限界集落の旅『栃木県日光市中三依』-自給自足の研究で人類の可能性を探る人の格言を聴く-
前回、栃木県日光市中三依の自治会長さんに『勉強=勉学ではない』と格言を聴いた後、自給自足をしている家族がいると教えてもらい、そのお宅へ向かった。
▼前回の記事▼
渓流釣りのポイントの近くに、小学校の校庭を半分くらいにした広さの畑と手造りと思しき木製の家があった。ここかーと思い、玄関前まで進むと、石畳に埋め込まれた玉砂利を電動のこぎりで切っている汗だくの男性がいた。この一家の主だった。
連絡もしないで来たけど大丈夫かな、と思い、声をかけ、旅の事情を説明したら、玄関前の工事が終わったら時間があくからその時に、という話になった。
自給自足家族の大黒柱の来歴など
自給自足一家の家に上げてもらった。
「ちょっとコーヒーを淹れるね」
使い込まれたコーヒーミルを使い自家製焙煎のコーヒー豆をガリガリ粉にして、コポコポお湯を注ぐ姿は、さすが自給自足一家の主だと思った。さらに自家製のパンを振舞ってもらった。パンには自家製のシロップを付けて食べる。このシロップも木などから抽出した天然もので、飽きのこない十分な甘味を楽しめる。木の内部は甘いらしい。
自給自足という話を聞いていたが、実際に生活するにはお金がどうしてもついて回る。『税金』『教育費』『ガソリン費』『機材費』等、様々な資本が邪魔をして100%自給はできていないようだった。
「だから僕らは自給自足研究家だな」とご主人は言った。
なぜ自給自足を始めたのか
ご主人は武蔵野美術大学で建築を学び、卒業後は木工のプロダクトを作製したり、ジャーナリストをやったりしながら、生計を立てていた。余談だが、『武蔵野美術大学』と聞いて『京都精華大学(わかりにくいですが美術大学)』卒業の僕は、うわっエリートだ、と思ってしまった。※京都精華大学は奇人、変人が集まる傾向にある。5段階評価で各人のステータスを表す場合、『画力:2』『センス:3』『アブノーマル:25』みたいな、良かれ悪しかれ特化型といった感じ。
次第に、ご主人は資本に対しての疑問を感じるようになった。
「良いもん食うためにダイオキシン出すって変だなって思った」
都会で消耗せず、お金に生活を支配されず、体に良くないことをしないのであれば、一番いいのはお金にかかわらないこと、そう思い、東京を見ながら那智勝浦に後ずさり。自然農法に目覚めた。余談:この時、聴かせてもらった話をメモした走り書きに『20年前キチガイ』と書いてあったが、都会でやっていた生活のしんどさに対してだろうか?書き残したのが自分なだけに、ものすごく気になる。
那智勝浦での生活を経て、栃木県日光市中三依集落に移り住み、現在、自給自足の可能性を模索している。
「(自給自足を経て)僕は希望、可能性を提示する。人類にとっての可能性の光を」
こんな自分たちでやってるいい加減な農法でも生きていける。日々、生活して余った時間で自己実現。新しい百姓像を模索する。成功のモデルが少ないけれども『自由農家』が一番いい階級だと語るご主人はこう続けた。
「収入無ければ所得税いらない。楽な仕事。なんでやらないんだろう」
まだ完璧な自給自足は出来ていないが、幸福度を満たす手段として探求する価値のある生活様式なのだろう。自分に当てはめて考えると、僕は東京に引っ越ししたものの、東京っぽいことといえば、国会図書館で発禁処分になったブラックジャックが掲載されている週刊少年チャンピオンのコピーを取ったりしている程度で、京都に住んでいたころと大して生活の楽しみ方は変わっていない。漫画のコピー取る数百円くらいで幸福度は満たされるのだと思った。あと秋葉原の『まんだらけ』で「わけわからんオッさんのソフビが8千円…?」「ドラゴンボールの最終話が掲載された少年ジャンプが7万円…!?」と思って、ゾクゾクするのも好きです(見て満足して買わない。美術館感覚)。
『選択肢の外を目の当たりにさせたい』というご主人の言葉が印象的だった。
こう書くと起業家の熱い言葉のように思うけれども、『ローリスクでローリターンそこそこ』で損しないかの実験だ、とも言っていたので、ぼちぼち、頑張らないで自然に生きる言葉である。
▼ご主人お勧めの本▼
この実験の先にどんな目標があるのか
「世間とのインターフェースとして昔ながらの技術を学ぶ工場を造りたい」
そこで日本に勉強しに来た外国人やWOOFFer、引きこもりの人等が活動できる場所にしたいとのことだった。 物をつくることで人の役に立てたいという、建築を学んだご主人らしい意見だった。また現在は、食事と寝床を引き換えに仕事を提供する『WWOOFer』と呼ばれる仕組みの受け皿をされている。
▼WWOOFerとは▼
▼ちなみにこのお家でプチWWOOFer体験した時の記事です▼
自給自足オヤジの格言
「伝統=変わろうとしない心」
そういいながら伝統的な技術の学び舎を作ろうとしているのが面白い。
「自給自足は生き方なので、失敗はない。挑戦はあるけどね」
「『自由農家』が一番いい階級」
『年貢』があって、『知的』でなく、『皺』だらけで、『都会的』でなくダサい。農家のイメージを変える新しい百姓像を作りたいね。
「ミミズみたいに土食って、人に迷惑かけずに生きる。人のコトがどうでもよくなってくるくらい満ち足りる」
年貢を納めたりすることなく、有機栽培にこだわったり、利益を追求しなければ、農業は心身の充実に良い仕事のようだ。
「収入無ければ所得税いらない。楽な仕事。(自給自足)なんでやらないんだろう」
実際にできるかどうかかは別として、価値の置き換えが見事。
「ネットが無くなればいいが、こんな生活していたら必要」
自分の考え方が口コミで広がればいいが、セルフプロモーションがなかなか難しいらしい。お宅にはパソコンがあってFacebookアカウントもある。「ホームレスやブラック企業も政治じゃなく、民間の知恵やITで解決した方が早いんじゃない」といったりもするくらい重要視されている。
「何が信頼できるか?普通の社会性と共通意識を持った、一緒にいて楽な人。イデオロギーで繋がっている組織は弱い」
政治やスピリチュアルなど各々のイデオロギーは変わらないから。
「歳とってくると丸くなるってのは嘘だね。アブノーマルな自分は助長する」
自分や周囲の人たちの生き様や考え方を見ていると、どうやらそうらしい。
オヤジさんの統計学。
「じねーんとやってんだぁ」
じねーん:ぼちぼち頑張らないで自然に。
