて、男同士の無言の会話
東京から高速道路を使って約3時間半。川根温泉に到着。
温泉は21時閉店だが、受付締め切りは20時30分。
現在20時20分。焦りながら受付を済ませ温泉に入る。
内風呂が4つ、露天風呂が3つ(だったと思う)の造りでどれも浴槽の形に品があって良い。また、肌がスベスベする良質なお湯加減が気持ちよい。肌を柔らかく包む、少しのとろみと、すっきりとしたお湯の質感で肌に負担も少なく(個人的に)安心して入れる。
▼詳しい泉質▼
泉質は塩化物イオンを多量に含む「ナトリウム塩化物温泉」に分類され、温まりやすく、入浴後も塩の微細な結晶が汗腺を防ぐため湯冷めしにくいため、別名「熱の湯」とも言われています。また、高張性の温泉に部類されるため、温泉の成分が身体に浸透しやすく、高い薬理効果を期待することができ、その泉質の良さから県内外から多くの利用者が訪れています。温泉を調査した結果では、約2万年前の地下水と古海水が混じり合っている可能性があり、太古の恵みとして貴重な温泉であることも判っています。
泉質ナトリウム塩化物温泉(高張性弱アルカリ性高温泉)
※ホームページより抜粋
入浴客のほとんどが地元の人らしく、各々に今日の出来事や家族や仲間のことなどを、とぎれとぎれの会話をしていた。
僕はまず、石造りの四角い一番ベーシックな内風呂に入った。
浴槽に背中をあずける姿勢で、あぁ…、と心で息をついた。
僕が湯船に浸かっていると、地元客と思しき人が湯船に浸かり僕と1メートルくらいの距離を置いて腰を下ろした。 そして、僕の方を見ながら口を筒状に尖らせながら「お、ニイちゃん、どこかで見たね」と言いたげな顔をして、もう、声も喉チンコまで出てきていてそうなのに、そっぽを向いて僕の左斜め前に座っていた知り合いと思しき人に話しかけた。30秒くらい話てまた僕の方を向いて、また口を尖らせた。ひょっとこの化身にでも会ったのかと思って、僕も「なんでしょうか?」といった表情をした(声を出さなかった理由は、この日は風呂屋のお客さんに話す気になれなかったからだ)。
話しかけてくるのかなと思ったら、そのお客さんは今度は僕の右斜め前にいる、これまた知り合いに話しかけた。そしてまた30秒ほど談笑して、三度、僕の方を向いて、ひょっとこのモノマネをし始めた。これがあと2回続いてそのお客さんは、熱くなってきたから出るわ、といって出て行った。脇を甘くこちょばされたような、煮え切らない行動だった。意味もなく、僕が何かしたんやろか…、と思って少し申し訳ない気分になった。
多分、僕がこのお客さんの知り合いの間に、三角形の頂点の位置関係で座っていたから、「知り合いにこんな人いたっけ?」と思ったのかもしれない。静岡の人は顔見知らぬ人がいてもとりあえず、唇を尖らせて興味をもってくださるといったところだろうか。ネットで静岡県民の特徴を簡単に調べたところ『東部は自己主張が強く、中部は優柔不断、西部は行動力がある』と書いてあった。川根温泉はやや西武寄りにあるから『行動力』と『優柔不断』の間をとって、こんな気分だったのではないか。
「お、知ってるような知らんニイちゃんがいるゾ(ひょっとこ顔)。話しかけよ…いや、やっぱり止めよう…(別の人と話す)。しかし俺が話しててもこのニイちゃん会話に参加しない…(ひょっとこ顔)。やっぱり話しかけてみるか…いや、やっぱりやめよう(別の人と話す)」
▼静岡県▼
他にも、ねじり鉢巻きの様に頭にタオルを巻いたお客さんが2名いたことも印象に残った。頭にタオルを置くのではなく、巻くスタイル。清水の次郎長スタイルだろうか(ちびまる子ちゃんの知識しかない)。10人ぐらいの入浴客がいた中で2人のねじり鉢巻きスタイルはかなり多い。そんな印象深い体験をして、風呂を出た。
車中泊開始<食事の準備をする>
車に戻り、手づくりシェードを窓に張り付けて、夕食の準備を始めた。
今日の献立はカップラーメン。夢やロマンある献立は先の話。ただ、お湯を沸かすだけの簡単な食事にした。
知り合いのつてで引っ越しの手伝いをしてもらった携帯式湯沸かし器を使って湯を温める。コの字型の器具の先に付いた4センチ程の棒を液体に差し込んで、湯沸かし器のスイッチを押すと発熱部分から徐々に液体が温まる仕組みである。ポータブル電源に湯沸かし器のコンセントを差し込んで、発熱部をマグカップに注いだ水に漬けて湯沸かし器のスイッチを押す。これがなかなか安定して熱してくれない。さすがは半分ジャンク品。なんとかお湯を温めてカップ麺にお湯を注ぐ(お約束の様に段ボールにお湯をこぼしてしまった)。
完成。
ちゃんとカップ麺の味がする!成功。
もう疲れてしまったので食後とくに何もせずに寝る。
就寝時間0時。気温1℃。寝袋の中はまだまだ快適。
午前3時起床。気温0℃。寒い。そして、東京に忘れ物をしたのを思い出した。本当ならこのまま朝まで過ごして滋賀県に行く予定だったが、その前に東京に戻らないといけなくなってしまった。
寒くて起きてしまったり、忘れ物をして車中泊を断念してしまったり、今回の車中泊は失敗。4時間くらいかけて東京に逆戻り!