次回:栃木県日光市旧栗山村-マムシの旨みを教えてくれた和食屋-
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限界集落の旅『栃木県日光市中三依』-自治会長さんの格言『勉強=勉学ではない』から語感の違いについて-
【前回の記事】栃木県塩谷町の『道の駅 湧水の郷しおや』で車中泊をした。
▼目次▼
車中泊での試み
『道の駅 湧き水の郷しおや』で車中泊をする前日『道の駅 日光』で車中泊をして、そのとき頭を乗せているマットレスが沈み、頭が下がり、頭が血に上った朝方、頭痛で目を覚ました(下図参照)。この経験を踏まえ地面がやや傾いていると思う場所に駐車し、できるだけ頭を高い位置に置いた。
しかし、起きると疲労感。頭痛と熱さが相まって、不愉快極まりない朝を迎えた。
車中泊は難しい。決して快適とはいえないが、創意工夫の楽しさに加え、隠れ家的な男のロマンと高揚感でおつりがくるのが良いところだと思っているのだけれども(最近の私の意識)、この寝起きの辛さだと大赤字である(持病のアトピーも悪化するし)。このときから車中泊に苦手意識が芽生えて、きちんと車内を改装しようと行動するまで数か月の時間を要した。
取り合えず、自治会長さんに『人生の何たるか』を聴きに行った。
自治会長さんのお宅は、あらかじめ集落の人に聞き込みをして教えてもらっていたため、あっさりと見つかった。しかし家の中には誰もおらず、これは自治会長さんに会うなという神のお告げかと思った。どうしようかと思っていたが、2分もすると自治会長さんのお宅に車が一台停まり、車内からお婆さんが出てきた。これはもしやと思い、お婆さんに話しかけると、この方、自治会長さんのお母さんである。このタイミングで自治会長さんのお母さんに会うなんて、神が自治会長さんに会えというお告げに違いない。一回、落としてから上げるだなんて、ややこしいな神のお告げ。
僕がお母さんに旅の経緯を話すと、121号線をまっすぐに北上した先の丁字路を左折した先の右手にある『松や食堂』にいらっしゃるとのこと。
わざわざ連絡を取ってもらい、話をつけていただいた。限界集落で人を訪ねると集落の人で連携をとって合わせてもらったりすると、自分の日々の生活に人に喜んでもらえる仕掛けを盛り込みたくなる。
『松や食堂』で自治会長さんの格言を聴く
あらかじめ連絡を入れておいたため店に着くと自治会長さんには話がすんなりと伝わった。お腹がとても減っていた僕は盛りそばを注文した。1.5人前くらいのボリューミーな蕎麦が出てきた。凄い量ですね、というと、お客には近所の人も多いからサービスしてたらこの量になっちゃった、という。麺は太目、味はしょうゆベースの蕎麦つゆが印象的だった。出汁文化の関西で育ったため、この味は新鮮だった。価格は500か600円くらいだった(緊張のためそこまで記録できず)。手打ち蕎麦でこの量は街中ではなかなかお目にかかれないお得ボリューム。
名物の『いぶり豆腐』は豆腐の燻製。桜の木でいぶした豆腐はチーズのような食感で、お酒のおつまみにちょうど良い。また『岩固(がんこ)豆腐』というガチガチ食感の豆腐もあり、醤油をかけて崩しながら食べると醤油が豆腐の内にしみこみ、豆腐の風味と相まって、おかずにもおつまみとしても旨い。
「本を読むのは良いぞ~。自分の知らないことを疑似体験できる。この疑似体験は未来の判断になる。初めは漫画でもいい」
学生時代に運動に励んでいた自治会長さんはケガをきっかけに入院生活に入り、物足りない日々を埋めるため本を読んだ。すると書籍で行う疑似体験は会長の人生に深みと楽しみ方と少し未来を教えた。最近では『君たちはどう生きるのか』や文豪の漫画版も豊富でかなり本を読む敷居が下がって格式そのまま。良い時代になったと思われる。
自治会長さんお勧めの書籍
『20歳の原点』高野悦子著
20代がいかに未熟かということを教えてくれるという…(読んでみようと思いながらまだ未読)。
「あれ面白いね。バスケットを知らなかったけど、スラムダンクがきっかけでインターハイを観に行っちゃった」自治会長さんが本を読み始めるのは漫画からでもいいと思えた作品。
「『勉強=勉学』ではない。全てが勉強。音楽聴くのもね」
勉強することで得られるメリット(1)自分の核が大きくなり人生の選択肢が増える。(2)自分の考えに基づき、自分の伝えたいことが表現できるようになる。とのこと。
勉強と勉学の違いは何ぞやを手元の資料で調べてみた↓
【勉強/勉学の意味(辞書別)】
■現代国語例会辞典【第五版】小学館より引用
【べん-きょう 勉強】(1)将来のために学問や技術などを学ぶこと。特に学校の各教科や、実用的な知識、技術を習い覚えること。(2)将来のためになる経験をすること。(3)商品を値引きして安く売ること。
【べん-がく 勉学】学問に努め励むこと。勉強。
【べんきょう 勉強】(そうすることに抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れること)(1)物事についての知識や見識を深めたり特定の資格を取得したりするために、今まで持っていなかった学力・能力や技術を身につけること。(2)そのときは後悔したりそうしなければよかったと思ったりしても、将来の大成・飛躍のためにはプラスとなった経験。
【べんがく 勉学】特定の目標に向かって勉強すること。
■日本語 語感の辞典【岩波書店より引用
【べんきょう 勉強】講義を受けたり学術的な文献に目を通したりして知識や技術を学び取る意で、くだけた会話から文章まで幅広く使われる日常の基本的な漢語。生徒の学習だけでなく、大人になって真面目な本を読んだり、学者が研究書を読んだりするのも、社会で実地に経験を積むのも、広く含まれる。学校で教わる「学習」に比べ、自分の意志で学び取るという部分が多くなる。
【べんがく 勉学】掲載なし
【べんきやう 勉强】骨折リテ勉ムルコト。出精。
※『出精』精ヲダスコト。勤メ勵(はげ)ムコト。
【べんがく 勉学】掲載なし
『勉強』は生きるための実践的な学びで勉学は専門的な内容を突き詰める意味の印象が強い。そして、『言海先生』のストイックなこと。孫正義の様である。
▼孫正義のストイックなところ▼
「先に謝る(認めると楽になる)→前に進むしかない→次につながる」
言い訳すると、言い訳の言い訳が必要になりしんどい。
「『政』は“祭り”と“政治”」
政治と祭りの類似性の話。使命感や義務感では長続きしないし、楽しいところじゃないと人は集まらないが、楽しいと思えれば、恥部や弱いところを補い協力できる。祭りごとってそう。
「会議は伏魔殿。会議をすると『話をしたという』逃げ道ができる」
何かしらの改革をしないといけないときでも一度作ったものを変えるのはともて難しいため、会議をしてもどうにもできない。この考え方から行くと会議を悪用することもできそうである。
「良いものを作るための会議。意見を否定されると自分を否定されたような気になるけど…違うぞ」
「足で稼がなきゃ、いつまでも机上の空論」
上司の目を気にしながら良い仕事はできない。ただ、上司は部下に『見回れ』と助言できる。
「一生にできる友達は一人いればいいぞ」
Facebookやインスタグラムは友達じゃなくて、過剰な数字でしかないよ。個人的にはSNSで過剰に過剰に求めるときは友達というよりもビジネスでの収益を求める時だと感じるので、友達よというよりマネーな気がする。
▼一人でも理解者がいれば救われる話▼
自治会長さんにお話を伺った後、中三依集落に自給自足をしている家族がいることを教えてもらい、そのお宅に行ってみることにした。
『松や食堂』までの121号線を引き返し、教えて貰ったお宅に向かう。
途中、右折して川沿いの道を進む。鮎釣りが解禁される時期だったため川には数名の釣り人がいた。中三依は鮎釣りの名所である。川幅が狭かったり水温が低い等の理由から、鮎が通常のサイズよりも小ぶりなのが特徴だと聞いた。この辺りは渓流釣りの名所だが、まだ自分は釣りに興味は持てないかなと思っているうちに、自給自足をしているお宅にたどり着いた。
次回:栃木県日光市中三依で自給自足の研究で人類の可能性を探る人の格言を聴く。
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限界集落の旅『栃木県日光市中三依集落』-全国1,000件の温泉を巡った温泉フリーク女将に会う-
前回、栃木県日光市中三依集落にある『山の幸直売センター』を運営するご夫婦の元を訪れ『隠れキリシタンが隠れていた証拠』を教えてもらった後、同集落の『男鹿の湯』に訪れた。ここは温泉フリークのための温泉施設だった。
▼男鹿の湯▼
【行き方】
■電車
野岩鉄道会津鬼怒川線『中三依温泉(なかみよりおんせん)駅』下車、徒歩約3分。
■車
東北自動車道『西那須野塩原IC』から国道400号➔国道121号(会津西街道)で約40分。
【無料駐車場】
30台(大型車要相談)
【入浴料】
大人600円、小学生300円、3歳未満100円
【営業時間・期間】
10:00~20:00
【泉質分類】
カルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉
きりきず、冷え性、末梢循環障害、うつ状態、皮膚乾燥症などに効果のある泉質
【施設内】
『男鹿の湯』は20代の夫婦が営む天然温泉。全国1,000箇所以上の温泉に足を運んだ温泉フリークの奥さんが水質や立地などを考慮した上で中三依集落に温泉を構えたという、まさに温泉フリークによって選び抜かれた温泉施設なのである。
「内風呂、外風呂、混浴、岩盤浴…1,000箇所くらいの温泉、俺もとっくに巡ったよ」という温泉フリークは日本中、探せば結構いるかもしれないが、この奥さんの凄いところが趣味をきちんとビジネスにする情熱である。奥さんは、ただ温泉好きにとどまらず、温泉コンテンツを扱う会社に入社。その後、自分の理想の温泉を追い求めて独立。中三依で運営休止中になっていた『男鹿の湯』を再開させるに至った。温泉業に携わるだけでなく、温泉のある空間を創り出してしまった。
『好きなことで、生きていく(YouTube)』の走りである。温泉施設には随所に奥さんの気遣いを示すように手書きの書き込みやポップが設置されていて、静かでありながら柔らかく楽しい。隠れミッキーを探す感覚で探してみてほしい(隠されてないけど)。そして、旦那さんは好青年でハキハキとして快活明瞭。次世代の番頭さんといえる。この温泉施設の雰囲気が良いのは、中三依の澄んだ水のせせらぎや、草や鳥の声や風のあたりが心地ち良いだけではなく、おそらくこの夫婦関係が良好だからだろう。
夫婦経営の場合、夫婦の関係はそのまま施設に反映されるのではないだろうか。
温泉施設内には食事処、休憩室、外にはコインランドリー設備やキャンプスペースもあるため、レジャーの季節にはBBQやキャンプ、近くの川で渓流釣りが楽しめる。また、イベントにも積極的で、温泉施設内での蕎麦打ちも行われているため、お子さんの体験の場、学びの場としても有効活用できる温泉施設である(僕が訪れた際にもお子さんが蕎麦打ち体験をしていた)。
温泉施設内『男鹿食堂』の食事は美味しかった。ソバの他にもトマト&チーズピッツァ(写真撮り忘れ)などもあり、限界集落で原宿のカフェみたいな時間が過ごしたい、というワガママも叶えてくれる。
温泉は大きな内風呂が一つあり(男湯)気持ちが良い、気持ちが良いが、僕の体の方がなんかおかしい。前日に『黒部温泉元湯 四季温泉』に2時間以上入っていた反動が体に出ていた。この時は軽い違和感だけだったが、自宅に戻ってから、はっきりと体に変調が現れた(それはまた後日記載)。この体の変調のため『男鹿温泉』を楽しめなかったため、今度また行く。
▼男鹿の湯インスタグラム▼
そして、また道の駅で車中泊をした。
今回は「湧水の郷しおや」に向かった。この道の駅はとても広い上になぜか涼しい。
初夏にもなると朝方には車内の熱量が急激に上昇するが、夜間の間は、結構、過ごしやすい。ここで休んで翌日、中三依集落の自治会長さんを訪ねることにした。
▼湧水の郷しおや▼
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限界集落の旅-栃木県日光市中三依集落で隠れキリシタンの痕跡を見つけた-
前回、ホンダのアクティを乗り回し、限界集落の旅で栃木県日光市中三依にたどり着いた。集落を散策後、四季温泉から『道の駅日光』での車中泊。
目次
車中泊失敗で疲れ切る
眠ったはずなのに、体は疲れきっていた。
原因は、限界集落の旅に使用しているホンダのアクティを、この当時(2018年の初夏)車中泊仕様に改装していなかったため、朝には、窓から差し込み日差しで焼かれ、寝汗の海で溺れ、とどめに頭痛で頭をカチ割られるかと思った。