次回:車中泊失敗から滋賀県の廃墟『土倉鉱山』で立ち往生している人に会う
______________________________________
限界集落の旅 - 徳島県美馬郡つるぎ町編(3)『手間替え』と『同じ釜の飯』の効果-
前回までの続き:徳島県美馬郡つるぎ町にある地蔵寺というお寺でご住職から、人とはなんどや、人生とはなんぞや?ということを聴いて勇気が湧いた僕は、ご住職の勧めで、物知りなガソリンスタンドのオーナーに会いに行った。
▼前回の記事▼
地蔵寺を後にした僕は物知りなおじさんがいるというガソリンスタンドに向かった。
「あら誰かしら」
「うふふ、誰かしら」
つるぎ町には普段、他所の人が来ないため、僕が歩いているだけで集落の人たちは異様に興味を示してくださる。ありがたいことだと思い、僕も微笑み返ししながらどんどん進んでいく。
何もせずとも周りの人から興味を持ってくださるわ、お寺のご住職に聴きましたといえば安心してもらえるわ、ガソリンスタンドで話しかけるときのハードルが下がっていいなぁと思い、ガソリンスタンドに着いたが、一回素通りした。さらに、もう一回素通りして、遠くからじっと見つめて、額を強張らせて、ホントにここか?という顔をしてからガソリンスタンドの従業員さんに話しかけた。(心を落ち着けるための儀式)
旅の事情を話して、外出中のオーナーさんが帰ってくるまで待たせてもらった。
しばらくして帰ってきたオーナーさん(以下:物知りおじさん)とそのお母さん(以下:物知り母さん)と僕との3人で話が始まった。
まずは物知りおじさんにこの辺りの歴史や農業について教えてもらった。
物知りおじさん薬について話す
物知りおじさんにこの辺りの民間薬について教えてもらった。
『この辺り』とは言ったものの、いろんな地域に同じような手法があると思われる。しかし、それはさて置き、この辺りでは『サルの焼酎漬け』が赤痢に聴くといわれ治療に使われていた。高級食材としてサルの脳みそは聞いたことあるが焼酎漬けすると赤痢に効くとは初めて聞いた。今でも使っているかは不明だが、資料として写真を見せてもらった。ミノだかハツだか部位不明な灰色の肉片が焼酎に浸かった様は生々しかったが、焼き鳥屋で食べる砂肝も似たような色だと思えば、まぁ、こんなもんかと納得。
※この話のメモ書きに『サルの塩漬け』とも書いてあるのを読み返して気づいたがこれはなんなのだろう。
ちなみに害獣『鹿』『猪』『熊』『サル』の中で一番撃つのが難しいのはサルらしい(栃木県の猟師さんに聞いた話)。サルは頭がよく、一度でもサルを撃った人が山の中に入ると即座に群れの中に連絡が回り、人前から姿を消すのだ。人がサルを視認できていないとしても、サルは遠くの木の陰から人の侵入をしっかりと監視しているため、人が気づかないうちに逃げられている。さらに、たとえ人前に出たとしても身体能力も高くそう簡単に撃たせてくれない。栃木県ではサルを1匹撃つと1万6,000円の報奨金が出るらしいがサルに対して鹿の報奨金は1万2,000円。この検証金額の違いからもサルの討伐の難易度の高さがうかがえる。
他にもセンプリという薬草が腹痛からの恢復に用いられていたそうだ。
今では化粧品によく用いられる薬草である。
物知りおじさんに、民間薬と現代の科学的な薬はどちらが効きますかと聞くと、今の薬の方が効くと言われた。なんとなく東洋の神秘的な回答を期待してしまったのだが、そう簡単にドラマチックでスピリチュアルな展開は無い。wikiでセンプリを調べると『特に胃の疾患には効果がない』と書かれてあるし、病は気から、回復も気からといったところらしい。
▼センプリ▼
物知りおじさん山を語る
「生活の基本が山。全部自分でつくっている」
山には季節に応じた作物※1もできるし、自分の体や四季の現状に応じた生活ができる。斜面に畑を作ればその分、水はけがよくなりおいしい作物が育つ。さらに薬すらも自然から調達できる山は人のオアシスだった。また、実は山の頂上は平地が多く歩きやすいらしい。平地が生活の基本になったのは国道や鉄道が通った、ここ100年足らずの間であり、本来、水害の心配がある平地よりもむしろ山の方が安全で豊かな生活ができたのだ。そのため、かつて身分の高い人たちは山の上に住んでいた。