車中泊には隠れ家的男のロマンが詰まっているが、窓からの直射日光を避ける目張りや寝床を完全フラットにしておくことや、眠りやすい寝間着の用意等、それなりに準備をしておいた方がいい。100円ショップやホームセンターを活用すれば、お金はあまりかけなくてもこれらの準備はできる。
『ぎゃらりーカフェ扇屋』と店主の格言
中三依に移動した後、甘いコーヒーなどで頭痛を癒そうと思い、前日に見つけた喫茶店『ぎゃらりーカフェ扇屋』に入った。
店内の真ん中には囲炉裏のテーブルと、丸太をそのまま輪切りにしたような椅子が置かれていて、白髪紳士が一人、コーヒーを待っていた。僕はお爺さん店主に出迎えられて、白髪紳士と相席になった。相席といってもテーブルには5人が座れるくらい大きさで全く息苦しを感じない。店内にはこのテーブル以外にも2人掛けの席もあり10人程度座れる。
お爺さん店主にコーヒーを注文した。お爺さんといってもかなりのガタイと風格。きっと昔はこの集落のガキ大将だったに違いない。店主は石臼でコーヒー豆をゴリゴリと摺り始めた。お店に来た観光客はこの石臼で『コーヒー豆摺り体験』できる。旅の思い出にモノではなく体験を持って帰れる粋な演出は素晴らしい。
さらに店内には店主の造った湯のみや皿(購入可能)といった焼き物や水墨画等が並び店主の趣味を伺わせる。焼き物は静かに力強く、水墨画は繊細。この二面性、店主はふたご座ではないだろうか。店主の造った作品の他にも、お土産用の山菜等も並んでいて、このお店に来るだけで休憩とお土産調達を同時に済ませさせられるから、中三依を突っ切る121号線を通る際には立ち寄った方がいい。
コーヒーの用意をしながら店主と白髪紳士が焼き物の話をしている。この白髪紳士は宇都宮で料理人をやっている74歳の男性で、陶芸など芸術作品の収集が趣味らしく、店主の造った新作としげしげと眺めて、これはバランスがいいとは言えないが味がある、などとコメントしていた。店主は白髪紳士のことを『先生』と呼んでいた。ちなみに店主はこの当時81歳だったが、なんとなく白髪紳士の方が年上に見えて文字通り先生の様だった。
焼き物の見方
「焼き物は奥がふかいよ~」
先生と店主の会話になんとなく入って、先生に焼き物の見方を教えてもらった。
『陶芸は手で見る』
見ただけでははっきりとはわからない焼き物の良さを感じることができる。例えば抹茶茶碗の飲み口を触ってみると、つるつるとしたものとザラザラしたものがある。使用感を考えるとつるつるしていた方が良く、厚みは均一なものの方がいい。ご主人が作った作品を触ると、つるつるしたものもザラザラしたものもあった。それら中から、先生はあえてザラザラした物を買った。感触以外にバランスも微妙に良くないのだが、先生曰く、バランス不均一だからこの作品は良い、という。『感触』や『厚み』など作品の良さを判断する一定の基準はあるが、焼き物に対する愛着や好感などは最終的に本人が決めるものだ、と先生は語る。焼き物とは人生みたいなもんですかと聞きたかったが、やめた。
先生が帰った後、店主に僕の旅のいきさつを説明して、ちょっと店主さんの人生経験を学ばせていただきませんでしょうかと聞いたところ、了承してくれたのでタダで聴かせてもらうのもナニかと思い、トチモチを注文した。
中三依では『栃の実』が沢山収穫され、各家庭でトチモチにして食される、ある意味ソウルフードといっていい。かつて多くの家でトチモチを手づくりしていたが、高齢化に伴いトチモチを作れる体力のある人が減り、今では、『扇屋』と自治会長さんの家でしか作っていないという(扇屋の店主は自治会長さんのお母さんにトチモチの作り方を習ったので自治会長さんの家の味)。さらに少子化も相まって、トチモチが作れる人そのものが減ったのも原因である。『扇屋』のトチモチはまさに絶滅危惧食品。
トチモチが来た。自家製の粒あんが乗せてあり、これまた美味。しっかりと庵の風味と甘味が感じられるもののすっきりとした後味が特徴。500円くらいだったのでお勧め。
『あの時、勉強しておけば…』
ご主人のお店は集落では『阿部商店』と呼ばれている。『扇屋』は今では喫茶店だが、元々山菜や佃煮等を扱う食品販売所だった。ご主人は子供のころはガキ大将(やはり)アグレッシブな少年時代を過ごしていた。ガキ大将らしく「家が農家だから計算なんかできなくていいだろう」などとうそぶいていたら大人になってから、すこぶる困ったらしい。商売をするには読み書きそろばんが必要なのか…あの時、勉強しておけばよかった、という思いは今でも忘れないという。今の時代『Google Home』に質問すれば何でも教えてくれるから勉強しなくてもいい時代がくる、かもしれないけれども、思わぬところで子供時代の学びが必要になるかもしれないから、勉強できる機会があればしといた方が良いんだろうなと思った。
『言葉は伝わらなくともハートで伝わる。それがおもしろい』
しかし、時代が店主に追いついた。計算機ができたのである。「これは俺のためにできた」とばかりに嬉しかったらしい。そんなこんなで悔しい思いをした店主は大人になってから社会勉強をした。その結果、言葉の壁を超えることに成功。仲間内で海外旅行に出かけ、みんなでお土産を買うタイミングで気を利かせた店主は、せっかくだから皆に安くお土産を買ってもらいたいと考え、現地の言葉がわからないのに店員さんに交渉を開始。最終的に、5個で7万円の品物を3万円にまで値切ったらしい。
「言葉は伝わらなくともハートで伝わる。それがおもしろい」
そして後日、値切った相手から、また来てください、と手紙が来た。値切ってくる相手には愛着を感じるんだ、頭がいいだけじゃだめなのさ、と語る店主。
『お客さんを必ず見送る』
店主は長い間、商売をやってきて、帰るお客さんを必ず見送ってきた。
これは店主が旅行先の旅館でチェックアウトの際に、女将さんが手を振って見送ってくれたことへの満足感が基になっている。お店で過ごした時間を心の満足で締められるように、お店の外まで体を出して見送っている。その結果、リピート率は相当高いそうだ(リピート率9割※『扇屋』調べ)。
幸せの見つけ方
『人生は山あり谷あり、石の上にも三年』
店主はガキ大将だった頃からいくつも仕事を経験して、やがて、山菜などの食品加工を行う事業を始めた。しかも全くの未経験で始めたため、初めの3年は泣いたという。
『人生は山あり谷あり。石の上にも三年』挫けそうなご主人を祖父母の教えが支えた。