※1.自然に山に実る果実を予備食料という。豊富な食糧が実るため、戦時中でもいつも腹一杯食べられた。そういった食料事情から戦後は各地からお嫁さんが大勢嫁いできたらしい。
こうして考えると『高いマンションの屋上に住みたい』という人間の感覚は山での生活を遺伝子に刻んでいるからなのかもしれない。高いところに住むというのは、古から伝わる分かりやすい人のステータスで、ヒルズやミッドタウン等の高い位置に住んでいる人たちはある意味、人間の正しい本能に従っていると言えるのかもしれない。
この辺りでは高い所を『ソラ』と表し、山での生活を『ソラ世界』と言い、平地に住む人たちは山に登ることを『ソラに行く』と表現していた。なんとシャレた話。
では例えば『ソラ』という表現を使って
「俺、将来ビッグになって、ヒルズに住む」
というギラギラしたセリフを言い換えると。
「僕、東京で頑張ってソラに行こうと思とるけん」
徳島から東京で成り上がろうとする若者を描いた、朝の連続テレビ小説みたいなセリフになる。朝の連続テレビ小説『ソラに行く』かな。
ものしりおじさんの名言集
「農業によって国をおこしなさい」
日本神話の中で『食』にまつわる神のオオゲツヒメはそう語ったという。
物知りおじさん曰くこの言葉は『人間らしい生活をするべき』という意味があるらしい。『人間らしい生活』とは体を動かし、生きるための活動、すなわち『仕事』をすることである。『仕事』とはあくまでも生活の一部であり、苦しんで行うものではない。人を苦しませる奴隷的な活動は『労働』になる。
そのため自分たちの食糧を作る農業は「苦痛やない。生き返る仕事」だという(ここに年貢といった強制や搾取が加わると『労働』、無農薬栽培といったこだわりが加わると『無謀』とかになるのだと思う)。
「頭は生きるために使うもの。仕事をするために使わない」
結論の出ないようなことを延々と考えないといけないのは、せこい(疲れる)。そういうのはAIに任せておけばいい、おじさんそう思っちゃうなといった感じのオーナー。
とはいえ、体を動かして人間らしい仕事をするのはデスクワークに染まった人間には難しく、難しいことを処理するために職場にAIを導入させるのも今すぐには難しいし、AIに仕事を奪われる可能性もある。状況はすぐには変わらない上に先行きは不安である。
しかしながら、AIが人にとって代わっても、頭を使えば、幸か不幸かは人によるが、人間らしくは生きられるかもしれないと漠然と思った。
確かに、旅で移動したり体を動かしたり風景を見ると、楽しい気持ちになってくる。気持ちが妙に高揚しますと言うと。
「いきいきするでしょ?わくわくするでしょ?それが人間本来の姿だから」
おじさんはそう言わはった。
「家族みたいな企業?あるかい!」
松下幸之助のように会社が傾いても従業員を解雇しなかったというのはできすぎた話としても、かつて日本は家族のような会社はまずまずあったようだが、それも今となっては昔の話と語るおじさん。
「家族みたいな会社?あるかいそんなん。本当に家族やったら会社が金ないとき、父ちゃん金くれとは言わんやろ」
てっきり『アットホームな職場』と打ち出す方を言及するかと思いきや、さすがはオーナー、経営者視点。でも、松下幸之助のくだりで経営者としてどうあるべきかに触れているため、決して従業員批判ではない。会社全体の体質がもう、家族ではないのだろう(映画『万引き家族』の方が、まだ家族感はあるかもしれない)。
「あったら書かん。来るわ口コミで」
最近の求人広告にどういう内容が頻繁に書かれているかはわからないが、そらそうだな、無いから書くのだろうなと納得。
そして、話はなぜ家族みたいな会社が無くなってしまったか(苦労して家族みたいな会社もあると思いますが限りなく少ないという前提のもと)に移った。おそらく、戦後に過度な競争社会が持ち込まれたからではないかと語るおじさん。競争というシステムを押し付けることで対立を作りやすくし、助け合う気持ちを徐々に奪っていったのではないか。
こうした対立構造とは真逆の仕組みが『手間替え』というシステムである。
『手間替え』とは、金銭のやり取りなしに助け合い、信頼を強くさせる仕組みのこと。
■例
A太郎の田植え仕事をB五郎が手伝う。
(稲刈りの際にA太郎は好意でB五郎に幾ばくか収穫物を渡す)
B五郎の畑仕事をA太郎が手伝う。
(果実が収穫されるさいにB五郎は好意でA太郎に収穫物を渡す)
以下、繰り返し
※こういう仕組みが自然と組み込まれているため、田舎ではドロドロした人間関係でも助け合うらしい。
隣のデスクの人が苦しんでいる場合、まぁまぁ、引き継ぎ終わったから…といわず(無理のない範囲で)助けた方が人間関係としては良い。
「エエな!釜の飯食べるって。料理の味どうこうじゃなくて雰囲気が旨い。疲れが吹っ飛ぶ!」
僕がかつてお世話になっていた某デザインとかする系の事務所で、昼夜とみんなで食事を作って食べることで程よく調和のとれたチームになっていたことを話した。
「エエな!釜の飯食べるって。料理の味どうこうじゃなくて雰囲気が旨い。疲れが吹っ飛ぶ!」というおじさん。兵庫県の大芋集落を訪問した際に「皆で酒飲んだりしてる時に歌う民謡ってって疲れを乗り切るための知恵だったのかもなぁ」と考察していた人がいた。同じ釜の飯を一緒につくったり食べたり、その場で何かして楽しむことは自分の含め周りの人たちの元気回復に繋がる可能性がある。本当にこれは、僕が体験して効果があったので、できれば誰かに実践してもらいたい。
ただし、人間は強制されると何もかも嫌になる生き物なので、同じ釜の飯を『強要』してはならない。『俺のつくった飯が食えないのかー』『せっかく作ってやったのにー』『団結力がー』などと言って同じ釜の飯に同席しない人を裏切者の如く扱うと、チームに亀裂が走る。生きたくない社内の飲み会ばりにうっとおしい日々のイベントになってしまう。あくまで、あの人が食事をとる暇もなく忙しそうだから自分が何か作ろう、という100%の善意と、あの時作ってもらったから今回は自分がつくろう、という手間替えの精神がないと成立しない、匙加減が難しい飯づくりである。
▼【ジブリ版】同じ釜の飯▼
「幸せになりすぎてよくない」
つるぎ山から湧き出る天然水が水道から出てくる環境や恵まれた食の環境など、田舎の人は幸せに気づかず都会にあこがれるという。仕事の環境などは整っているかといえばそうでもないだろうし、自分たちの育った環境を背負って、活性化させるなんていうのは荷が重すぎる。とはいえ、いい環境や歴史が一部の人にしか知れず放置されていくことが増えるのは切ない。
結構長く話し込んでしまった。僕はおじさんにお礼を言ってこの日は帰った。
過去のことを思い出したりメモを見ながら記事を書いたが、まとめるのが難しかった。最近買った文章の書き方本ならこれくらいの量はメモ書きがあれば1時間でできるらしい。多分、時間がかかる原因は僕が『いい文章を書こう』といきり立っているからだと思われる。
▼最近読んだ本▼
次回:福井県で守り神に会う
________________________________
限界集落の旅 - 徳島県美馬郡つるぎ町編(2)地蔵寺でありがたい話を聴く -
前回からの続き:徳島県美馬郡つるぎ町を訪れた僕は初めての車中泊をした。外気温は4℃。深夜になるにつれてどんどん温度が下がる山中で果たして無事に過ごせたのか。
▼前回の記事▼
下着にわずかな寝汗を感じて目覚める。
車内に持ち込んだ毛布と簡易の敷き布団で充分春先の夜を過ごせた(朝起きたときに肌がサラサラしていた。アトピー体質の僕は普段なら入浴後に保湿をしなければ肌がカサついたり、汁が出たりする。さらに今回は、皮膚科から処方されている保湿剤を持ってくるのを忘れていた。奇跡の水質だと思った。
岩戸温泉に足を向けて寝られない)。
昨晩、聞いた情報を基に地蔵寺に向かう。
お寺が見えてくると、このまま突然、訪問したら迷惑じゃないだろうか?