決して自分を大きく見せようとせず、商売も過度に拡大せず、辛抱強く、自分の仕事の質を深めていく。未経験から始めた仕事を、地道に頑張り、やがて軌道に乗せた店主。
「間口は小さく、奥深く。この『深み』にこそ『幸せ』がある。皆、好んで苦労するわけではないし、楽が一番、でも人生そうはいかないし、簡単に稼いだ金には重みがないから、すぐに使ってしまう。だから楽に稼ぐのが幸せとはかぎらない。『一歩一歩堅実に、我が人生、牛歩の如く』生きるにあたってこれが重要さ」
「また来ます」
扇屋を後にした。
店主は手を振って見送ってくれた。
▼ぎゃらりーカフェ扇屋▼
『山の幸直売センター』とご夫婦の格言
隠れキリシタンの痕跡
扇屋を後にしてうろうろしていたら『山の幸直売センター』のご夫婦と目が合い、ここで会ったも何かの縁だと思い店に入った。
旅の事情を話すと奥さんが中三依の民俗学をまとめた研究書を持って来てくださった。
本によると、中三依の集落はかつて隠れキリシタンの隠里だったらしく、その痕跡がわずかに残っているという。その証拠がお地蔵様の手元。
直売所の向かいにある子育て地蔵の手元を見てみよう。合掌部分にさりげなく十字架を模したようなミゾがある。これが隠れキリシタンの痕跡であるという。
※余談:キリシタンは『切支丹』と書くらしい。
当時、隠れキリシタンたちはお地蔵様に手を合わせるフリをして「マリア様」と祈ってたのかもしれない。この痕跡と推測が当時の事実を表しているのなら、したたかな話である。子供の頃に読んだ漫画『日本の歴史』の類では踏み絵を拒否し、あぁマリア様、と言って踏み絵にキスをして連行される隠れキリシタンの様子が描かれていたが、もしかするとそれは一部の人たちだったのではないだろうか。実は多くの隠れキリシタンが、何かしらに十字架やマリア様を見出しては、密かに舌を出しながら、祈っていたのかもしれない。「さっきは踏んでしまいました。すまんですマリア様」などと思いながら。
神仏習合の国だからこそあり得る、八百万にマリア様を見出す仏基習合スタイルかな。
これからの商売について
なんで直売所を始めたのか聞いたところ。
『これからは自然的な食べ物が求められるだろう』
1980年代、山の幸のご主人は、高度経済成長を経て、大量生産・大量消費の時代から、体に優しい自然食が求められる時代が来ると読んだ。狙いはドンピシャ当たり、多くの人がここには訪れている。実際、僕が奥さんやご主人と話しているときにも若い旅行客や村の人、遠方から頻繁にこの場所に来る方も見えた。時代に合わせた自然食の在り方が直売所として形になったという一方で、後に北海道を旅したときに、『直売所とは、多額の中間費用を抜かれて安く叩き買いされることに憤りを感じた農家が、自分たちの作ったものに適正価格をつけて、自分たちで売ってきちんと儲けるために始めたことが起源』だとも聞いた。
やがて直売所が進化して『道の駅』になった。道の駅は直売所としての価値に加え食堂を設け、食文化を発信する目的も加わり、観光資源になった。
次に何が流行るかもわかってる、というご主人に、えぇ?何が流行るんですか?聞いてみた。
「今後何が流行るかといえば『直売所』と『道の駅』、これら以外だね。これら以外だね。商売のノウハウと一般農家がマッチングすれば新たな可能性があるな」
そこからが聴きたいところだが、その場合は課金を、ビジネスプランへの加入が必要な感じがする会話の切れ方だった。初対面の人間にはそこまでは語れないだろう。
奥さんがかなり前向きな人だった。
趣味で塗り絵やクロスワードパズルをやっていて、完成したら人に仲間内で見せ合っているらしい。
「自分の勉強のためと、若い人に見せると刺激になる。競い合って、ボケてる暇ない」
人間関係を構築する大事なこと
『良いことは人に伝える』
他にも奥さんが日々、心がていることを聴いてみた。
すると次のように行動しているらしい。
良いことがあると人に教える。
↓
すると、人から良いことを教えてもらえるようになる。
↓
良いことを言っているから、考え方が前向きに変わる。
↓
自分が変わると、周りの人も変わる。
↓
【結果】良い人とばかり出会えるようになった。
この日の僕との出会いも良い出会いだったらしく、これも日頃の行いの成果だ、と奥さんは語る。
またご夫婦はともに、人間とは感謝しあうことが大切だ、と言っていた。相手に見返りを求めず、してもらったことは誠意をもってお返しする。互いにこの気持ちを繰り返し行動で示していれば、相手を慈しまずにはいられない。だからこそ助け合い、強固な信頼や結束を作る。
凄く真面目な格言なのだが、その旨を語るご主人の発言の節々に毒を感じるのが面白かった。どこまでも前向きで柔和な奥さんと、微妙に毒をのあるウィットに富んだ発言をするご主人だからこそ、調和がとれているのだろうなと思った。ある意味夫婦の理想形である。
▼山の幸直売センター▼
このお店にはソフトクリームや、板チョコもなかのアイスなど多種多様なアイスが売られている。ご主人曰く、子供が来てアイスも食えないなんて悲しいだろうから置いてある、とのこと。毒舌の中に潜むのは本質的な優しさ。機会があれば立ち寄ってみていただきたい場所である。※中三依では雪の降る季節(11月)にはほとんどの店が冬季休業中。
次回:『男鹿の湯』で1,000件の温泉を巡った温泉フリーク女将に会う
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限界集落の旅-栃木県日光市編『黒部温泉 元湯 四季の湯』入浴中の住宅営業マンに部下との接し方を聴いた-
2018年の4月に京都から東京に引っ越して限界集落の旅東日本編を始めた。
この当時住んでいた東京都の板橋区から出発して約2時間半。
【目次】
中三依散策
この日は中三依(なかみより)の周辺を車でうろうろ散策しながらどうやって集落の人に話しかけて、この地で得た知恵や経験を教えてもらうか考えていた。
中三依の集落には『男鹿の湯』という温泉やコーヒーが飲める『扇屋』という店があることがわかり、少し離れたところに『道の駅 湯西川 湯の郷』と『黒部温泉 元湯 四季の湯』をはじめ、多くの温泉があることもわかった。栃木県といえば『那須』『塩原』なんかに始まる有名な温泉地だけあって、入浴場所には困らない。中三依から車で30分も下ると南に川治の地域には温泉が密集している。そして、どの地域でも水質の良さはうちが一番と謳う。それでいいと思う。