と不安になってきてしまい、お寺の手前の道を左折。
民家と民家で挟まれた細い道に入った。すると10mくらい先の家の縁側にお婆さんが座っているのが見えた。そのまま通り過ぎた。
「ここから先にいくつもりかい?」
お婆さんに声をかけられた。
「ここより先はもう人が住んでおらんのや」
民家が並んではいるものの、そこに住人はもうこのお婆さんしかいない。
亡くなったり、老人ホームに行ったそうだ。親切に声をかけていただいたことをきっかけに僕とお婆さんは話し始めた。お婆さんは、体にいいから、といってヤクルト400をくれた。
お婆さんの格言集
「この歳になってようやく親のありがたみがわかるようになってきた。」
お婆さんは81歳の元飲食店経営者。自分が年齢を重ねて、親が生きた年数を経ることで、親が自分にかけていた情の深さに気づく。そして親が亡くなってからは、返すことのできない恩の大きさに、親への思いが肥大していく。
「思いは募る。だから親孝行はしときなさい」
あんたいくつや?と聞かれたから30歳ですと応えたら、アカンまだまだ若すぎる、と言われた。まだ30歳はひよっこである。
「生きるために動くことは、すべて仕事」
働いて社会貢献する以外にも、食後に薬を飲むことや、近所の人と話すこと、花壇に植えた花を咲かせて豊かな気分になることも全て仕事だという。おそらく息をすることすらも仕事なのだろう。ただ一生懸命生きることが生来、ヒトの仕事なのかもしれない。
「今、そこに花を植えたんやけどもな、鹿がおりてきてみーんな食べてしまうんや」
どの地域も山の食糧不足は深刻で鹿が民家まで降りてくるようだ。5月に花壇の花が咲くらしいがそれまで残っているだろうか。
他にも、昔は兄弟が多かった。お婆さんの家にも親兄弟合わせて十数人いた。そのため、まさかこんな年の離れた女の人が自分の兄妹なわけないだろうと思って、自分のお姉さんのことを、何だかよくわからんけど家にいて偉そうに指示を出してくる人、と思っていたらしい。
お婆さんに勇気をもらった僕は地蔵寺に向かった。
ご住職の格言集
地蔵寺ではご住職にお話を伺った。
このご住職がなかなかの情報通で「信じるか信じないかはあなた次第」と決めゼリフがつきそうな話をたくさんしてくださった(コアな話をしていただいたもののまだ知りたいことがあるのでいつかまた行ってみよう)。
「この世の基本的に苦しみの世界。多くの人が楽な世界があると勘違いしている」
“楽”とは“苦しみ”を一つ乗り越えた状態のことをいう、とご主人は語る。
人間は一段ずつ成長することに喜びを感じるようにできている(ゲームをクリアするのもそうだな)。『成長』こそが『楽』そのものである。
なので、どこか知らない世界に、自分を受け入れてくれて、二段飛ばしで楽々と、無双しながら生きられる理想郷があると思っていると、(身勝手な)理想と(本来の喜び)現実の差に打ちのめされるだけである。『楽』は確実に身近にある、と思えれば幸せである。
「我々は宇宙の欠片だ」
上記の『楽』に話を「仏法遥かにあらず。心中にして即ち近し」という言葉に当てはめて解説してくださった。エライ教えやこの世の真理は宇宙のように何光年も彼方にあるのではなく、実は人の心の中に既にあるというのだ。気づかないだけで、幸せも、喜びもすべて人は持っている。この世の全ては最も身近な自分の中に既にあるのなら、人間の心の広さは宇宙に匹敵する。すなわち我々は宇宙の欠片だと。
「信じるか信じないかはあなた次第です」
(一旦、コマーシャル)
さらっとした湯が心地よい~♪岩戸温泉~♪
(コマーシャル終わり)
「(人が苦しむ理由)人間は錯覚の中に生きている」
ご住職に僕の旅の経緯を話し、「人とコミュニケーションをとるのが苦手です」と伝えると「それは錯覚」という話をしていただいた。