後に、現地の人からこの地には平家の落人伝説があるという話を聞くが、源平の合戦があった山口県の『壇ノ浦』から栃木県まで逃げ延びたのだから、いささか眉唾物。もし本当だとしたら平氏はなかなか根性のあるタフな人たちだったのだろう。
※壇ノ浦のある山口県から栃木県まで1000キロ以上あり、徒歩で220時間以上かかる。
あるいは途中で逃げるのが楽しくなってきてなんやかんやで栃木県まで来てしまったのかもしれない。悪ノリ好きな平氏たちが『戦にも負けたし、もう、このまま日本の端まで行こうで!』などと言いながら『行くぜ!東北』よろしく現実からの逃走とロマンを兼ね備えた企画を立ち上げ、『逃げるスリルがたまらんワ』などと言いながら約2週間。1人また1人と脱落していく平氏の落人たち。行くあての無い逃走と疲弊の果て、最後の数名が一言ポツリ。『もう、このへんでええんとちゃうか?』栃木県は悪ノリ終焉の地、山口県から栃木県までの移動距離は若い落人たちが青春をぶつけ、大人になるために必要だった距離だった。そう考えると、山口県から栃木県まで移動したと考えられなくもない。何せ、人力で戦をしていた人たちである。体力はすさまじいし、悪ノリもさぞ、アグレッシブだったろう。
それはさておき、中三依から土呂部(どろぶ) という集落も見てみようと思い車で1時間程度の道を走った。地図で見たら近そうな場所だとしても、集落の間の移動は結構時間がかかる。中三依から121号線をくだり、途中で左折、23号線に乗りかえてひたすら真っすぐ進み出発から30分程度すると土呂部への道右手に『黒部温泉 元湯 四季の湯』はその道の途中にあった。土呂部集落を見てから入浴しようと思い土呂部へ向かう。
土呂部では全く人にすれ違わなかった。この集落で唯一の人との接触は、腰の曲がったお婆さんが豆粒くらいに見えるほど遠くからこっちを見ていて、僕もお婆さんを見返した程度だった。おそらく集落に無縁の人間がリュックを背負って何をするわけでもなく、うろうろしているのが珍しかったのだろう。土呂部では地域おこし協力隊の方が頑張ってこの地に伝わる商品をアレンジしたものが、好評とのこと(後日、新聞で読んだ知識で曖昧ですが…)。
日も暮れてしまい『黒部温泉 元湯 四季の湯』に入ることにした。
黒部温泉 元湯 四季の湯
【営業時間】
8時~21時
【入浴料】
500円
【アメニティ】
備え付けの固形石鹸があったがシャンプーなどは無し(男湯のみ確認)。
【風呂】
この時は、露天風呂にのみ入浴したが、内風呂が男女ともに1つ。
温泉施設の横にあるドライブインのおかみさんを呼び入浴料を渡す。おかみさんは若干塩対応でクールな印象。
2時間以上温泉に浸かると入浴料が割り増しになるそうで、僕は結局2時間以上入浴してしまったが特に追加料金は発生しなかった。設定ガバガバのシステムがとても愛らしい。お得感に加え、今回、見逃して貰った分、次は払おうと思ってしまう。
備え付けの固形石鹸で体を洗い(蛇口から温泉成分を含んだぬるい水がどばどば出てくる感じが非常に贅沢)、露天風呂に浸かる。泉質はすこぶる良く、少しでも温泉成分をたくさん体に吸収させようと思い、頑張って長風呂してしまった。これが後に悲劇を招くことになる。
露天風呂で出会った営業マンに話しかける
僕が、入浴してしばらくすると男性客が1人、入ってきた。
お互いしばし、無言で過ごしていたが、さっきお婆さんに話しかけなかった罪の呵責(?)から、せっかくの機会、話しかけてみようと思った。
「地元の方ですか?」
男性は栃木県宇都宮出身の四十代で住宅販売の営業をやっているとのこと。営業マンだけあって気さくな話し方で楽しかった。さすが営業マン。
営業マンの格言
「住宅が売れないと不安で眠れないことがあった。
でも、そのスリルがたまらない」
仕事中毒なジャンキー発言。
「住宅は売ろうとすると売れない」
まずはお客さんに話してもらい、現状の不満を聞き出した上で最良の家と、プラスワンの提案で『凄い!』ってなる。わかってもらえれば話は通じる。
そのため「売り方を教えることはできない」とのこと
「部下に怒ったことがない。何も解決しないし、相手は憎しみを感じるんじゃないかな」
感情は入れずに、相手が理解するまで説明する。それでもダメならあきらめるな、結局は本人の自覚次第、とのこと。
「ヒトには逃げ場が必要。自分は逃げないけどね」
聞き上手で人の気持ちを察する仕事中毒者の、優しさと男らしさの入り混じった言葉。
営業マン曰く、昔は2回遅刻したらクビだったけど今は何でもない。むしろカバーする。俺なら遅刻するくらいなら休むね。まぁ、それも30数年で1回だけだけどとのこと、一回だけ逃げ場を使ったらしい。
この人に色々話を聞かせてもらって楽しかったので、帰りしなに巣鴨で買ったせんべいを渡した。その代わりに僕は、営業マンからハンドタオルを貰い、別れた。
温泉の隣、ドライブインは既に営業終了。また今度、何か食べよう。
次回:栃木県日光市中三依集落で隠れキリシタンの痕跡を見つけた
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限界集落の旅-栃木県日光市中三依集落の自給自足研究家のお宅でWWOOFer体験を通じて知ったこと-
今回は2018年に体験したプチWWOOFerのお話ですがその前に身の上話です。
2018年の4月から東京に住み始めた。
自分の身の回りで諸々、事情があり、4年間程生活していた京都を離れる必要があったため『限界集落の旅-東日本編-』を始める良いきかっけだと思いとっとと移動した。高額な東京のお家賃問題はルームシェアですんなり片付いた。
高額な家賃も男6人で分割すれば1人頭2万円/月で雨風しのげるので、家賃は京都に住んでいたときの半額以下になった。安く東京生活を満喫できるから非常に満足。
閑話休題。
▼目次▼
栃木県日光市中三依へ出発
生活環境も整い、東日本の限界集落旅開始。
中三依は『手落ち蕎麦』やきれいな水質で育った『アユ釣り』の名所であり、かつては『隠れキリシタン』の住処だったといわれる(隠れキリシタンについては別の記事で書きます)。
釣りの名所だけ会って春になってアユ釣り解禁になると多くの釣り人たちが訪れる。
この地域の鮎は狭い川幅に合わせて成長したため小柄な鮎が多いらしい(水温が冷たいという説もある)。中三依は何回か訪問しているが鮎をまだ、食べたことがないため2019年は鮎を食べに行こうと目論んでいる。