「心」は良くも悪くも人に大きな影響を与える。 「30代になってもまともにコミュニケーションができない」という思い込みは「なぜなら自分は根っからの出来損ないだから」と暗示をかける。暗示にかかると、せっかくの周囲の救いの手を振り払い閉じこもってします。そして、思い込みのまま人の心は死んでいくのである。
本来、少しずつ経験を積んで成長していくことが『楽』だと知れば、妙な思い込みにとらわれずにじっくり成長できる。たとえ話で、ご住職が20代の頃、お寺に集まる年配の方に何話せばいいのかわからない、という悩みがあったことを聴かせてもらった。
「20代の若造が70代の人に何を言うのって思ってた (笑)無理でしょう」
そりゃそうだわ。
「そもそも30代で結果が出ると思っていることが間違い。人生は60代、70代で結果が見えたらいい。30代で人とうまく関われないなんて当たり前」
多分、今の時代にこんなことを言ったら鼻で笑われるか、呆れられるか、良くても『負け組の発想』という落としどころで一定の納得が得られる程度だろう(負け組というのも多分、思い込みということにしよう)。速さが求められるビジネスでは間違いかもしれないけれども、人生では正解かもしれない。
「怒られたりしながら一歩ずつ成長していって、心を覆う思い込みから脱皮するきっかけをつくるのもまた人生」
とご住職は語った。
「未知のものはとても怖い。でも「知る」ことで心は強くなる」
恐怖の正体は『未知』。人は知らないものに恐怖する。経験と体験の積み重ねで知識を蓄えれば恐怖や心の弱さは克服可能。ご主人曰く「人は変わりますよ!」。
ただ、生理的に無理なものは無理な気がする…。
夫婦の関係「結果は死ぬときでいい」
人間は自分と真逆の人間と惹かれ合うことが多い。
「合わん人間が一緒になるんだから、一筋縄でいくわけない、死ぬときになって相手に、一緒になれたて良かった、と思ってもらえればそれでいい」
「お金の話は、無いうちにしておく」
お金や欲は人を変える。
だから財産や相続の話はお金がないうちに話し合って決めておくのがいい。
病気も同じく。もし癌になった場合、お互い相手に知らせるかどうか、病気になってないうちに決めておけば後で悩まずにすむ。
人間の深層についてお話を伺い、さすが寺の坊さんは違うわと思ってお礼を言い、地蔵寺を後にした。※上記以外に聴かせてもらった細かな話は後で加筆。
ご住職に物知りなガソリンスタンドのご主人を教えていただき、今度はそちらへ向かうことにした。
おまけ集落写真集
次回:物知りなガソリンスタンドのおじさんに会う
____________________________________________________________________________
限界集落の旅 - 徳島県美馬郡つるぎ町編(1)奇跡の水質の温泉に入る -
前回までの続き:鳥取県智頭町板井原集落で物思いにふけった。2018年の3月頃、次の目的地は徳島県美馬郡のつるぎ町に決めた。
▼前回の記事▼
▼目次▼
つるぎ山系について
つるぎ山系の周辺に位置するこの地域は古くから日本の根幹を担う産業や農業に従事していた。しかし、高齢化や少子化などでこの地域に住む若者であってもつるぎ山系の歴史的背景を知る人は減っている。
徳島県美馬郡つるぎ町
この地域では400年ほど前から山の傾斜にそのまま畑を作っており、この特殊な農法は世界農業遺産に認定されている。標高1000mの傾斜に食い込むようにな畑と民家がつくりあげる景勝は国内外に知られている。また、1000年前から根付く自然崇拝も特徴である。思わず手を合わせてしまいたくなる巨樹や緑色片岩から湧き出る日本最高レベルの湧水、澄み渡る碧(みどり)色の川も特長である。
※『緑』というより『碧』に近い色をしている。
阿波忌部(あわいんべ)の地