この集落でしばらく聞き込みをしていると集落の外れに自給自足をしてるお宅があると聞き、どんな人か知りたくって訪ねてみた。
15時くらいにお家を訪問すると(相変わらず何の連絡もなしにとりあえず会って交渉するからドキドキが止まらない)気さくなオヤジさんが玄関の玉砂利を電動のこぎり(?)で切っていた。
オヤジさんと色々、話し込んだ内容は別の記事にて紹介。
今回の記事では実際にここで僕が体験した内容を記載します。
WWOOFer体験
オヤジさんから『WWOOFer』(ウーファー)という仕組みを教えてもらった。
WWOOFerとは、お金のやり取り無く、オーナーはホストに仕事と食事と寝床を提供し、ホストはオーナーから与えられた仕事の手伝いを行うという仕組みである。
WWOOFerは下記Webサイトから登録できる(リンク貼っときます)。
多くの外国人がWWOOFerを利用してこのお宅に来るそうだ。
年間登録費用5,500円/年(初年度)
継続優待登録費
2年目 5,000円
3-4年目 3,000円
5年目以上 1,500円
▼WWOOFerとは▼
限界集落の旅で聞き教わった話で言うところの『手間替え』みたいなものだといえる。
この日は突然の訪問にも関わらず、対応してくださったどころか、ご飯や寝床もいただいたので、それではいけないと思い後日、伺ってWWOOFer のごとく家の仕事を手伝う約束をした。
しばらくして再訪問。
この日は気さくなオヤジ様は外出中で、奥さんにご対応いただいた。奥さんから『草むしり』の仕事をいただき、奥さんと二人で、このお宅の畑の草むしりをはじめた。
畑に腰を屈めて僕と奥さんと二人でひたすら草を抜く。土をしっかり絡めて地中に埋まっている根ごと草を引き抜くと土には小さなクレーター状のへこみができて、髪の毛よりもさらに細い真っ白な繊維状の虫がうじゃうじゃのたくっていた。これが土の中の日常か、このサイズの虫にもしっかりと内蔵が詰まっているのだろうか、などと思いながら更に草を抜く。
「抜いたらアカン草、ありますか」
「これトマトね。雑草っぽく見えるから初めての人は抜いてしまいがちだけど、トマトなのよ」
トマトの苗をまじまじ見たのは初めてで、確かに、野太く図々しく育った雑草にまぎれると、何かしらの雑草の一部かと思って抜いてしまいそうになる。
「僕はぬきませんよ」などと言いながら草を抜く。
草むしりで人の真理を知った
日常的に草むしりをする機会がないため、自分たちの草むしりのペースが早いのか遅いのか分からないが、奥さん曰く、通常の3倍くらいのペースで進んでいるという。人としゃべりながら作業をしているために、気がまぎれてドンドン前に体が進んでいくらしい。そういわれると僕もしゃべりながらドンドン草を抜いていっている。なんなら奥さんの倍は抜こうと多少意地になっている。
世間話をしている途中にふと奥さんがこんなことを言った。
「1 足す 1 は 2 じゃなく て 3 なのよねぇ」
奥さん曰く、人間は2人集まるとなぜか2倍以上の働きができるという。
「だから、やっぱり人っているだけで価値があるのよ。価値のない人なんかいないわ」
WWOOFerをやってて気づいたことらしい。
なんて良いことを言わはるんだろう、草むしりで人の真理を知れるなんて、奥さん…奥さん…奥さん…と思っていたら、トマトの苗を抜いてしまった。
「あぁ」
「あ!抜きやがったな!」
奥さんは笑っていた。結局終わるまでに2本も抜いてしまった。僕は血液型がA型のため、全体のうちから2本、というわずかな失敗が手痛かった。
お礼のお礼にと自家製パンと蜜とコーヒーをいただいた。
また後日、お礼のお礼のお礼に行く。
次回:『黒部温泉 元湯 四季の湯』入浴中のサラリーマンに部下との接し方を聴いた。
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限界集落の旅-福井県越前市某集落の『守り神』みたいなお爺さんが村を捨てない理由を聞いた話-
2018年3月頃
この日、限界集落旅は絶不調だった。
ある集落に訪れて現地の人に話しかけたものの、ことごとく話を断られた。ある人には、不審がられて少し怒られたり、またある人には、君が何を言っているかわからんから他を当たってくれ、といわれたり、事前に会う約束をした人は留守だったりと(置き手紙をしたが返事はなかった)なかなか上手くいかなかった。
最近、この集落ではどえらい詐欺事件でもあったのだろうか?と思って勝手口を見ると『悪質なセールスお断り』のシールが貼ってある。どの家にも貼られているからかなり警戒心が強い集落なのかもしれない。※営業マンの世界では、こういうシールが貼って牽制しないといけないほど家主のガードが弱いという考え方もあるらしい(豆知識)。
もっとも、事件があろうがなかろうが、突然の訪問なのだから、そらそうなるだろうと思い場所を変えることにした。ずいぶん前にSNSに『人生を変えるには』というテーマで書き込みをしていた人がいたのを思い出した。
【人生を変えるには】
・場所を変える
・一緒にいる人を変える
・(あと何か一つあったけど忘れてしまった。調べたら『時間配分』らしいのでそうしておく)
※詠み人知らず
という話を聞いたのを思い出し、場所と会う人を変えることにした。
山道に入り、進めば進むほど、人の痕跡が消えていく。コテージが見えたと思ったら廃墟だったり(当時2018年3月頃のため冬季休業中だったのかもしれない)、未舗装の道だと思ったらアスファルトが見えないくらい草と落ち葉だらけの場所だったり、行ったら廃村だったというオチではないか。というかこの先、道は続いているのだろうか。
福井県越前市某集落
集落に到着した。
九十九折の山道を抜けると真っすぐな一本道がずーっと続き、再び山の木々の中に消えていくまでの数百メートルくらいの間にポツリと一軒、石垣の上にお宅があった。丁字に伸びた煙突からもくもくと煙を出している。人がいる。
お宅に近づいてみると、補聴器を付けたお爺さん(以下:ご主人)が一人立っていた。
観光シーズンではないので、この時期に何をしに来た人か聞かれた。
旅の目的を伝えるとしばらくご主人と話ができることになった。
もうこの集落にはこのご主人(86歳)と奥さん(80歳)、そしてたまに来る住人以外、誰もいない。
実質2人で集落を切り盛りしている。
この集落について
この集落は、記録にも残っていないほど昔にこの地に訪れた先人たちが切り開き、最盛期には数十件の家が軒を連ね、お爺さんの家の前をまっすぐ越前の海岸に向かって伸びていく道は公家や大名が京都への通り道に使ったという。
「何も無かったこの地を切り開いた先人たちに頭が上がらない」
ご主人は自分の人生のルーツは生まれ育ったこの地にこそあり、自分の人生の始まりとなった場所を作った先人たちには感謝してもしきれない、だからこの地を離れないで畑を整えるという。
昔は平地よりも山道の方が重宝されていた。それもそのはずで平地は水害の恐れがあるが、山で水没の心配はまずない上に、山道は結構平坦で歩きやすい。そのため街道も山につくられた。現代では平地を通るのが当たり前になったが、国道や鉄道というのは50~100年程度の歴史しかないのである。
福井県では江戸時代頃、小浜から越前に続く数々の街道を『サバ街道』と呼んだらしい。由来は、この時代に鯖の水揚げ量が多かったからだという。この道も『サバ街道』の一本だったのだろうか。
ご主人の格言集
話の最中、ご主人は『ルーツ』とよくおっしゃった。
自分が生まれた場所は自分のルーツであり、自分の人生の確固たる骨子を築くために必要なすべてが詰まっているという。ご主人は自分の先祖やその周りの人たち、ルーツの根元を探るために、この地のことを近隣の寺に残された資料や役所を通じて念入りに調べたものの、先述した通り、記録が残っていないほど昔から人が住み始めたというところまでしかわからなかった。自分がなぜここに生まれたのか、何を糧にどう生きていくのかにこだわっているからこそ、この地に時々、自分の先祖のルーツを辿ってやってくる外部の人たちにこの場所の歴史を教えているらしい。
「自分がこの場所からいなくなったら、この場所に自分の先祖を探しに来た人たちのルーツを失くしてしまうことになる」
ご主人は息子さん達が街に住んでいて、自分たちも街に住むことができるがあえてそうはしない、この地の『守り神』や『語り部』といえる。
この時の訪問時にはあまり歴史的な話をしなかったため、今度お礼に顔を出す時にはこの地の歴史とご主人の歴史を聴きに行きたい。
戦争体験者の話が重宝されるように、限界集落に住んでいる人たちの知る現地の歴史話も今後、重宝されるんじゃないかと思った。その地に住んでいる人から、直接聴くライブ感は脚色された歴史よりもスリリングで生々しく、面白いはず。そして、それをあえてその声をカセットテープで残すと音質の面でも暖かみが出てより良いのではないか。あんまり何でもコンテンツ化してしまうのは下品かもしれないけれども、地方の資料にも残っていない、口伝され続けてきたようなマイナーな歴史は、刺さる人にはとても深く刺さるのではないかと思った。
それはさておき、この場所には、たまに新聞や雑誌の記者が訪れてはご主人に、こんな場所に住んでいてこれからどうするのか、と質問してムッとさせているらしい。
その答えは『自分と他人のルーツを守るため』である。
「やってることは、まるでこの地の神さんですね」
というと、
「捨てることはできない。でも捨てることができないっていうのは…弱いからかな」
弱気になる守り神。
「あの人があんだけ頑張ってるんだから自分も頑張ろうと思えたら一人前。まっすぐ育っていける」
ルーツの他に人として大切なことをご主人に聞いたところ、こんな返事が返って来た。
そう語るご主人だけあって、子育ては結構スパルタだったようだ。
「子供にはキツくあたりました。子供を雪に投げ込んだこともあります。それくらいしないと根性がつかんから」
雪深い地域ならではのしつけ方である。今の時代なら虐待と言われてしまうかもしれないが、この方法は結構合理的なしつけじゃないかとも思った。
というのも、降りたての柔らかい雪であれば投げ込んでも怪我の心配は少なく、それでいて雪の冷気でもって子供に『自分は叱られている』と自覚させられる上に、自然の厳しさを教えることもできる。一石三鳥の可能性がある。こうした厳しい教育の成果もあってか、ご主人のお子さんたち(雪に投げられた)は街中で立派に成功を収めているとのこと。また、両親が心配で定期的に集落にやってくるという。きっとご主人はお子さんを投げっぱなしにせず、叱った後はきちんとフォローされていたのだろう。
※ちなみに祖父母に甘やかされて育つことを『三文育児』という。
ご主人は子育てに必要なことをもう1つこのように語った。
子育てするにあたってご主人はご自身の子供時代と重ね合わせる。
「両親がたまにしか帰ってこなかったから親子の情はできませんでしたな。親が朝昼晩と一緒にいて情がもてる親子になる」
昔は祖父母が子供を育てるという事例が多かったため、必ずしもそうとは言えないものの『三つ子の魂百まで』という言葉が残るくらい3歳程度までの時間は大切なようだ。
人間は3歳までに脳の80%が形成されると言われている上、おしめを替えるのも、お乳を飲ませるのもこの時期だけ。親と子が互いに関係して『情』を学べる時間も以外と短いのかもしれない(子供に接する時間が短かった親は後になって後悔するケースも多いようです)。
大阪府の千早赤阪村を訪れたときに元校長先生も『親は子供にとって最初の“環境”』とおっしゃていたし。
▼千早赤阪村訪問時の記事▼
これらをふまえて雪に投げ込まれたお子さんの意見も聞いてみたいものである。
ご主人の家から奥さんが出て来られた。
「旦那がなかなか戻ってこないから心配になって見にきちゃった」
気がつけば2時間くらい話し込んでいたようだった。
「この人がこんなに話し込むのは珍しいわ」
という奥さんに、長々すみませんでした貴重な話しをしていただいて聞き入ってしまいました、とお礼を言って手みやげにもって来た『八つ橋』を渡した。そんなに高価なものでもないのに喜んでいただけて嬉しかった。
「また来ます」
「いつくるんやね」
「半年後くらにまた来ます」
「それやと死んどるかもしれんわ」
「では3ヶ月後に来ます」
そういってご夫婦を分かれようと思ったら奥さんに、ちょっとまって、と止められた。
「こんなんしかないけど」
新筍で作ったお手製の筍御飯をいただいた。
ありがとうございます、と受け取り是非又お礼に来ようと家路についた。
筍御飯は美味しかった。
この日から数か月、再訪問した時の映像
次回:栃木県でプチWWOOFer体験をしつつ自給自足家族の格言を聴く
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