徳島県(阿波)は古代朝廷の祭祀を担当していた忌部氏に奉仕した集団『阿波忌部(あわいんべ)』の末裔が今も生きる地である。阿波忌部には『あらたえ』と呼ばれる麻の織物をつくる役割がある。この『あらたえ』は天皇が即位して最初に行われる『新嘗祭(にいなめさい:五穀豊穣の儀式)』である『大嘗祭(だいじょうさい)』で使用される市死に装束である。天皇は大嘗祭のときに『あらたえ』を着て眠り形式上、死ぬことで、目覚めたときに新天皇として新しい人生を始めるのだ。
『あらたえ』は阿波忌部の末裔『三木家』のみがあつらえるこ織物であり、次回の大嘗祭では子孫のがあつらえた物が献上される予定であるが、高齢化と過疎化で阿波忌部の血筋は途絶えないか心配である。
他にも阿波には日本最古の前方後円墳があったり、日本一美しい水質(※1.三波川変成帯の上に位置する。水道水が化粧水並みに肌に良い)の水を使って育てられる農作物は現在でも関西で流通する農作物の6割をまかなっていることからも日本の食の中核を担う地域だといえる。 ※徳島県は神話に登場する食の神『オオゲツヒメ』の地であり、「阿波」は「粟」 からきているともいわれる。土地の名前からして農作物にゆかりがある。
トリビア
三波川変成帯の上には伊勢神宮がある。元々伊勢神宮は京都の宮津市にあった籠神社(このじんじゃ:現存)が式年遷宮のたびに少しずつ移動して現在の三重県に落ち着いたとのこと。あえてきれいな水脈の上に神聖な場所を移したと、言われているとかいないとか。
徳島県つるぎ町に到着
徳島県のつるぎ町に向かって京都を出発。 高速道路上で給油ランプが点灯し、非常に焦る。すぐに高速道路を降りて5kmほど離れたGSにて給油。多少迷いながらも到着。18時頃までつるぎ町を散策する。まだ明るかったが夕食の時間なのか、あまり人は出歩いていなかった。
奇跡の水質『岩戸温泉』(僕にとって)
現地の人と交流するため温泉宿「岩戸温泉」で入浴。 浴室は約5メートル四方の湯船一つとサウナ、水風呂というシンプルな造り。温泉の割には薬用成分の香りはほとんどなく体に負担がかからない印象。湯上りの印象が良くアトピー体質の僕が入浴後に軟膏を塗らなくても症状の悪化がなかった。近所にこの温泉があればいいのにと思った。
▼岩戸温泉▼
温泉での格言
温泉には住人の方が2人入っておられた。2人のうちの白髪のお爺さんに話しかけようと決めて、寛ぎの時間を邪魔しないように気を付けながら、たまたまサウナで一緒になったときに話しかけましたというていで、熱いっすね、などと話しかけた。自らサウナに入っておきながら熱いって何やねんと思う。
「働いてるのが楽しいな、極道になるにはまだ早い」
お話を伺うと白髪のお爺さんは農家の方で72歳だという。年齢の割にかなりがっしりとした体格をしている。僕の旅の経緯を話すとこのあ辺りの知識人を教えてくれた。
「この先にある橋を渡って左に行くと地蔵寺という寺がある。そこの住職なら色々話してくれる」
サウナを出ると新たに40代くらいの集落の人が2名入ってきていた。先ほどの白髪のお爺さんが40代くらいの人と雑談しながら、働いてるのが楽しいな、極道になるにはまだはやい、と言っていた。労働で鍛え上げられているだけあって心身ともに生き生きしている。男の生き様は顔に出るといわれることがあるが、体にも出るのだろう。
「稼ぎが少なかったら時間で勝負じゃ、って」
「昔の人は偉いな。根性が違うわ」
と、こぼす40代。
こういう少年漫画みたいな姿勢はグッとくる。
温泉施設には食堂もあり宿泊もできる。
温泉施設を出ると、外の温度計には『4℃』と表示されていた。
これからホンダのアクティで車中泊をするのだけれども果たして寝られるのだろうか。
____________________________________________________________________________